8. 善良令嬢の悪意
「ゴメンね。ティナ。少し風当りが強くなるかも……。」
「ううん、大丈夫よ。何か言ってきたら、侯爵家の面々に少し泣いてみせればいいだけだもの……。」
うわー。なんて悪質なの……。彼女の一族のフィルターを通せば、リリアンがかなり非道な行いをしたと尾鰭端鰭が付くに違いない。
「メリー紹介するね。ええと、ティナスザンナ・マーキス・クリエ様よ。」
ティナはクリエ侯爵家に養女として貰われており侯爵令嬢として後宮入りしている。
「そなたがティナ嬢か。噂は聞いているぞ。」
「あの噂は100%間違いですから……。」
ティナも噂に始終引っ掻き回される人間としては、まず否定しておきたいところだろう……。ほぼ無駄な抵抗とわかっていても……。
「そうなのか? ホットケーキを焼いた枚数よりも手を火傷した数のほうが多いとか。食堂で1日で100枚もの皿を割ったとか? なかなか、面白い武勇伝だと思っていたのだが……。」
「もう……アレックスね。陛下にそんなことを吹きこんだのは、100枚も割って無いです。割ったのは86枚……で……す……」
ティナは86枚でも十分恥ずかしいと気付いたのか声が尻すぼみになっていく。
ティナが侯爵令嬢として後宮入りが決まったあと、本当の彼女を知ってもらおうと私の知っているドジ話をメリーに聞かせていたのよ。もちろん、メリーに悪印象を与えようなんて、これっぽっちも思っていない。思っていないったら……。
ドジっ子属性のある彼女は、この手の話には事欠かないのよね。
まあ、一般には違う形で伝わっていくのだが……例えば、没落寸前の男爵家の家計の足しにしようと彼女が私から炭酸水を手に入れ、ホットケーキの屋台で大儲けしようとしても、教会の孤児院に寄付するためだと思われたり。
私からの情報でいち早く帝国の連合国入りを決めた国を知り、国交ができる前に現地入りを果たして無利息の資金援助の一部で旨い汁を啜ろうとしても、現地の惨状を見かねて帝国中枢部から資金的バックアップをしたのだと誤解されるのである。
さらには私の伝手で王宮食堂に勤められるようにゴディバチョフに紹介したのに、私と一緒にいるところを見られた途端、人身売買されたと誤解されたりと……それは、ハイエス家のフィルターのせいか……。
「アレックス?」
「失礼しました。アレクサンドラ様のことです。元々、獣王国で商売をしていた関係で知り合ったのですが、そのときの男装姿で名乗っていた名前がアレックス様だったんです。」
彼女は知らなかったがあのころ私は獣王国中に痴女として有名になっていたため、普段は男装姿で過ごすことが多くなっていたのよね。
「そのときは『勇者』様とは存じ上げなかったのですが……数人の獣人たちに絡まれているところを助けて頂いたんです。」
これも実は違う。戦争中のため物資が足りなくなっていて、余りにも酷い暴利を貪る商人が居ると聞いて駆けつけたところに居たのがティナだったのよね。よくよく聞いてみると相場がわからなくてどんどん値を釣り上げていったらしい。
そもそも彼女の一族は総じてお人好しばかりで、古くから居る保守系の領地持ちの貴族なのだが、飢饉になれば農民に施しをして、戦争で傷ついた人がいれば治療費を出す。それでいて豊作でも税金は同じというから、没落寸前になったのも頷ける。
その一族の中で彼女は唯一の普通の人間で一族の呪いを利用することで没落回避に必死だったのよね。
例えば、ある農民が税金が高いと言い出せば、一族の人間を派遣して泣いて謝らせる。そうすると罪悪感を感じた農民が言い分を引っ込めるばかりか、進んで税金を高くしてくれと言い出したり、高い通行料を取る道には徴収係に一族の人間を派遣して、さらに隣に寄付を受け付ける箱を設置したりして凌いでいたらしい。
初めの一つ二つが成功して気をよくしたティナは商人として独立することになるのだが、商売のイロハを知らない彼女がそれ以上成功するはずもなく。一族の呪いを利用して大商人から儲け話を聞き出しては、儲けすぎてしまってその国の規制に引っかかり罰金を取られ元の木阿弥になることを繰り返していたということだった。
ホットケーキの件でも、そうなのよね。こっちが市場価格を算定して細く長く儲けられるような価格設定をしてもギリギリまで値上げをして一過性のブームで終わってしまったりするのだ。
ティナに商売の才能は無い。と、説得してゴディバチョフの伝手で王宮食堂のウエイトレスという職を見つけてきてあげたのだが。結局、イロイロやりすぎて、噂になってクリエ侯爵家に目を付けられてはしまったらしい。
過去の歴史を調べ上げ、後宮入りを嫌がっていたティナだったから、逃げだしているものとばかり思っていたの……だから側室の名前にティナを見つけたときは酷く驚いたのよね。
「でも、何でここに? 皇帝の側室になるの……あんなに嫌がっていたのに……。」
「う。あのね。下々のための王宮食堂にね、何故か沢山の大臣たちが食べに来てくれるようになったの。それで言うの。若くて可憐で心優しいそなたなら、皇帝も目を覚ましてくださるはずだ。と、勧められたの。」
「ちっ。あやつらめ。何度も真実の愛だ。と、言っておるのに……まだ、そんなことを言っているのか!」
ハイエス家の黒い噂ばかりか……ハイエス朝構築でもかなりの悪評が広まったからなぁ……。そう言うだろうな。
「それならリリアン様は何故いるの? 目を覚まさせるだけなら……ティナだけでいいよね。」
宰相の話だと古参の保守系貴族たちは、1枠だったところを無理言って、連合国に近い保守系貴族の分を横取りしてまで2人の側室を突っ込んだらしい。
「リリアン様は……あの方がいると……私の誠実さがより引き立つだろう。と……」
リリアン様は当て馬らしい。本人には聞かせられない話だ。
「それで本音は?」
「あのね。クリエ侯爵が借金を全て払ってくれたばかりか……この先100年は男爵家を持たせられるくらいの支度金を出してくださったの。」
やっぱり、カネか。カネが関わると他はどうでもよくなってしまうらしい。
「それでね。お願いがあるの……今夜の伽に私を指定してほしいの……。」