【狼と子羊】「奴めは野蛮なオーク。たかが蛮族の戯言にございます」 ヒュームの戦士 レオン
ノルス傭兵団で縦列に小隊を組む際には、オークを先頭としてエルフ、ヒューム、ドワーフと並ぶ形が基本となった。においと音をいち早く感じ取って敵を追撃し、また、敵からの襲撃に備えるためであったが、もう一つ単純な理由があった。最も体が大きく戦闘能力の高いオークが後列三名の矛となり盾となるためであった。状況によってドワーフやヒュームが先頭に立つこともあったが、鼻が利かないほどの大雨や強風であってもオークは先頭に立つことに拘った。なぜならば、自分は仲間たちの矛であり、盾であるのだから。
なぜならば、自分はオークなのだから。
ゴルドガは一時的に手を組むことになった間抜けなヒューモンどもに表面上は協力的な態度をとっていた。もっとも、ゴルドガなりの「協力的な態度」の内訳は「必要最低限の会話しかしない」というものが大部分を占めてはいたが。しかし、今はもう苛立ちを隠せなかったしあまり隠す必要も無いと考えていた。
教会の扉を開かない限りは絶対に安全なはずだった。しかし「こいつらの想像以上の馬鹿さ加減は、そんな状況を理解出来ていない程なのかもしれない」というゴルドガの不安と怒りは一気に限界に達した。爆発しなかったのは冷静さよりも単に呆れが大きく上回っていただけである。
先ほど、ヒューモンかエルフの娘が一人で来たらしいが、あろうことか下の豚野郎は招き入れたようだった。そして、そんな状況であるにもかかわらず、目の前の二匹のヒューモンは螺旋階段からたった十数歩程の距離で、その闇に向かって背を向けている。「我々には神々のご加護がある」などと偉そうにほざいていたが、どうやら神々はこいつらにまともな知恵を授けなかったようだ。
「おい、」
だから、こうなる。
「おい、てめえ、そこのオークっ! なにしてやがんだ、てめえはああぁっ!」
突然背後から響いた咆哮に二人のヒュームが振り返ると、既に眼前には緑の猛獣が迫っていた。小さな悲鳴とともに慌てて剣の柄に手をやった瞬間、背中をドンと、強く猛獣に向かって押し出された。
バザラナは左の肩口を前にして駆けていた勢いと自分に向かって倒れ込んでくるヒュームたちの勢いに任せて右から左に剣を大きく振り抜き、返す刃を眼前の敵に、憎き同族へ向かって叩きつけた。しかし無意識の内に期待していた手ごたえは、ガギンという派手な音と鉄と鉄が擦れ合う火花とともに打ち消された。二つの首がボトリと床に転がり落ちた後、手にした剣からは両手へ、全身へと、鈍い痺れが広がっていった。
……外された。「返し」じゃ足りない。……重い。
予想以上の硬さと自身の体重の軽さを同時に自覚し、少しだけ冷静さを取り戻しかけた矢先であった。再びバザラナの全身を灼熱が駆け巡った。
「てめえ、やりやがったな……」
鍔迫り合いをしている間に、オークの鼻は鋭敏に感じ取ってしまっていた。男の剣先から匂いたつ真新しいかおりを。嗅ぎなれてしまっていた、血の臭いを。
「殺りやがったな、エルフを……この、馬鹿野郎がああああ」
ゴルドガは剣を受け止めながら一瞬目を瞬かせた。みるみるうちに自分を押す力が膨らみ、後ずさりながら、しかし冷静に敵を見定めようとしていた。
最初の一撃は悪くなかった。不意を突かれていたらまず抜くことさえ出来なかった。この教会へ忍び込んだということは多少は知恵を巡らせる必要もあったはずだ。だが……
物音と、何より敵自身が発した大声に釣られて上層にいた男たちが一斉に螺旋階段を駆け下りてきたのはその時であった。全員が剣と黒い鎧を纏っていた。
「どうした?」「何事だ、今の音は?」「ジャミル、グレン!」
二人のオークの鍔迫り合いとその足元に転がった二つの赤い物体を見るや、最後の呟きを発した一人がバザラナの右に回り込み両手で固く握った剣を喉元へ突き出した。
バザラナは大きな舌打ちとともに後方へ飛び退きながら、顎先をかすめた鉄塊の根本に腕の力だけで剣を振り下ろした。今度は予想通りの確かな手ごたえとヒュームの絶叫が返ってきたが、声の主には一瞥もくれずに周囲を確認した。
ヒューモンが十一……合計十二か、残りは。いや、まだ残ってる可能性だってある。くそっ……何やってんのさ、私は!
バザラナが現状と己の間抜けさを毒づきながら息を整えているときであった。おもむろに眼前のオークが口を開いた。
「お前たちはまとめて下へ行け。最低でも三人いるはずだ。エルフとヒュームとドワーフがな」
「なんだと、貴様、オークの分際で我々に命令する気か?」
ゴルドガは味方のはずであるヒューモンどもに何の期待も抱いていなかった。だから腹を立てることもなかったし「お前たちでは束になってもこの娘に敵うはずがない」という本心も伝えなかった。淡々と、まるで出来の悪い他所の子供を諭すような心持ちで説明を続けた。
「ふん、ここは俺一人で十分だ。それよりも外の奴らを呼び込め。それで終いだ。こいつらの数はさほど多くない。もしある程度以上の数が居たならば、とっくにここへ来ているはずだ」
落ち着いた男の声に何人かのヒュームが顔を見合わせるのとバザラナが歯ぎしりするのは同時だった。
「早くしろ。司祭さま、が危険な目に遭っちまうぞ?」
その声を合図に数名がうなずき合い、オークたちを囲む輪が大きく拡がった。次いで、男たちはバザラナの背後にある螺旋階段目がけて一斉に走り出していた。
「待ちやがれ! ただで行かせ――ゴッ……ァ」
男から完全に目を切ってなどいなかった。少なくとも相手の剣は、両腕は殆ど動いていなかった。しかし、不意に側頭部を殴られたような、重い石を投げつけられたような強烈な衝撃が走り、バザラナはこめかみを押さえながら自身を打ったものの正体を探った。だが、足元には先ほど切り落とした首が一つ、恨めしそうに自分を眺めているだけであった。
何が起こったのか考えあぐねた。しかし、男の足元に転がったままのもう一つの首と男の右足に付いた血痕、そして、凄まじい形相で男に向かって何かを喚いている隻腕のヒュームを見てようやく合点がいき、息を呑んだ。
ゴルドガは左足に片手でしがみついて大声をあげているヒュームに一瞥を送ると無造作に首筋に剣を当てがい、滑らせた。怒りの表情が驚きと恐怖に、そして無へと変わっていくさまを見届けると視線をバザラナへと戻した。
バザラナはつい今しがたまで全身を駆け巡っていた灼熱が急激に冷やされ、霧散していくことを憶えた。雪のようにしんしんと、否、氷よりも冷たく、固く、重たくてどす黒いものに心が埋め尽くされていくことを感じとっていた。
黄色い瞳が交差した。刹那、二匹の獣は跳躍した。
ドサリという音を立てて左手を失ったヒュームがうつぶせに倒れた。