第七話 ドイツ対フランス その5
はい、皆さん、前回からは時間が開いてしまい。申し訳ありません。
早速、本題に入らせていただきます。
フランスの砂浜に多数の自動車運搬船から農業用トラクターと民間用トラックが上陸しました。
船の乗組員に偽装していたドイツ陸軍軍人たちは船底に隠していた軍服に着替えて上陸しました。
同じく船底に隠していた小銃や機関砲を取り出し、機関砲は農業用トラクターに装備し、即席の軽戦車となりました。
トラックにドイツ陸軍兵士たちは乗り込み、進軍を始めました。
目的地はもちろんフランスの首都パリでした。
進軍は順調でした。
フランス国内の各地にはドイツ資本によるガソリンスタンドや自動車修理工場が多数あり、燃料や修理用の部品は事前にそこに用意されていました。
ガソリンスタンドには食堂も併設されており、食糧もそこに用意されていました。
ドイツ軍の海からの奇襲に対するフランス軍の対応は、お世辞にも誉められたものではありませんでした。
パリの郊外にあったフランス軍最高司令部がドイツ軍が奇襲上陸をしたことを把握したのは、上陸からまる一日以上経過した後でした。
これはフランス陸軍軍人の個々の能力の問題ではなく、フランス陸軍の指揮系統・通信系統の問題でした。
以前も言いましたが、フランス陸軍はマジノ線による防御をドクトリンとしております。
第一次世界大戦における塹壕戦では、状況が変わるのは日単位でしたので、フランス陸軍による指揮系統・通信系統がそれに対応したものになっていたのでした。
フランス軍最高司令部には無線通信機すら無く、主な連絡手段は伝令でした。
そのため最高司令部に末端からの情報が伝わるには一日以上かかり、逆に最高司令部の命令が末端に届くのにも一日以上かかるのでした。
これでは数時間単位で状況が変わる現状には対応できませんでした。
最高司令部は古くなった情報から判断し命令を下すので、命令が現場に届いた時には、その命令は意味が無くなっているのでした。
開戦前には、フランス最高司令部の幕僚が無線通信機の設置を提案しましたが、最高司令官が「君はラジオで競馬中継を聴くように戦争をやれと言うのかね?」と言って却下しました。
ドイツ軍奇襲上陸部隊は途中拠点となる都市などを占領することなく、ガソリンスタンドと自動車修理工場で補給をして、ひたすらパリを目指しました。
これもフランス軍最高司令部が混乱した理由で、フランス軍は奇襲上陸部隊が拠点となる都市を占領すると予測していたので、進撃速度を遅く見積もってしまっていたのです。
それでも、奇襲上陸部隊がパリに近づく前に、フランス軍はマジノ線に向けた部隊の一部をパリ防衛に回すことに成功しました。
しかし、その結果……。
あっ!時間となりました。
次回もよろしくお願いいたします。
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