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蛮族の国  作者: 雨後ノ晴男
第一章 「戦禍がもたらすもの」
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【甘露】「こんなことを考えたのは、間違いなく、絶対にドワーフだ」 エルフの少年 ガーリィー

 ハルパトリアの路地裏で初めて彼らと出会った。初めて彼らという存在を知った。お母さまやお兄さまたちから絶対に近付いてはいけないと言われている場所に、彼らは居た。いつもの気まぐれで王宮を抜け出した。本当に気まぐれに、行ったことが無い場所へふと足を延ばしてみたかったから。バルコニーから見えるカウダ川の傍の木の町へ。西の城壁の手前にある、屋根の色みが異なる一角へ。

 

 チーズや魚の燻製のような臭いが漂ってきた辺りで、護衛の近衛たちから「これ以上は」と言われた。陽は少し西に傾いてはいたが、まだ高かった。でも、そこは既に高い城壁の影に覆われていた。それでも歩を止めようとは思わなかった。理由は自分でも分からなかった。見てはいけないものを見たいと考えただけかもしれない。

 

 彼らはとても痩せこけていた。殆どが、十歳の自分よりも小さかった。でも、眼は異様な光を放っていた。こんな時間だからか大人たちの姿は見えない。そして、影に二、三歩を踏み出した辺りで、彼らは一斉に駆け寄ってきた。バサバサの髪でボロボロの服に身を包んだ子供たちの数はあっという間に十を超え、直ぐに私の周囲は埋め尽くされた。そして、近衛たちに囲まれた私に向かって彼らは真っすぐに手を伸ばし、口々にパンを、お金を、肉を、と繰り返した。


「ごめんなさい。今は持っていないの。だから、」そう返した私の声は彼らの声に容易くかき消される。無限に続く「パン」「金」「肉」という音の壁に押し潰される。手を伸ばせば触れられる距離なのに全く届かない。どうしようもない虚無感に、得体のしれない恐怖に、私は塗り潰される。だからその場を何とか取り繕おうとする。ただの欺瞞に過ぎないのに。


「そうだわ。あの、私持ってるの、食べて」愚かな私は自分のポケットの膨らみを思い出してしまう。後から食べようと食堂でくすねたものを。


「ダメ! 止めて! そのリンゴは、渡しちゃダメ!」


 慌てて右手で取り出し、目の前の手に、目の前のオークの少女に手渡した。


「…………ごめんなさい」


 私は目の前で何が起きたのか、何が起きているのか理解出来なかった。私は彼らが友人同士であると、仲間同士であると思っていた。でも、彼らはそんな私の愚かで浅はかな想像を超えていた。恐慌は、私の正面にいたオークの少女目がけて、真っ赤な果実目がけて、殺到していた。たった一つのリンゴを二十人以上の子供たちが必死に奪い合い、貪り合っていた。踏みつけ、噛みつき、怒鳴り合っていた。そして、誰かが護衛の隙間を抜け、私の服や髪の毛を掴み引っ張ってくる。「何であいつだけ!」「ずるい! 私には?」「僕にも寄越せよ!」必死の形相で呼びかけてくる。


「ごめんなさい。もう食べ物は無いの! ごめんなさい!」


 どれほど叫んでも私の声は全く届かない。姫様をお守りしろ、と言いながら近衛たちが陣形を狭めた。それでも子供たちが私の腕を掴んで、足を握って、揺さぶってくる。その手の熱がはっきりと伝わってくる。


「誰か」

「……マ」

「主よ、どうか」

「…ルマ」

「どうかご加護を」


「おい! アルマ!」


「…………あ」


 ぼやけた視界の中で、間近に自分を覗き込む四つの顔があった。ヒュームとドワーフとエルフとオークの顔だった。少し不安そうな、でも、ほっとしたような。


「酷くうなされていたけど、熱は無いみたいだ」

「ねーねー、アルマお腹空いてるの?」

「ほら見ろ。テントの中なのに沢山火にかけるから」

「ふん、もともとオークのテントはそういう造りになってるのさ」


 頭上で交わされる言葉がはっきりと響いてくる。自分の手と足に添えられている温もりがはっきりと伝わってくる。明瞭な、光が――


「あの、私」

「もうこれ以上はやめとけって言ったんだよ、なのに誰かさんがさー、」

「うるせぇ。魚の干物は炙ったほうが旨いんだよ。ほれ」


 と言いながらバザラナは火にくべられていた串を無理やりガーリィーの口元に押し付けた。


「熱っっぢ! ちょ、やめっ…、熱っつ、熱いって」


 オークは嫌がるエルフの首根っこを掴み、強引に食べさせようとしていた。


「ねー、こっちのが美味しいよ」

「チーズに魚をくぐらすのか。美味そうだ」

「そうだよ。そしてね、こうやって」


 ドワーフは、熱したチーズに満たされた鍋に串ごと魚の燻製を突っ込みくるくると回し、器用にパンで挟み込んで引き抜いた。隣のヒュームもそれに倣い、二人は次々とサンドイッチを五人分、作っていく。


「みんな、」

「ん、リンゴは無いぞ」

「……え?」


 俯いたままオークが発した言葉が胸を貫いた。一瞬にして呼吸が止まる。


「あれ、旨いよなー。私も好きなのさ。ま、次の冬が来る前のお楽しみだな」


 バザラナはニヤリと犬歯をむき出しにしてこちらを見た。無邪気な子供の笑顔だった。


 ――自分があのとき、何を求めていたのか、分かった気がした。


「お前も好きなんだろ、リンゴ? あんなにうなされながら叫んでたしな」

「確かに、食べ物が無いってあんなに悲しそうに言ってるの、バザラナ以外で初めてみたよ」

「一言余計なんだよ、この耳長チビ」


 大好物だった。十歳のあの日までは。

 それ以来、どれほど甘い香りがしても、どれほど色鮮やかなものであっても、口にすることはできなかった。けれど――


「……うん」


 アルマは勢いよく立ち上がり、


「みんな、おはよう!」


 四人に向かって飛び掛かった。


「だぁっ! 何すんだよアルマ」

「ぐぅっ。く、苦し、ぁ……」

「おいラナ! ガルを放せ! 首だ、首」

「あ、チーズ焦げちゃう」


 主よ。

 主よ。導いてくださりありがとうございます。深く感謝いたします。

 もう二度と、同じ過ちは致しません。

 だから、どうか、どうか彼らにご加護を。


 アルマはぎゅぅぅっと全力で、全身で彼ら四人を抱きしめた。

 

 轟々と、外で吹雪く風の中、パチパチと弾ける薪の音が響いていた。

 銀のロザリオが、五人の動きに合わせてゆらゆらと踊っていた、暖かい光を反射しながら。


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