【初陣】「私らが蛮族だって? ふざけんじゃねぇ! それはてめぇらみたいなヒューモンどもの方だろうが! 私らは身内で戦争なんぞしねえ!」 オークの戦士 バザラナ
夜明け前の濃い霧が立ち込めている草原に、その四つの影は居た。
「ハッキリ聞こえる。すぐ傍だ。徒歩でも半刻とかからない」
「よし。狙い通りだな」
「分かるよ、私も。馬と鉄の臭いがプンプン漂ってくる」
「ねーねー、ラナ、一昨日の夜からあんなにウロチョロされたらさぁ、今朝ってことぐらいオークでも分かるんでしょ?」
「ふん……どうりで臭いわけだ。ドワーフが傍にいるんだからねぇ」
と言い終わるあたりで、大きな影と小さな影の頭をコツンと中くらいの影が小突いた。
朝露まみれで草原にうずくまっていたもう一つの影は、片耳を地面につけたまま大きな影と小さな影をじろりと見つめた。
小さな影は何故自分が小突かれたのか不思議そうに中くらいの影を見返した、が、すぐに前方に向き直った。
大きな影はやれやれと大げさにため息をつくと、次の瞬間には前方の霧を激しく睨みつけていた。まるで、親の仇でも見つけたかのように。
トン…トン…トンと、中くらいの影が、剣の腹で大地を三回叩いた。
神聖ヘルヴェティア王国ソーヌエル領は、三代目当主ペイリー伯爵が治めていた。未だに収束する兆しが見えない三十年戦争の渦中に於いて、まだ領地が残っているだけでもその強かさは確かなものであった。しかし、本人は領地の東西南北ともに盤石であるとは全く思っていなかった。特に北方のナールエル領とのいざこざは初代当主の代から続く大きな不安の種であった。その最たる要因は、この二つの領地が広大な平原で繫がっているということであった。境界線の目安に出来るような地形的な目印はもちろん、腰の高さを超える木々すら生えていなかった。果てもなく、膝の丈ほどの緑の絨毯が広がっていた。
だからこそ、父と自分は二代に渡ってこの地に砦を築き上げた。一体どれほどの「一朝一石」を積み重ねたのか数える気にもならない。払った代償も大きかったがそれ以上のものを得られたという確信がペイリーにあった。立派とは言えぬまでも、石造りの分厚い壁は人の手で乗り越えるには十分に高く、分厚かった。
それは、二日前だった。毎日時間を違わず朝、昼、晩と砦から交代に来るはずの早馬が、朝と昼しか来なかった。
すぐさま手勢を整えるとともに偵察隊を出すよう指示を出した。返す言葉で「既に手筈通りに出発しております」と報告を受け、さらに気を引き締めた。
どうか我らにご加護を。
翌日、行軍中に黒い装束に身を包んだ部下たちそれぞれから同様の報告を聞くと、少しだけ頬を緩めそうになりながら労いの言葉をかけていた。
騎兵だけで先遣隊を作ったのは当たりであったか。仮に五百の兵が相手だったとしても、あの砦ならば十日は持つ。すぐに助けに行く。あと一晩耐えてくれ。どうか我らにご加護を。
我が方 騎兵八百 砦内に歩兵二百 後詰めの歩兵五百
敵勢力 歩兵二~四百 騎兵なし 砦を取り囲むように布陣中
何とか夜明け前に砦まで馬で一息の場所に布陣を済ませ、ペイリーは考えていた。
昨晩まで砦を囲んでいた敵軍は自分たちと砦を挟んで反対側で野営をしている。感の良い指揮官がいるのかもしれん。しかし、このまま朝霧に紛れて奇襲をかけ、砦内の兵たちと呼応出来ればまず追い払うことは出来よう。仮に相手が粘るようであっても、今日の夜には後詰めが来る。そして、この平原であれば伏兵を忍ばせられる繁みもない。何より最高速で騎馬で突き抜けられる。しかも、この霧のおかげで弓も十分に使えまい。今助けに行くぞ。どうか我らにご加護を。
「全軍、突撃せよ!」
ペイリーは部隊を二つに分け、自身の率いる五百名が正面から、副官が率いる三百名が左方から挟撃する形を取った。騎馬を最大限に活用できる平原で、克つ兵力が敵の倍以上おり、朝霧に紛れ奇襲をかける。用兵は的確だった。的確なはずであった。
横列に敷いた自身の率いる第一陣がうっすらと敵の姿を確認したあたりだった。突如、半数以上の兵が落馬した。否、半数以上の馬が転倒していた。異常が起きたことこそ理解できたが、馬を止めようにも全体の勢いがつきすぎてしまっていた。転倒した馬と兵に向かって後続が雪崩のように次々と折り重なっていく。それでも馬をなだめながら何とか部隊の足を止めた、その瞬間であった。前方と後方から同時に、大量の矢の雨と獣の咆哮が降ってきた。
阿鼻叫喚の嵐の中、気付けば霧は晴れていた。陽の光によって映し出されたのは、前方に腰の深さほどの、敵陣をぐるりと囲むように造られていた二層の堀であった。茶色い二本の線が緑の絨毯を横切るように引かれている。そして、所々にある線の切れ目からは続々と、白銀の鎧を纏った戦士たちが突撃して来ていた。
「ナーマッドだ」という悲鳴が自陣の各所から漏れた。必死に剣を振り返す者もいたが、足を止めてしまった騎兵の群れに向かって銀色の槍の穂先たちは容赦なく蠢き、跳ね回り、更なる絶叫と赤い血しぶきをまき散らした。勢いを全く緩めず、いや、さらに勢いを増して、自陣を切り裂きながらペイリーの眼前へと迫ってくる。
そして突然背後から響いた別の狂騒に振り返ると、同じ鎧を纏った一団が挟み込むように駆け寄って来ていた。視界の端に映った砦には見覚えのない白地の旗が、狼の爪痕のような赤い四本の線が斜めに入った旗が、ゆらゆらと風に吹かれて舞っていた。
「まさか、落とされていたというのか、既に」
ペイリーは混乱した。
何故だ? この堀は騎兵にしか、夜かこの霧中でしか効果を発揮しえない。奇襲が読まれていた、いや、見えていたというのか? 位置が、時間までも、完全に……。砦は、いつの間に、どうやって? どうやっ、ぁがぁっ……
突然の衝撃に貫かれ、呼吸と思考が止まった。下方から急に差した眩しさに目を向けると、自分の胸に生えた真っ赤な槍の穂先がギラギラと朝日を反射していた。
既に、あの、時、いや、もっ…前、から……しょ、ぅ敗…決っ…て、ぃた……と、は。ぅ……み…ぁ、逃…ぉ。……ぁ、ど…か、ぉ……ぁ護――
「眠れ」
バザラナは静かに呟いた。
ナールエル領主ドノヴァン伯爵は、安堵と困惑と憐憫とが入り混じった表情でその首を眺めていた。
「これで追加の報酬も、だな」
非常に大柄な男の、いや、オークとしてはどの程度大柄なのか分からなかったが、ドノヴァンはその声でふと我に返った。
「ああ、もちろんだ。しかし、本当に……いや、どうやって? 貴殿等は歩兵五百名で、しかも三日後の、朝に片が付くと言った。……魔法でも使ったのか?」
まじまじと血と泥にまみれた緑色の顔を見つめた。黒にも紺にも見える短く切りそろえられた髪と高い鼻。大きな顎と真横に結ばれた口の端から上に向かって突き出た一対の大きな犬歯。両の瞼の下には真横に、両頬には縦に、それぞれ一筋の赤い血化粧が入っている。そして、太い首と分厚い胸板と丸太のように膨らんだ腕の筋肉、引き締まった胴、鎧からはみ出た緑色の地肌の各所に刻まれた無数の刀傷の跡が、男が歴戦の戦士であることを雄弁に物語っていた。しかし、表情は全く読めない。
「ふん、もし魔法などというものがこの世にあるのならば、死ぬまでに拝んでみたいものだな。それに……こちらにも死傷者は出た」
そう言うと、ゆっくりと大男は踵を返した。詳しい話を聞きたいという自分の願いが拒絶されたことを悟ったが、ドノヴァンは立ち上がって頭を垂れた。それは依頼人としてではなく、教会から洗礼を受けた一人の騎士として当然の振る舞いだと思ったからであった。
「バルゴラ殿、戦場にて貴殿等と相まみえぬことを願う。ご武運を」
すると、扉を開いて部屋から出て行こうとする男の足が止まった。
「ふん、一つだけ忠告だ。初対面のときから俺たちを貴殿なんぞと呼ぶ、あんたに対して」
先ほどと同じ面相であったが、少しだけ、極僅かに、黄みがかった目の色が異なっているように感じた。
「あの砦はぬるい。もし使うならしっかりと土を踏み固めろ。砦内も、その周囲もだ」
そう言うと今度こそ男の足は止まることは無かった。
「ご忠告、痛み入る」
自分の声が届いたのか、定かではなかった。
ふと顔を上げると首が目に入った。丁寧に死化粧が施されていた。
「蛮族などと呼べるものか。……ペイリーよ、相手が悪かったのだ。眠れ、安らかに」
自分の声が届いたのか、定かではなかった。
ノルス共和国は国土の大半が高い山々に覆われていた。険しい山脈に囲まれ、一年の半分は雪に包まれた。畑になり得る耕地など限られていた。そのため、狩猟や牧畜や、僅かな鉱山から産出される鉱石の加工が産業の中核となる貧しい国であった。しかし、それ故に近年もう一つの産業が発達していった。
「人」の輸出。傭兵業であった。
もともと神聖ヘルヴェティア王国の北端の領地であったノルスは、小数のドワーフ族とオーク族しか住まない不毛の土地であった。しかしおおよそ二十年前、当時、十年戦争と呼ばれた王位継承権を巡る争いによってヘルヴェティアが疲弊していくとともに、戦禍を免れた人々がこの地に集まってきた。
当然、先住者たちと流浪の民たちとのいざこざや東の隣国トゥクワイからの侵攻など、様々な問題が発生したが、それらを解決し多民族国家としてノルスをまとめ上げたのが、後に太陽王とも蛮王とも称されたノルス建国の父アレーティアであった。
アレーティアはその治世において、当時としては画期的な幾つかの施策を行った。
まず、王政と奴隷制を廃止し、各部族の代表者からなる議会を作り上げ、国の自治をそこに委ねた。そして、畑が雪に覆われる冬期に全部族を集め、合同で訓練を行った。
ヒュームもエルフもドワーフもオークも、全ての子供たちはギルドと呼ばれる場所で、簡単な読み書きから山羊の皮の剥ぎ方、毒にも薬にもなる野草の見分け方、そして、剣の握り方を教わった。
ノルス建国からニ十回目の冬を迎えるころには「ナーマッド(北の蛮族ども)」「ブロッデーショナリー(血まみれ傭兵団)」「血に飢えた餓狼ども」「神への反逆者ども」など、他にも数え切れないほどの蔑称がノルス傭兵団に付け加えられていた。
そして人々はいつしか、畏怖を込めて彼の傭兵たちが住まう国を呼ぶようになっていた。
「蛮族の国」と。