6. 婚約者と小芝居
「イヤだ! 置いてかないで!! 私をひとりにしないで!!! リオーネ!!!!」
私はそう叫び、リオーネに駆け寄る。リオーネの顔は見えないが呆れた表情をしているはずだ。その背中にすがりつくが手で払いのけられ、それでもその足にすがりつくが振り払われ、それでもなんとか足首を捕まえる。
ドカッ
痛い!
その足で身体を蹴られる。何事かと出てきた警備の人間も止めようとしない。
ドカドカッ
痛い痛い!!
ドカドカド……
痛い痛いイタ……
「やめなさい。どうしたって言うのだ。」
警備の人間が呼びに行ったのか。ユウヤが出てきてリオーネを止める。
「この女が……いえ、申し訳ありません。これで失礼します。」
「待って! 待ってリオーネ、謝るから。本当にごめんなさい。もう絶対、当たったりしないから……赦して……」
「もう我慢できません。これでお暇させて頂きます。ユウヤ様、いいですよね。」
「ああ……かまわん。通してやれ。」
リオーネの迫力に負けたのか、それともリオーネがいなくなったあとのことを考え、ほそく笑んだのか。ユウヤが警備の人間に許可を出す。
王子の婚約者に手を上げているのだ。厳罰相当なのだろうが、そこは黒い噂のハイエス伯爵家の娘。罰を与える必要が無いと判断されたようだ。
「リオーネ! うわーん!! エーン!!! エンエンエーン!!!!」
顔じゅう涙でぐじゃくじゃで、化粧が取れて酷い顔になっているだろう。
「よし。配置に戻れ!」
「ですが……」
警備の人間は、このまま放置するのを躊躇う。あまりハイエス伯爵家の噂を聞いたことが無い庶民出身なのかもしれない。
「ああ、俺が慰めておくから……大丈夫だ。」
*
警備の人間が配置に戻ったのだろう。ああ言ったがユウヤは慰める価値が無いと言わんばかりに泣き崩れて声が嗄れた私を残して立ち去っていく。
そのまま、ジッと待つ……30分くらい経っただろうか。私は両手を頬に当て顔を隠すように、ゆっくりとトボトボと居室に向かって歩き出した。
あっちへふらふら、こっちへよろよろとしながら、居室にたどり着く。
あー痛かった。
こちらが頼んだとはいえ、本気で蹴るんだもの。それも急所になりそうなところばかり、いったい何処で覚えたんだろう。咄嗟に身体をズラして逸らさなければ、演技を続けることが困難だったかもしれない。
洗面所に行き、ぐしゃぐしゃに描いた化粧を落とす。
あーあ、結構描くのに時間が掛かったのに落とすときは一瞬だ。
*
どうやら、上手くいったようである。
私の侍女であるリオーネの大きなカバンの中にはメリー皇子から来た手紙とメリー皇子宛の手紙が下着に紛れ込ませて入っている。
普通、後宮に入るには手荷物の検査をするが、出るときはしない。だがユウヤが、このタイミングで後宮を出ようとする侍女を見逃すとは思えない。
そこで一芝居、打ったわけだ。まるでデジャヴのような光景で本気で涙が出てきた。自分の傷口を抉るような芝居はリオーネに反対されたが、私が押し通したのである。
まさに迫真の演技というにふさわしいだろう。あとは、落ち込んだフリをし続ければいいだけだ。なんて楽なプランなんだ。
問題は私を担当する侍女がいなくなったことだ。おそらくユウヤは、自分ところの侍女を潜り込ませてくるだろう。侍女がいるときだけは気が抜けない。
そうだ。ときおり侍女に鬱憤を晴らすように当たってあげればいいんだ。悪い噂のひとつやふたつ増えたからといってハイエス伯爵家の評判は既に地の底だから問題ない。
リオーネが帝国まで到着するのが、およそ1ヶ月後。メリー皇子がどんなに急いでも半月は準備に掛かるだろう。合計1ヶ月半は、ひとり後宮で過ごさなくてはならない。
本当の私を知っているユウヤの側室たちを騙すのは心が痛むが、あとで謝れば赦してくれるだろう。
できるかぎり、人を傷つけず1ヶ月半過ごす。意外と難題なのではないだろうか。
あいかわらずハミルトン王子は、ほとんど顔を見せない。見せたと思えば、視線を合わさず世間話をして去っていく。
でも時折、見せる怯えた表情が堪らない。『威嚇』スキルで動けなくして、イイ声を聞きたいと、何度思ったことだろう。でも我慢我慢。
頭の中でムキムキの屈強な警備の『攻』に、イイ声を叫ばさせられているところを想像するだけにしておく。『腐女子の性』が、こんなところで役にたった。
*
1ヶ月ほど経ったある日、後宮で舞踏会が催されるという告知があった。婚約したばかりの私たちは内外の貴族たちの前で仲睦まじいところを見せなくてはならないらしい。
これは意外とキツイかもしれない。いったい、いつになったら『婚約破棄』されるのだろうか。まさか、その場で『婚約破棄』される?
それはそれで好都合である。タイミングが合えば、『婚約破棄』直後に求婚されるという、まるでミュージカルのようなシーンが見れるかもしれない。まあ、本当にお芝居なんだけど……。