5. 悪役令嬢の決意
「ラス……貴方が来たの?」
戦場となる荒野のど真ん中にテントが設置されている。そこに机や椅子が持ち込まれ、武装解除した双方の騎士たちが同じ人数並んでおり、唯一武装しているメリー皇太子とラス王宮魔術師顧問が席についている。
「いい香りですね……コーヒーですか。」
魔王討伐の旅の途中で偶然、天然の珈琲の木を見つけたので『知識』チートのショウコさんが焙煎から抽出方法まで考案して今ではその国の産業のひとつになっている。……だがロシアーニア国や帝国では紅茶が良く飲まれているので此方まで流通してこない……私は裏の流通で取引したが、ごくごく一部の愛好者たちが高値で買うものらしい……
休戦交渉の場に接客用としてコーヒーを持ち込んだのは、単なる嫌がらせだ。お子ちゃまな味覚のユウヤが苦手な飲み物ということで用意した。
休戦交渉を始めるには調停役が振舞った飲み物や料理を食べ終わってから、開始する必要があるからなのよね……他に、これもユウヤが嫌いな紅茶の茶葉をふんだんにつかったホットケーキも用意したのだが……無駄になってしまった……
「こちらのケーキも美味しい……本当にアレクサンドラの作る食べ物は美味しいですね。」
私の料理の腕なんてたいしたことは無い。ただ、野営地で他の仲間が作った食べ物が酷いものだっただけなのよね……一通り順番が回ってみるといつの間にか私が料理当番のようになっていた……まあ、不味いものを食わされるよりは自分で作ったほうがいいんだけどね……
しかし、珍しいわね。こんなに喋っているラスなんて初めてだわ……いつもは寡黙なのに……
「そういえば、奥様はお元気? このケーキも奥様に習ったものを少しアレンジしたものなんだけれど……どうかしら……」
「勝るとも劣らないできです。メリー殿は、幸せ者ですね……」
もちろん、彼の奥さんが作ってくれたホットケーキには卵がふんだんに使われており、こんな炭酸で膨らませるものよりも、もっと美味しいものだった……
彼の奥さんは魔王討伐により男爵位を襲爵した後に貰った30歳近く年下の若い娘さんで料理好きだったのでイロイロと知恵を拝借していたのよね……そんな彼女の手料理を食べて舌が肥えてきているはずのラスがここまで言ってくれるなんて、少しは自信を持ってもいいかしら……
「そうなんです! これから毎日彼女と一緒に居られるだけでも十分幸せなのに……手作りのお菓子まで作ってくれて……そんな彼女が何故ここまでコケにされなければならないのか不思議なのです……」
うわーっ。なにか背中が痒くなってきた……
「大丈夫よ……慣れているから……」
魔王討伐により堂々と言ってくるものは居なくなったとはいえ、その分余計に裏でいろいろ言われていることは知っていた……
「慣れるな!」
メリーが悲しそうな顔でそう言ってくる。そういわれても、生まれたときからの日常で時折キレそうになるときもあるけれど……慣れるか……意識の外に追い払うしかないわけで……
「ごめんなさいね……メリーを巻き込んでしまった……ツライことがあったら言ってね……必ず貴方のことは守るから……」
皇太子に対して、そんなことを言う輩は居ないと思うけれど、もしそんなことがあれば、相手が王族だろうが公爵だろうが刺し違えてでも報復してくれる……
「それは此方が言うセリフだよ……まったく、もう。そんなに弱く見えるのかな……私は……」
突然、ラスが意外なセリフを吐き出す。
「私もアレクサンドラにプロポーズすればよかった……」
「わざわざ、私の前で言うということは覚悟してのセリフですか……」
「ちょっと待って! メリー貴方の言いたいことはわかるけど……ちょっと待って……ラス……どうしたの? 王宮筆頭魔術師を引退して奥さんと幸せに暮らしているはず……じゃなかったの?」
「……別れたよ……しかも、責務不履行で訴えられている……」
責務不履行だなんて……何処かの有力貴族のお嬢さまを娶ったわけでもあるまいに……有力貴族のお嬢さまを娶り、彼女が適齢期を過ぎるまでに妊娠しなかった場合、賠償として財産の全てを差し出したという例があるのよね……
まだ奥さんを娶って1年もすぎていないはず……ラスもまだまだ現役の50代と聞いた覚えが……