表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北の大地で君と 後編  作者: 高松忠史
1/1

ペルシウス座流星群


13 光る宙


朝 愛蘭が起きると洋介は既に起きていて広縁のソファーに座って庭を見ていた。


洋介さんおはよう

愛蘭は布団から声をかけた。


ああ…おはよう

洋介は庭を見たまま振り向くこともなく元気なく答えた。


朝食の時間も洋介は愛蘭の問い掛けに気の無い返事で視線を合わせようとしなかった。


元々寡黙な洋介ではあるが更に口数が少なくなっていた。


愛蘭は洋介の横顔を見ながら思った。

洋介さん後悔しているの?…

洋介さんは美紗子さんのことをまだ…


私が無理矢理あなたの心の扉を開いてしまったの?


愛蘭は悲しかった。


愛蘭 今夜もしかしたらペルシウス座流星群が見られるかもしれない。

一緒に見に行かないか?

それが洋介が愛蘭の目を見て話した唯一の言葉だった。


うん…

愛蘭には否応もなかった。


昨日までの雨は上がっていたが空は曇っていた。


愛蘭は帰国前に父親や友人、学校の子供達にお土産を買うべくお店によってもらうよう洋介に頼んだ。


洋介は一緒に店に入ることは辞退した。

洋介には現実を突きつけられてとても耐えられなかったのだ。


一人で洋介は車で待った。


愛蘭 ごめんよ…

俺は冷酷で酷い男だよな…


洋介は昨晩 愛蘭を抱いたことを後悔していない。

また美紗子に対しての罪悪感や背徳感があった訳でもない。


洋介の気持ちには愛蘭に対する別の想いがあった。

洋介は静かに目を瞑った。


買い物を終えた愛蘭を乗せた車は最後の目的地へと出発した。


そこは冬になると多くのスキーヤーが訪れるいくつものゲレンデがある山を更に上に登った場所にあるキャンプ場だった。


空が近く感じられる。

周りには民家や建物もない人里離れた森の中のキャンプ場で利用者は誰もいなかった。


山の中のキャンプ場で洋介は夜を迎える準備をすることにした。


洋介は森の中へ入って薪を集めた。


愛蘭はその様子をただ座って眺めていた。


そして時は悪戯に過ぎていった…


日は翳りあとは流星群を待つばかりであった。


洋介は火を起こし薪に火をつけた。


奇しくも出会った海と同じように最後の夜 二人は焚火を囲んでいた。


しかし、今の愛蘭の洋介を見る目は海で見せた憎悪に満ちたものではなく、悲しさで潤んだ目を洋介に向けていた。


依然空には雲がかかり星空を見ることは出来ない。


夜のしじまが二人を優しく包み込んでいった。


洋介は湧水地で汲んできた天然水を沸かし紅茶をいれ

無言で熱い紅茶を愛蘭に差し出した。


二人は焚火の炎を見つめたまま紅茶を口にした。


愛蘭は心憂い思いで洋介に目を向けた。

相変わらず洋介は遠い目をして炎を見つめていた。


愛蘭は口を開きかけたが言葉を飲んだ。

愛蘭は怖かった…

今 洋介に語りかけたらこの場ですべてが終わってしまう気がした…


風が出てきた。

木々がサワサワと音を出して揺れている。


洋介は車から毛布を取り出してきて優しく愛蘭の肩にかけた。


愛蘭は海でタオルをかけてくれた洋介を思い出した。


あの時と同じ…


洋介の優しさは何も変わらなかった。


しかし洋介は何かを思いつめたように寡黙であった。


洋介さん…

どうして何も言ってくれないの…

洋介の沈痛な面持ちに愛蘭は目を伏せた。


こんなに近くにいるのに…

ここにいる洋介はとても遠くにいるようだった。


焚火の中で燃える枝が転げ落ちた。



愛蘭の訴えかけるような目が洋介には辛かった。


洋介の思いは一つだった。


愛蘭の本当の幸せを願うこと…


これだけだった。

しかもこの瞬間のことではない…

これから先の愛蘭の幸せを…


洋介にも愛蘭の自分に対する想いは痛いほど伝わっていた。


しかし洋介は将来のある愛蘭を自分などが引き留めることなどあってはならないと思っていた。


悲しい目をして炎を見つめる愛蘭をチラッと洋介は見た。

心の中で洋介は愛蘭に語った。


愛蘭 …今の俺は職すらない

しがない中年のヤモメ男なんだよ…

しかも歳だって違うしどう考えたって釣り合いが取れる訳ないじゃないか…


君には眩しいくらいの将来が待っている。

どうかわかってほしい…

俺は君には幸せになってほしいんだ…



だけど…今 君に俺の気持ちを伝えてもきっと君は

そんなことないって

頑なに認めようとはしないんだろうな…


だから…言えない…

俺の気持ちは君に伝えることはできないんだよ…


そして洋介は湧き上がるもう一つの自分の気持ちに蓋をした。


俺さえ耐えれば…

洋介は胸が締め付けられる思いを必死に堪え固く目をつむった。


二人の想いは悲しくすれ違った…


パチパチと風に煽られて勢いよく枝が燃えていた。


洋介は燃えさかる炎を静かに見つめていた。


急に今まで封印していた記憶が呼び起こされた。

理由はわからない。

洋介が望んだことでもなかった。


それは美紗子との最期の別れの時…


ご主人直ぐ病院に来てください。

仕事中の洋介は病院からの電話に呼び出された。


奥さんの容態が急変しました。

入り口で看護師に告げられ洋介は集中治療室まで走った。


集中治療室の中で美紗子は酸素マスクを付け息を白く苦しそうに呼吸をしていた。


このとき美紗子はげっそりと肉が落ち頰は削げ眼の周りはくぼんでいた。


洋介が息を切らして着いた時医師から首を横に振られた。


そんな…


洋介は美紗子のベッドの横に行って美紗子の名前を呼んだ。


美紗子!美紗子!


美紗子はかろうじて薄く目を開けるともう見えなくなった目で洋介を探した。


美紗子、俺だわかるか?


ゆっくりと上げられた美紗子の右手が宙を彷徨った。


洋介はしっかり美紗子の手を両手で掴んだ。


ハア…ハア…

美紗子の息が荒くなった。


美紗子、しっかりしろ…

洋介は涙を浮かべて声をかけた。


美紗子の口がパクパク動いていることに洋介は気づいた。


何だ美紗子?

何を言いたいんだ?

洋介は美紗子の口元に耳を傾けた。


美紗子は最期の力でか細い声を出した。



あなた…

愛してる…



洋介は美紗子の顔を見た。

一瞬微笑んだように洋介には見えた。


その瞬間、無情にも心電図のモニターの画面が変化し音が平らな信号音に変わった。


洋介に預けた美紗子の手の力ががくんと落ちた。


医師は蘇生を試みようとベッドに近寄った。


もういいんです

止めてください…


洋介は震える声でやっと声を出した。


それでも看護師が器具を持って近寄ってきたとき


止めてください!

洋介は怒鳴った



家に帰ろう…



洋介は涙を流しながら美紗子の頰を撫でた…


美紗子は穏やかな顔で二度と目覚めることのない永遠の眠りについた…



強い風が炎と周りの木々の葉を揺らした。


洋介は瞳に溜まってる涙が溢れないように上を向いた。


空が…


洋介は思わず呟いた。


愛蘭もつられて空を見上げた。


なに…これ…


雲が流れて夜空は晴れていた。


瑠璃色の夜空を幾千幾万の星々が

眩ゆいばかりの光芒を放ち光り輝いていた。


それは宇宙創世のままの姿をまざまざと見せつけているようだった。


ミルキーウェイ と呼ばれる天の川が白いインクをこぼしたかのように無数の星々の集団を形成していた。


二人はまるで自分たちが天の川銀河の中心ににいるような錯覚に陥った。


そして…


流星群という名の煌めく光芒の矢が地上めがけて降り注いだ。


それはまるで宙が二人の悲しい別れに涙を流しているようだった。



洋介と愛蘭は無言のまま宙を見続けた…


二人にとって最後の夜が終わろうとしていた…




14 妻が残した手紙



凛とした空気が朝の山を包んだ。


愛蘭が車で身仕度をしている間洋介は既に火は消えている焚火の灰に木の枝で文字を書いた。


うつむいて石ころばかり


準備できたよ…

愛蘭から声がかかると洋介は枝でグシャグシャと文字を消して立ちあがった。


愛蘭は真っ白のブラウスに首には黄色いスカーフを巻いていた。


そう…

愛蘭はまだ信じていた…


二人は車に乗り込むと空港へ向かって出発した。

空港へ近づく一歩一歩が別れのカウントダウンであることを二人は理解していた。


愛蘭は力のない哀しい目で景色を眺めている。


洋介は何もかける言葉がなかった。

湧き上がる感情を必死に抑え洋介は思った。


愛蘭…この旅が君にとって将来の糧になってくれたらと心から願うよ…

俺のことを忘れてくれたって構わない…

自分の人生の大事な分岐点となったこの北の大地のことだけをいつか思い出してくれたなら…


俺は…


俺は愛蘭 君のことを一生忘れないよ…


洋介の瞳には涙が浮かんでいた。


二人言葉も無いまま車は無情にも空港へ到着した。


駐車場に入った車のエンジンが切れ車内に静寂が訪れたとき愛蘭はすべてが終わったことを悟った。


愛蘭は粛々と荷物を取り出すと洋介とともに空港のエントランスへ入っていった。


ここでいいよ…

愛蘭は振り返り洋介を見た。


洋介は震える手を握ってごまかした。

洋介はまともに愛蘭の顔を見ることが出来なかった。


洋介さん今までありがとう…

元気でね…


うん…

愛蘭も元気で…


愛蘭の右目からツゥーと涙が流れた。

愛蘭は洋介に涙を見られないように右を向いた。


洋介の沈痛な面持ちを愛蘭は見続けることが出来なかった。


愛蘭は歩き出した…


そして決して振り返らなかった。

振り返れば寂しくなるから…

愛蘭の瞳からは止めどなく涙が流れていた。


万感の思いで愛蘭は旅立っていく…


あまりにもあっけない別れだった。


洋介は茫然と愛蘭の後ろ姿を見送った。

やがて人混みに紛れて愛蘭の姿は洋介の視界から消えた…


洋介は倒れそうになる身体を必死に堪えた。


これでよかったんだ…


これで…


洋介の心は愛蘭が去っていくことへの悲しみ、自分自身に対しての不甲斐なさ、喪失感、絶望、様々な気持ちが混同し宙を彷徨っていた。


目には涙が浮かび足は雲の上を歩いているようにフワフワして手は震えていた。


蒼白のまま車に戻ってきた洋介は虚ろな目で呆然としていた。


最早洋介には時間の感覚も喪失していた。

どのくらいそうしていたのか…


そんな時洋介の電話が鳴った…

倉田からだった。


もしもし倉田です。

南波さん?


はい…


どうです旅を楽しんでいますか?


ええ…まあ…


元気のない声で洋介は答えた。

こんな嘘が倉田に通用する筈はないと洋介は思った。


暫く沈黙が続いた。


南波さん…

この前南波さんは僕に

今幸せですか?

って聞きましたよね?


ええ…

倉田さんは幸せだと…


はい。そう答えました。


今日電話したのはあの時南波さんに聞き忘れたことがあったからです。


何ですか?


南波さん…


南波さんの幸せって何ですか?


え…?


俺の幸せ…?


洋介の頭の中は真っ白になった。


洋介はその言葉で思考が止まってしまいその後倉田の話しに相槌を打つだけだった。

暫くして倉田の電話は切れた。


俺の幸せ…?



わから…ない…



涙が溢れた…


心臓の鼓動が早くなってブルブル手足が震えた。

息を吸うことも辛い。


洋介は震える手でグローブボックスを開き美紗子からの手紙を取り出した。


これは美紗子が死の間際 これから先洋介がどうしても悲しくて我慢出来なかった時、道に迷ってしまった時に開けてと渡されたものだ。


洋介は震える手で手紙を開封した。




あなたへ


この手紙をあなたが読んでいるときには私はもうあなたの側にはいないのでしょうね…


あなたを残して先に逝ってしまうこと許してね…

あなたがこれからどう生きていくのか側で見届けられないのが残念です。


あなたはこう思っているのかしら…

こんなに早く死ななければならなかった私は可哀想だって…


そう思っているならそれは誤解よ。


私の人生はとても充実したものでした。

それはあなたに出会うことが出来たから…

人の人生って80年、90年生きた人と40年生きた人と幸せにはかわりはないと思うの。

私とあなたは出会ってから僅か6年だけど、とても濃い人生を送ってきたと私は思っています。

あなたが注いでくれた優しさは私の幸せそのものだったのよ。

子供は出来なかったけど、その分私たちはいつも一緒にいられた。

一緒に色んな所にも行けたし、美味しいものも食べられたわね。


そして…

あなたは今辛いから…迷いがあるからこの手紙を開けたのよね?


私はね哀しむあなたを見ることが辛いの…

あなたはまだ若いんだから先があるのよ。

いつまでもくよくよしていてはダメ。


いつか言ったこと覚えている?

今起こっていること、それ本当にその人が決めた結果なのかな?

目に見えない大きな力が働いて今の結果になったんじゃないのかな?

私達が出逢えたのもきっと偶然なんかじゃない気がするの。

お互いに必要だったから引き寄せあったのかもしれないね。

大きな力で…


あなたはいっぱい、いっぱい私に温もりをくれた。

誰だったか偉い人がこんなことを言っていたわ

人は悲しみを経験するほど他人には優しく出来るって。

あれ北斗の拳だったかな?それともなんかの唄だったかしら?


あなたは私のことで悲しんでくれた。

でもねそれは前よりさらにあなたは人に優しくなれるってことなのよ。


それにあなたがいつまでも悲しんでいたら私はいつまでも心配で成仏できないじゃない


あなたのその優しさが必要な人がこれからきっと現れるはずよ。

あなたが私にしてくれたように守ってあげてね。


元気だしなさい!

我が人生に一点の悔いなし!


迷ったら自分の心の声を素直に聞きなさい。

これはあなたから教えてもらったことよ。


私は幸せでした

今までありがとう


さようなら…


美紗子




洋介は嗚咽しながら手紙を読み終えた…

涙がポタポタと止めどなく手紙に落ちた。





15 伝えたい言葉


洋介は車を飛び出した。


俺は… 俺は…


足をもつれさせながら全速力で走る。


今さえもてば足がもげたっていい…


洋介は走った。

何度も転びそうになりながら

自らの心の声に従って…


まだ

まだ俺は…


エントランスに入り彼女を探す。

また走り出しては探し続ける。

しかし人混みで見つけることが出来ない。


大きな力が本当にあるのなら絶対にまた逢える!

洋介は息を切らし走りながらその言葉を信じた。


走る洋介の頭に倉田の言葉が繰り返された。


南波さんの幸せって何ですか?


俺の…


俺の幸せは…



瞬間 …

愛蘭の黄色いスカーフが目に入った。

愛蘭は搭乗ゲートの列にいた。

彼女はまだこちらに気がついていない。


愛蘭ー!

愛蘭ー!


洋介は愛蘭の名前を叫びながら走り出した。


外国線搭乗ゲートはチケットが無ければそのまま入ることは出来ない。

見送りの透明のアクリル壁に走り愛蘭の名前を叫び続けた。

しかし空港内の騒音のため壁を叩いても彼女は気がついてくれない。

それでも洋介は愛蘭の視界に入るよう叫び続けた。

他の搭乗客が何事かと顔を向けた。


愛蘭の顔には先程流した涙の跡が頰に残っていた。

暗く沈んだ顔を少し上げると透明な壁の向こう側に壁を叩く洋介の姿があった。


あぁ…

洋介さん…


驚きと吐息…


愛蘭は駆け寄った。


何かを叫んで壁を叩いているが聞こえない。

走ってきた洋介は息も絶え絶えに壁の向こうに駆け寄ってきた愛蘭の顔を見た瞬間奇跡があることを確信した。


愛蘭!


俺は!


愛蘭は顔を紅潮させながら聞こえないというジェスチャーをしてよこした。


洋介は思いついたようにアクリルの透明な壁に息を吹きかけた。

息で白くなった部分に文字を書き出した。


違う!


鏡文字で書かなければ、、

握った拳で間違えた一文字を急いで消した。


壁の向こうで愛蘭は成り行きを今にも泣きそうな顔で見守っていた。


もう一度…




そして…


愛蘭は手にしていたバックを床に落として両手で顔を覆った。


涙が流れ落ちていた…



つたない中国語でたった三文字

白い息の中に書かれた文字…




我愛称


(あなたを愛してます)





その時洋介の車のドアミラーにとまっていた白い蝶が空に舞い上っていった。







ー危秋潔さんに捧げるー
















評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ