第十八話 日本対合衆国 その3
はい、前回の話の続きをします。
合衆国で空軍の設立に失敗したことは、日本陸海軍にも影響を与えました。
日本は陸軍はソ連を仮想敵国、海軍は合衆国を仮想敵国としていました。
合衆国と同じく陸軍と海軍で仮想敵国が違うという特徴があったのです。
合衆国陸海軍の対立を見て、国力の劣る日本で同じことしたら軍備に支障が出ることを危惧したのでした。
合衆国では陸軍省・海軍省の上位組織である国防総省と陸軍参謀本部・海軍作戦本部の上位組織である統合参謀本部を設立しようとする動きがありましたが、陸軍と海軍のどちらが主導権を取るかで争い。結局設立されませんでした。
合衆国では陸軍と海軍とで争いが起きると、大統領が調整するしかなく、調整に失敗した大統領が政治的に致命傷を受けることもありました。
それを見て、日本政府・軍部は危機感を覚えました。
日本では憲法上陸海軍の統帥権は天皇にあり、陸海軍の対立の責任が天皇にまで波及するおそれがあったからです。
そのため日本は軍事制度の改革に乗り出しました。
まず、軍需省を設立し、陸海軍の軍需についてを管轄としました。
軍需大臣は文民とし、軍需省職員は陸海軍から出向する軍人は半数以下で文官の方を優位としました。
当初は国防省を設立しようとしたのですが、反対が多く、当面は軍需省を布石として将来の国防省設立に繋げようとしたのです。
軍需省を通じて陸海軍の軍人たちは他の省庁との職員との交流が進み。以前より組織の風通しが良くなりました。
そして戦時に設立される大本営の最高責任者を内閣総理大臣としたのでした。
これは戦争責任を天皇に負わせないための制度でしたが、内閣総理大臣が平時からも強く軍事に関わることができるようになり、不完全ながら日本における文民統制が進みました。
さて、日本でも陸海軍はそれぞれ航空隊を持っていました。
空軍の設立は反対が多く困難でしたが、陸海軍で別々に似たような航空機を開発するような無駄も多かったので、陸海軍合同航空隊が設立されました。
陸海軍合同航空隊には、陸軍の重爆撃機と海軍の陸上攻撃機、それを護衛するための戦闘機が配備され、陸海軍の搭乗員が所属しました。
陸軍のパイロットも洋上航法や航空雷撃の訓練をし、海軍のパイロットも対地攻撃の訓練を増やしました。
合同航空隊の司令長官は平時は陸海軍の将官が輪番で務め、戦時は対ソ連戦の時は陸軍将軍が司令長官になり、対合衆国戦の時は海軍提督が司令長官になることになっていました。
時間になりました。
続きは次回にお話します。
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