第六十九話 中華民国 その13
はい、前回の続きを話します。
朝鮮半島には自治権を与え、朝鮮自治政府国境警備隊が設立されました。
朝鮮総督府は段階的に廃止されることになり、行政の権限は朝鮮自治政府に段階的に移譲されることになっていました。
最終的に朝鮮が独立国になった場合は、日本政府と朝鮮政府の間に安全保障条約を結び、引き続き日本軍は朝鮮半島に駐留することを構想していました。
国境警備を朝鮮自治政府に任せたのは理由があります。
ソ連との国境紛争が起きた場合、日本陸軍ではなく朝鮮国境警備隊を矢面に立たせることで紛争が拡大するのを予防しようとしたのでした。
問題になったのは、朝鮮国境警備隊にどのような戦車を配備するかでした。
日本陸軍と同じライセンス生産したドイツの四号戦車では、万が一朝鮮国境警備隊が日本軍に対して反乱した場合に鎮圧に手間取ります。
しかし、あからさまに四号戦車より弱い戦車では、朝鮮自治政府から反発されます。
それで行き場を無くしていたチハ戦車の製造施設を朝鮮半島に送ることにしたのでした。
朝鮮自治政府としはチハ戦車は四号戦車より弱い戦車でしたが、自前の戦車製造工場を持てることと、その工場で働く労働者は朝鮮人なので雇用が確保できることになるので受け入れました。
朝鮮半島で製造されることになったチハ戦車は、正式名称は「朝鮮自治政府国境警備隊一型戦車」でした。
しかし、製造工場で管理職である日本人が「チハ」と呼んだため、朝鮮人労働者も「チハ」と呼ぶようになり、朝鮮国境警備隊の隊員も「チハ」と呼ぶのが定着しました。
さて、そのチハ戦車が中華民国に輸出されることになった経緯について説明します。
日本政府は中国共産党をソ連が支援して、中国共産党の支配領域が拡大するのを恐れていました。
日本はソ連とは戦争状態にはありませんでしたが、ソ連の影響力が中国大陸で強まるのは将来的に脅威になると考えていました。
しかし、中華民国は合衆国と同盟関係にあるため、日本が直接支援することはできません。
そこで考えられたのが朝鮮半島からのチハ戦車の輸出でした。
もちろん、直接輸出するのは不可能なので裏の手を使いました。
中華民国には朝鮮族が居住しており、朝鮮半島との貿易は「同じ民族」ということで民生品に限り許可していました。
まず、チハ戦車の車体を「農業用トラクター」「土木作業用車両」の名目で輸出しました。
そして砲塔や砲身は「スクラップ、鉄屑」として輸出しました。
続きは次回に話します。
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