【雲上の舎2】
「護衛、ですか」
「はい、よろしくお願い致します! 私、アルマ・ドーレと申します。どうぞアルマと呼んでください!」
そうよ、とエルフの族長マーフィーがレオンの言葉に返す前に、護衛対象は一息で自己紹介を済ませていた。一拍遅れで腰まで伸びた山吹色の髪が軽く跳ねた。
淡い水色の瞳。年の頃は自分達と同じか少し若い、十代半ばであろうか。一目で高級品だと分かる光沢のある黒絹のローブに白いスラックス。首に下げた銀のロザリオ以外、装飾品の類など一切身に着けていなかったが、妙に堂に入っているとレオンは感じた。
「わかりました、母さん。では、どちらまでお送りすれば?」
「そうねぇ……まずは教会まで、ベルヌフェムルやベルヌオースの教会までよ」
「まずは、と言うと?」
「ん~、今回は、場所だけじゃなくて期間でもお願いしたいの。当面の間……とりあえず春までは、こちらのかわいいお嬢さんの面倒を見てあげてほしいのよ。お願いね、みんな」
レオンの問いに曖昧に答えたエルフの族長は、遠くの空を眺めながら右耳辺りの髪を掻き上げるような仕草をしていた。もっとも彼女の銀髪の殆どは耳にかかるほどの長さも無く、綺麗に短く刈り揃えられていたが。
母が何かを思い出しているということと、それが悪いものではなさそうである、ということを四人は理解した。それでまずは十分であった。
彼女が望むことは何でも聞いてやってほしいと頼まれ、とりあえず村の案内からとギルドを出たが、まだ三百歩と進んでいなかった。
「すみませんでした!」
深く頭を下げるアルマの髪がバサッと逆さまに広がる。
「あ~、もういいって」
まさか本日六回目の芋ほりがこんなに早く来るとは思わなかったさ、というバザラナの声の続きがガーリィーとレオンの胸には響いていた。
「それで、ですねぇ、」
山吹色を広げたままの姿勢で次に出てくる言葉も、そのときどんな表情をしているのかも、もう思い知らされていた。本日何回目なのかは数えられる気すらしなかったが。
「あの子たちは何をしていらっしゃるのでしょうか?」
アルマは目を輝かせた。
元来オークは人見知りが激しい種族であった。根っからの狩猟民であった彼らの世界は綺麗に三つに分かれていた。家族と、獲物と、それらに害を成す縄張りの外から来る敵であった。その区分しかなかった。そして、その風貌からよく誤解されていたが、彼らはとても素直で、綺麗好きで、情に厚かった。狩りの邪魔になるにも関わらず、先祖の犬歯を連ねた首飾りを必ず身に付けた。また、エルフやヒュームが「面倒くさいことになる」と察知して無視したり逃げたりするドワーフの小言も、オークは良く聞いた。いや、素直さ故にか、思ったことが簡単に口から飛び出て答えてしまっていた。
「あのなぁ、お前はもう柵に近づくな!」
この短期間でこのような物言いができることがバザラナの、そしてアルマの特性であったが、当人たちにその自覚は無かった。ただ、二人の顔と顔がどんどん近付いていく様を、ミムだけはじっと見つめていた。
「分かりました、バザラナさん! もう柵には近づきません。それで、ですねぇ、何故あの子たちは、腰にお縄を巻いていらっしゃるのでしょうか? 何故四人ずつ繋がれていらっしゃるのでしょうか? 何かのお遊戯なのですか? あの背中の大きな鞄には何が入っているのかしら? あちらの山ではなぜ何もないところで雪搔きをされていらっしゃるのですか?」
「あれは、訓練さ」
ドワーフ以外にもこんな奴がいるのか、と思いながら答える。
「訓練なのですか? あれが?」
「そうさ。私たちは基本、四人で小隊を作る。オーク、エルフ、ヒューム、ドワーフって具合にね。もちろん、状況によって隊の構成や規模は変わる。んで、当然歩く速度も違う。特にドワーフなんて足が短くてのろまだし――」
オークはせっかちだし、という言葉をガーリィーとレオンは心の中で忘れずに付け加える。
「ふん……んで、鞄の中にはシャベルと土くれしか入ってないのさ」
不意に男どもから感じた視線に鋭い一睨を返してから続ける。
「あの鞄に沢山取っ手みたいなのがついているだろ? 一年坊どもは気づくのさ、最初の訓練で。そもそも目の前の取っ手を捕まえたほうが速く進めるってことをね。平地ならどうとでもなるけど上ったり下ったり、ってなるともうね」
少しだけばつが悪そうな物言いに感じたが、バザラナが指差した先に向かって、アルマは柵に触れないように首と足首を思い切り伸ばした。すると、確かに目の前の鞄に掴まり互いにぴたりとくっつきながら雪山を登る四人組が複数見えた。整然としたその様は、十歳前後の子供たちであるにもかかわらず、確かに兵士のものであるように感じた。
その後ろで、ガーリィーとレオンは自分の腹部を撫でていた。
「そういえば酷かったよね、僕たちも」
「ああ、人生初の『腹が引きちぎられなかったことへの感謝』を神々に捧げた日だった」
「僕は逆だったよ。神様はもっと丈夫なお腹にしてくれれば良かったのにって。前からも後ろからも引っ張られるし。何回も叫んだよね、止まれ~って。なのに、誰かさんはさぁ、」
「よぉガーリィー、何か言いたそうだなぁ?」
「誰かさん」が引きつった笑顔で二人に迫ったときであった。背後でまた「きゃっ」という声が響き三人は慌てて振り返る。すると、ドワーフがヒュームの少女の両腿を後ろから掴み、その間に勢いよく頭を突っ込む姿が目に飛び込んできた。
「おい、ミム……」
まるでオークの声など届いていないかのように、ドワーフはそのまま無言でヒュームの少女ごとすいっと立ち上がり、肩車を作った。
「あっ、えっ? ちょっ、あの、ミム……さん?」
同じ女性とはいえ、出会って間もない人間にいきなり股の下に潜り込まれ、さすがのアルマも戸惑いと羞恥心に頬を染めた。
「大丈夫だよ。転ばないし、柵にも近づかないし、アルマはバザラナよりずっと軽いし」
三つの「大丈夫」が、自分の危惧する点と大きく異なっていることに抗議しようとした瞬間、アルマの視界は体ごと、強制的に左に半回転させられていた。