第二十二話 日本対合衆国 その7
はい、前回の最後に「航空機で戦艦が撃沈できるか?」という議論に、総合戦略研究所は「その議論に意味はない」という結論だったと話しました。
その詳細を話します。
例えば、十万トンの戦艦を建造し、常に上空警戒可能な数の戦闘機を載せた空母を随伴させれば、まさにそれは航空機に対しては「不沈艦」になるでしょう。
しかし、そのような戦艦を建造しても意味はありません。
なぜならば、戦艦の主砲の最大射程距離は四万メートルほどですが、航空機ならば攻撃可能距離は数百キロになります。
戦艦の主砲は戦艦同士の砲撃戦と対地艦砲射撃にしか使えませんが、航空機は対艦攻撃・対地攻撃・対潜攻撃・対空攻撃と多目的に使えます。
つまり、戦艦より航空機の方が「柔軟性」があるのです。
ただし、極端な航空主兵主義者の「海軍には空母と航空機と駆逐艦と潜水艦があればいい」との主張には総合戦略研究所は異議を唱えており、「艦隊は戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦・多様な補助艦艇により構成されたシステムであり、そのシステムには柔軟性がなければならない」と結論しております。
もし、十万トンの戦艦を建造すれば、他の艦艇の建造を縮小することになり、戦術に柔軟性をなくすと結論してもいます。
日本海軍は、大和型戦艦以上巨大な戦艦を建造しても「使い勝手が悪い」と判断しており、大和型戦艦を最後の戦艦としております。
さて、その大和型戦艦の初陣となった「ハワイ奇襲」について、ここからはお話します。
合衆国では「ハワイ奇襲」と学校の歴史の教科書に書かれていますが、枢軸国は攻撃開始の四十八時間前に宣戦布告をしたので「ハワイ攻略」が正しいです。
合衆国太平洋艦隊が本拠地としているハワイに日本海軍が開戦初日に攻撃しようとしていることは、通信傍受等によって合衆国太平洋艦隊司令部は察知しておりました。
就役したばかりの戦艦「大和」に連合艦隊司令長官山本五十六が座乗し、当時の日本海軍の戦艦全艦十一隻と正規空母全艦六隻がハワイに向かっていました。
空母部隊を率いるのは空母「赤城」に座乗する小沢治三郎提督でした。
重雷装艦「北上」「大井」を含めた水雷戦隊も同行しており、重巡洋艦「愛宕」に座乗する南雲忠一提督が指揮していました。
小沢提督は航空の専門家、南雲提督は水雷の専門家なので適材適所と言えるでしょう。
それに対する合衆国太平洋艦隊は、こちらも就役したばかりの戦艦「モンタナ」に太平洋艦隊司令長官ハズバンド・E・キンメル提督が座乗し、空母部隊を率いるのは空母「エンタープライズ」に座乗したウィリアム・F・ハルゼー提督で、水雷戦隊は重巡洋艦「インディアナポリス」に座乗したレイモンド・A・スプルーアンス提督が指揮していました。
ハルゼー提督は航空の専門家、スプルーアンス提督は主に巡洋艦部隊を指揮していたので、こちらも適材適所でした。
日本海軍連合艦隊と合衆国海軍太平洋艦隊、二つの艦隊の戦闘の経緯については次回よりお話します。
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