第二話 第二次世界大戦 開戦
はい、皆さん、またお会いできましたね。
前回の続きをお話しましょう。
さて、第二次世界大戦は、日本・ドイツの枢軸国からの奇襲攻撃で始まったため、特に合衆国からは「枢軸国は計画的に侵略戦争を始めた」と言われます。
しかし、枢軸国側からすれば「自律自尊のための戦争」でした。
当時の合衆国が日本・ドイツにした外交上の要求は受け入れられるものではなく、合衆国が計画的に日本・ドイツを潰そうとしているのは明らかでした。
日本・ドイツ・南部連合国の軍人・学者などが集まって結成された枢軸国総合戦略研究所での研究結果では、戦争を回避できたとしても十年後には経済的に合衆国の支配下になっているという結論でした。
日本・ドイツ・南部連合国は正面戦力で合衆国に優越している今しか事態を打開する機会はないと考えたのでした。
当時の合衆国大統領は「若者を外国の戦場に送らない」を公約として選挙に当選していたので軍事予算は少な目でした。
しかし、イギリス・フランス・中華民国に多額の資金援助をすることで、日本・ドイツの伸長を押さえようとしていました。
時間が経てば経つほど、イギリス・フランス・中華民国の軍事力は、合衆国からの資金援助で強化されます。
その前に奇襲攻撃で、潰してしまおうとしたのでした。
さて、「奇襲攻撃」と言っても「宣戦布告無き奇襲攻撃」をしたわけでも、「奇襲攻撃数十分前に宣戦布告」をしてわけでもありません。
そのようなことをすると「卑怯な騙し討ち」として合衆国政府は宣伝して、合衆国国民の戦意が爆発的に高揚してしまうと、総合戦略研究所は結論しました。
そのために、日本・ドイツは、開戦の四十八時間前に合衆国・イギリス・フランス・中華民国に宣戦布告をしました。
合衆国ではワシントンのホワイトハウスに大勢の新聞記者を集めて、彼らの目の前で日本大使とドイツ大使が合衆国大統領に直接宣戦布告文書を手渡しました。
これらは「卑怯な騙し討ち」という批判を避けるためのものでした。
えっ!?南部連合国は合衆国に宣戦布告をしなかったのか?ですか?
はい、当初、南部連合国は参戦しませんでした。
枢軸国の軍事条約では、枢軸国加盟国のどれか一国が他の国から攻撃された場合は、他の枢軸国加盟国は参戦義務があるのですが、枢軸国側から攻撃する場合は参戦義務は無いのです。
当時の南部連合大統領は「当面、我が国は中立を守る」と表明して、国境警備を少し強化しだけでした。
合衆国政府は南部連合国の対応を喜びました。
南部連合国に対する融和政策が上手くいっていると考えたのです。
南部連合国が参戦しないのならば、合衆国本土が攻撃される可能性は減少します。
当面はイギリス・フランス・中華民国を矢面に立たせて、その間に合衆国本土で動員と兵器生産をして、軍備が整ったら日本とドイツを倒そうと考えていました。
日本とドイツを倒してしまえば、孤立した南部連合国はどうとでもできると考えていました。
しかし、それが枢軸国が仕掛けた「罠」でした。
それは……。
あっ!時間になりましたね!
続きは、また今度!
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