5. 皇帝代行の誤算
「おい。降りて来い。『風車の屋八』!」
それ本来の名前じゃないから……たしか、固有名詞としての通り名があったはずなんだけど……。魔王討伐の際に敵に直に潜入する役割を与えられ、ユウヤがふざけてそう呼び出してからゴディバチョフもそう呼び出していつのまにか定着したのだ。
ほかにも、『霞のお銀』とか『煙の又吉』とか。勝手に名前を付けられた隠密が居る。
メリーに声を掛けられた隠密が、何処からとも無く降りてくる。
主の前では被り物を取るのが通例なのか素顔を晒して登場する。オジサンだが中々の美形だ。たしか……名前が……
「ヤーコフさん。こんにちは。」
「お嬢。久しぶりでございやす。リオウ殿は若いがなかなかの御仁。1対1でやり合ったら、あっしでも分が悪いでございやす。」
それはそうだろう。彼は物事を探ることを主として行う『隠密』であって、生死のやり取りを常に行う『暗殺者』とは荒事に関わる比重が違う。たかだか10歳の子供にどれだけの人間を殺させたんだと思うほど、リオウの『暗殺者』のステータスはレベルが高いのだ。
「おい! 屋八。私が聞いているんだ。答えろ! 確か言ってあったよな。睦み事の最中は、差し控えろ、と。」
「はっ。お嬢の前でなんですが、どこであろうと主様をひとりにしておけませぬ。あっしたちは空気のようなものと思いくだせえ。」
「ダメだ! アレクの裸を見ていいのは、私だけだ。誰にも見せてやらぬ。」
そこか!
確かに見られるのは嫌かも……。今でも着替えるときやお風呂に入るときは、『鑑定』スキルで周囲を確認しているものなぁ……。
顔が熱くなってくるのを止められない。きっと顔は真っ赤だ。
「……最中は、メリーにしか『威嚇』が発動しないように制御するのが精一杯だと思うんです。貴方たちが狂っても主をお守りするつもりなら、止めませんが大丈夫ですか?」
「ですが、主とお嬢をふたりきりにするのは、ちょっと……。」
これはもしかして嫉妬……いかんいかん。すぐに腐女子フィルターで見てしまう。そういう目つきじゃない……。どちらかと言えば……
「まさか……。ヤーコフさんってロシアーニア生まれ?」
「へえ。ロシアーニアで浮浪児だったときに先代の長に拾われましたんでさ。」
これはハイエス一族のフィルターが掛かっている人間の目つきだ。彼とは長い付き合いだし、信用してくれているものだと思っていたのだが……私を信用しきれてない部分があるのだろう……。
ズズン……と落ち込む。こういうのが一番堪える。
バシッ
「お前! アレクを泣かせたな。やっていいことを悪いことの区別もつかんのか!!」
メリーがヤーコフさんを平手打ちをして、首元を掴んでいる。
「メリー。大丈夫なの。不意打ちだったから、少し動揺してしまったの。大丈夫よ、こんなもの馴れよ。馴れ。」
私はその手を解き、やんわりとメリーを引き寄せる。
「……そんな顔をさせたく無いのに……。ゴメン。本当にゴメン……」
メリーが私の目尻から零れ出た涙を掬い上げる。そんな気障な仕草をしながらも、出てきた言葉弱弱しいものだった。
「アレクを疑うことは、私を疑うことだ。どうしても彼女を疑うことを止められないのなら、任を解くしかない。」
メリーが毅然と言い放つ。ヤーコフさんは有能だ。特に守ることに関してはリオウも私も足元にも及ばない。私たちはどちらかと言えば攻撃に打って出ることで守れると信じ込むタイプなのだ。
「ダメよ。それはダメ。それでは、いざというときに安心してメリーを任せられる人がいなくなるわ。お願いだから、私のせいで周りの人間を遠ざけるのだけは止めて頂戴。お願いよメリー。」
私のことは信じられなくとも彼らは主のためなら命も掛けてくれる貴重な存在なのだ。そんな存在を失えば、いざというときに致命傷になり兼ねない。
「何を言っているんだアレク。もういいんだ。君に与えられた『勇者』の役割はいらないんだ。私に君を守らせてほしい。君に向けられるこの世の全ての悪意から、君を守りたいんだ……。」
だけど、メリーの次の言葉は私にとって思いも寄らない言葉だった。
「だって……『勇者』じゃない私なんて何も価値のない只の女……それどころか、私に降りかかる悪意にメリーを巻き込んでしまう迷惑な女よ。」
「そんなことないさ。只、傍に居てくれるだけでいいんだ。本当なら一生アレクしか要らないんだ。それなのに、逆にアレクに対する悪意を増やしてしまった。本当にゴメン。」
私が思いつめていたように彼も一生ふたりっきりで過ごすためにいろいろ考えてくれていた。これは、ゴディバチョフの子供が出来るまでの短期になるであろう皇太子という立場で私と結婚することで帝国という壁で悪意から私を守ろうとしてくれていたようだ。
でも実際は実質皇帝と変わらない皇帝代行という立場と実質皇妃と変わらない皇帝代行の妻という立場になってしまった。そのことで私に降りかかるであろう悪意を心配してくれているのだろう。