第三話 ドイツ対フランス その1
はい、皆さん、私の話を聞くために集まってくださって、ありがとうございます。
さて、前回の最後で、枢軸国の仕掛けた「罠」と言いましたが、それについて話すには、ドイツのフランス奇襲と日本のハワイ奇襲について話さなければなりません。
まずは、ドイツのフランス奇襲について話しましょう。
ドイツはフランスに対しての奇襲攻撃を計画しましたが、そのためには背後の安全を確保しなければなりませんでした。
具体的にはソ連とポーランドです。
幸いにも合衆国は思想的に相容れないソ連とは最低限の国交しかしていない状況でした。
ドイツはソ連から大量の石油・鉱物資源・穀物を輸入しており、ソ連にとって貴重な外貨獲得の手段だったので、ソ連から関係を悪化させる可能性は低かったのです。
ソ連から輸入される物資は、主にポーランド国内の鉄道を使ってドイツに運び込まれていました。
ドイツはポーランドに高めの通行料を支払っていたので、ポーランドも関係を悪化させる可能性は低かったのです。
こうして後方の安全を確保したドイツはフランスへの進攻作戦に専念したのです。
フランス進攻作戦をドイツ陸軍参謀本部が計画した段階で問題になったのが、ドイツ・フランスの国境にある要塞地帯であるマジノ線です。
国境にまんべんなく要塞が設けられており、これを正面から攻略するのは不可能とされていたのです。
ドイツ陸軍参謀本部は、当初の計画では中立国であるオランダ・ベルギー・ルクセンブルクに進攻して、マジノ線を迂回することを考えたのですが、総合戦略研究所はその計画に重大な欠点があると指摘しました。
中立国に一方的に進攻すれば「悪逆な侵略者」として国際的に批判されることになるからです。
そのため、この計画は中止となりましたが、代わりの案は思いつかず。一時手詰まりの状態でした。
その状態を打開したのが、日本に人事交流のために派遣されていたあるドイツ陸軍将校でした。
ドイツ軍人のほとんどは、海軍はともかく陸軍については日本から学ぶことは何もないと考えていて、日本に派遣されるドイツ陸軍将校のほとんどはドイツの軍事技術を一方的に日本陸軍に教えるだけでした。
日本陸軍側でも、それを当然と考えていたのですが、そのドイツ陸軍将校は戦史研究を個人的な趣味としており、日本が近代国家となった内戦である戊辰戦争・西南戦争についての資料を読み漁ったのです。
それには、兵力を船舶により海上機動させて、敵の後方や本拠地に上陸させた作戦が多用されたことが書かれていました。
島国の日本ならではの作戦でしたが、そのドイツ陸軍将校は「フランス進攻作戦に応用できないか?」と考えたのでした。
実際に行われた作戦は……。
あっ!時間ですね!
また、皆さんとお会いできるのを楽しみにしています。
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