第四話 ドイツ対フランス その2
はい、皆さん、またお会いできましたね。
前回の話の続きをします。
ドイツによるフランス奇襲ですが、攻撃開始の四十八時間前にドイツから宣戦布告をしたのですが、フランスの方から先手を打ってドイツ領に進攻するということはありませんでした。
なぜなら、フランス陸軍のドクトリンが「防御」になっているからです。
第一次世界大戦においてはフランス陸軍は塹壕戦に見られるようにドイツ陸軍の攻勢に一時はパリを重砲の射程内に入れられても耐え抜き、ドイツは国内が疲弊して戦争継続が不可能となり、フランスは勝利しました。
その経験にもとづきフランス陸軍は整備されているので、「攻勢」には向いていないのでした。
フランス陸軍は長年莫大な国費をつぎ込み整備してきた「マジノ線」による「防御」で、第一次世界大戦と同じく第二次世界大戦にも「勝利」するつもりだったのです。
宣戦布告から、きっちり四十八時間後、ドイツ空軍によるマジノ線への空襲により、開戦となりました。
マジノ線は空襲に耐え抜き、ドイツ陸軍が野戦重砲を前進させての砲撃にも耐え抜きました。
フランス政府も軍の上層部も「マジノ線は期待通りの働きをしている」と考えました。
例え、マジノ線が突破されても、その時はドイツ軍は激しく消耗しているはずなので、歩兵部隊や戦車部隊で阻止できると考えていました。
さて、当時のフランス陸軍の戦車については、現在では批判されることが多いです。
速度が遅く、砲搭は戦車長の一人乗りため、戦車長が砲手と装填手の一人三役を兼任しなければならず。しかも、無線機を載せているのが隊長車だけなので、戦車長が手旗で連絡しなければならないというものでした。
装甲がドイツの戦車より厚いのが長所というぐらいでした。
しかし、フランス陸軍のドクトリンの「防御」に合わせた戦車なので、こういう性能になっているのです。
それに対して、ドイツ陸軍のドクトリンは「攻勢」でした。
ドイツは国の東西をフランスとソ連という大国に挟まれているので、どちらか一方と戦争をしている時には常に背後を気にしなければならず。そのため短期戦に志向した「攻勢」がドクトリンなのです。
そのドクトリンに合わせてドイツの戦車は、装甲は比較的薄いですが快速で、全車両が無線機を搭載していて迅速な対応が可能でした。
さて、話を戻して、マジノ線でドイツ軍の攻勢が膠着すると、フランス軍はマジノ線に増援を送りました。
フランスの他の地域は手薄になったのでした。
そこにドイツ軍は……。
あっ!時間です!
また次回にお会いしましょう。
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