8. 悪役令嬢の幸福
目の前で全てが進行していく。
嫌だ。止めて。
だがソレは無情にも行われることになる。
「今です! お嬢様!!」
それを合図に全力の『威嚇』スキルを解き放つ。
さらに『箱』から愛用の剣を右手に取り出すと一瞬だけ硬直したラスの首を切りつける。
魔術師の急所は首筋だ。太い動脈から脳に酸素が送られなくなり思考が途絶え脳死を向かえ、肉体の死を迎えるのが人間だが、呪文を唱えさせてしまえば、それさえも治してしまうのだ。
頚動脈から喉に気管に血液が流れこみ、呪文を唱えられず死を迎える。特にラスほどの魔術師になるとこの方法しかないのだ。
ラスの視線が鋭い視線から、いつもの慈悲深い視線に戻る。と、何かを言うが喉に流れ込む血液が阻み、ゴボゴボと音がするだけだ。
「何が言いたいの? ラス。ラス……。ラス……。ラス!!」
やがてラスは満足したように目を閉じる。と、そのまま逝ってしまった。
「……ラス・ブーチンは、お前に感謝していたよう……だ。」
私がその声に顔を上げる。と、ラスが庇っていたのか折り重なるようにハミルトン王子が倒れていた。接触していたことで死の瞬間の感情が流れ込んできたらしい。
振り向くと全てが終わっていた。
リオーネの手には剣が握られており、その傍には首を掻き切られた王女の死体が転がっていた。
目の前でアイコンタクトを交わす兄妹を止められなかった。
あのタイミングは、兄であるリオウが妹であるリオーネに剣をトスした瞬間なのだろう。剣を突きつけ、羽交い絞めにしていた王女の『耐性異常』無効化により、身体の自由が利いたリオーネは剣を受け取り王女を殺したようだ。
『鑑定』スキルでリオーネを確認してみると、『暗殺者』のレベルが2に上がっていた。これを上げないために今までしてきたことは、全て無駄だったということなのね。
いや。私が全て悪いのよ。私さえ我慢して生きていればこんなことには……。
全力の『威嚇』スキルからいち早く立ち直ったリオウが未だ硬直している親衛隊を殺戮していくのを止める気力も無い。もちろん、私たちがこの場に居ることを知られないためにしていることだということは、分かっているのだけど……。
「お嬢様。お嬢様。」
リオーネが目の前で何かを叫んでいる。
もうこれ以上何もしたくない。
あの大切な仲間だったラスを手に掛け、リオーネも人殺しにしてしまい。魔王討伐を指揮した王女エミリアまで死なせてしまった。人々は、いったい私にこれ以上何を求めるというのだろう。
「お嬢様!!」
突然、リオーネの手の平が飛んでくる。痛い。だが意識がハッキリとしてくる。
「リオーネ。私はどうしたらいいの。」
何を目的にして生きていけばいいの?
これは本当のことなの? 夢を見ているの?
「お嬢様は十分に働かれました。人より幸せになる権利を持っているはずです。そのために私はどんなことでもやります。差し出せと言われれば、この命でも兄の身体でも差し出しましょう。お願いです。幸せを追い求めてください。」
私の幸せって何だろう。メリーとリオーネと一緒に暮らすこと?
「いいのかしら……。幸せになっても……」
「いいんです。『勇者』さまが何を言っているんですか。世界中の皆がそう願っているんです。自信を持って……さあ行きますよ。」
リオーネが私をひっぱりながら、私の居室へと向かっていく。
*
「ここです。」
召喚の間に続く壁は意外なところにあった。リオーネの部屋である。リオウが信じられないような馬鹿力で箪笥を移動させる。と、そこにはポッカリと穴が開いていた。
「なんで……開いているの?」
「もちろん、お嬢様に幸せになってもらうつもりだったからです。」
どういう意味だろう?
「この召喚の間からは、お嬢様の前世である日本に繋がっているのでしょう? この世界がお嬢様を幸せにしてくれないならば、日本という世界ならば幸せになれるはずです。いざ、となればどんな手段を使ってでも日本に送り返すつもりで用意してあったのですよ。」
リオウの補足によると、既に先々代の筆頭王宮魔術師から借金のかたとして裏の世界に持ち込まれた『送還』魔法の写しとこれを扱える魔術師を用意してあるそうだとか……。
ここまで来れれば後は簡単だ。2重3重に密閉された空間は、私たち『勇者』の称号を持つものにとって簡単に開くようにできているのだ。
この世界の神の冗談のつもりなのか、実際に『自動ドア』と大きく日本語で書かれた扉があり、わざわざ右手あたりに『ここをタッチしてください』とまで書いてある。
『勇者』の称号を持つ者と代々この国の王に口伝されているおり、開くことが出来るようになっている。扉には、他に取っ手や装飾やらが施してあり他の部分をさわると何らかのトラップになるようにしてあるらしい。
『勇者』が、やたらめったら触らないように『触るな危険!』と矢印付きで日本語で警告すらしてあって笑ってしまう。
「へえ。そんなところを触れば開くんですね。こっちを触ったらどうなるですか?」
「ヤ・メ・テ! リオーネ、死ぬわよ。きっと。」
矢印が書いてあるところを指すリオーネに私が警告を発すると、直ぐに指を引っ込める。流石にこのトラップのことは、裏の情報網にも無かったようだ。