3. 求婚者の盾
「獣王の孫であるオレ様に剣を向けるとはいい度胸してんじゃねえか。こんな事してどうなるかわかっているのか?」
ワオン、それじゃあ悪役キャラだよ。でもいいわね。どんなに凄んでみせてもただの大きな犬にしか見えない。もし私があんなことを言ったら、どれだけ恐れられるか……。街のチンピラなら、尻尾を巻いて逃げていくとこだもの。
でもワオンの言っていることは本当なんだよね。対魔王戦で長らく前線を維持できたのは獣王たちのお陰だった。元々の力量もさることながら、その繁殖力の高さで前線に多くの兵士たちを送り続けてくれた。
そのお陰で人族の国々の被害は少なくてすんだ。だから彼らが人族の国に訪れる場合は、かなり待遇が良い。ましてや、ワオンは獣王の孫なのよね。たとえ現存する孫が5千人ほどいると言っても国賓待遇で取り扱わなくてはならないことになっている。
「そんなことは関係ない!」
えっ! 待って!! そんな!!!
それは拙いよー。たとえ皇太子だからといって……いや皇太子の発言だからこそ……問題となってしまう。
「これは負けられねーな。ジッチャンの「ヤメテ!」」
私のことで争わないで!! どうせ戦うならベッドの上でやって!!!
――あっ……あれ。二人とも止まっている。
どうやら無意識に『威嚇』スキルを飛ばしてしまったらしい。
えーえええええ。ここはケンカを止めつつ、私のためにケンカして取り合ってくれるんだ……って、思いに耽る重要なシーンなのに……
私のスキルは感慨に浸らせてもくれないらしい。私は無理矢理、メリー皇太子を馬車に押し込めて出発することにした。
*
「どけ! どかぬか!!」
暫く走らせると突然馬車が止まる。前方のほうで悶着が起こっているらしい。丁度、庶民と貴族を分け隔てている貴族門の辺りだ。
「メリー皇太子、申し訳ありません。前方で女たちが道路の真ん中に立ちはだかっているのです。もう少々、お待ち頂けませんか? 早急に対処しますので……」
前方から走ってきたらしき騎士が膝をついて報告してくれる。女性というとアレだよね。
「待て! 待て待て待たぬか! この馬車を誰のものと心得る。」
馬車の窓から覗くと前方からバッチリメイクしたドレス姿の女性たちが現れた。おいおい、ここは社交場じゃないんだけど……。何を勘違いしているのかしら。
この世界の常識ではありえない姿の女たちが現れた。特に貴族が外を出歩く場合は華美な服装は慎むのがこの世界の常識なのよね。あんな服装で出歩くなんて場末の娼婦くらいだと言われている。
そういえば、日本の女性たちも欧米で娼婦の格好と呼ばれるような服を着て出歩いていたものね。ところ違えば常識も変わるということわざは世界を超えて使えるらしい。
この世界にはメイク落としというものが存在しないため、面倒だが入浴して落とすしかない。なので私もメイクこそ落とす暇が無かったが、首元まで露出を抑えた服に着替えている。
「はぁ、はぁはぁ。おいおい置いていくなよ。女たちが呼んでるぜ! メリー皇太子さんよ。」
ワオンが強引に馬車に乗り込んでくると座席に身体を投げ出す。ニヤニヤ笑いが顔に貼りついている。皇太子がピンチということは私もピンチなのに……
「そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫だよ。」
良かった。メリー皇太子も長い付き合いなので一族のフィルターを差し引いて表情を見抜いてくれる。きっと、今の私は悠然と微笑んでいるように見えているかもしれない。
私たちが馬車から降りると馬車を取り巻いていた女性たちが、絶対に通さないと言わんばかりに私たちを囲んでくる。囲み取材は受け付けていないんだけどー。
「メリー皇太子。わたくし、ローランド侯爵の長女ヤーマハです。」
ひとりの女性が出てくると社交場での正式スタイルで腰を折って挨拶してくる。違和感バリバリなんだけど……気づいていないらしい。きっと、箱入りで邸宅や社交場以外で人と会ったことが無いのかもしれない。
「知っているひと?」
しきりに汗を拭っているメリー皇太子に質問する。皇太子は、どうやら焦ると汗を掻くみたい。そういえば、初めてマッサージをしてあげたときも汗をダラダラと掻いていたような……
「ああ、1度社交場でロシアーニア国王に紹介されたな。」
今はそうでもないんだけど、貴族の未婚の女性が高貴な方に紹介して頂くということは求愛していると捉えられている。そんなことはメリー皇太子も承知しているはず……
「メリー皇太子とあろうお方が、その売女と婚約したって本当ですの?」
ば、ばいた? ああー、とうとうそんなふうに呼ばれてしまうのね。一族のフィルターがあるにしても誤解が酷くなってない? こんなにも私は清らかさんなのに……
「売女だと!! 私の敬愛する女性になんてことを言うんだ!」
メリー皇太子が珍しく女性相手に怒りを露にしている。
「そうでしょう。その女は身体でハミルトン王子を誑かしたばかりか、メリー皇太子まで。目を覚ましてくださいませ。」
皇太子が求愛したことを知っているということは、あの場に居た誰かが伝えたのだろうけど。あれだけ、はっきりと処女だと分かったはずなのに信じていなかったということだろうか。
イヤイヤ、『聖女』が神の言葉を伝えるときに嘘をつくと力を剥奪されるというのは、誰でも知っている話だ。ということは、私は処女なのに身体を使って誑かしたと思われているということなのか?
まあ、この手技で誑かしたと言われればそうなんだけど……あんまりよね。ただ私は、彼のイイ声を聞きたかっただけなのに……
「これ以上、私のアレクサンドラを侮辱するとタダでは済まさんぞ!!」
そう言って剣を抜く。ワオンのときといい、メリー皇太子は意外と喧嘩早いのね。だけど、いいセリフね『私のアレクサンドラ』かぁ。一回言われてみたかったのよね。これでこの後、何を言われても平気だわ。
私は皇太子を止めるつもりで前に出て行く。
「えっ、そ、その女はアレクサンドラと言うのですの。ということは『心折の微笑』のアレクサンドラ・アール・ハイエス……い、いやぁーたすけてー……」
名前を聞いた途端、女たちが悲鳴をあげて一斉に逃げ出す。この国の人間はハイエス家の人間と同じ名前を付けだがらない。改名まで申し出る始末なので出来る限り、一般的じゃない名前を付けるようにしている。だから名前を聞くとハイエス伯爵家の人間と一発でバレる。
おいおい、私が誰かも知らずに来たんかい。まあ、確かに『勇者』の一人が貴族の令嬢だと伝えられていてもハイエス伯爵家の者であることは、あまりおおっぴらにされていないからね。
でも、あの舞踏会に来ていた人間なら誰でも知っているはずなのに……、この女を嫌いな人間が意図的に伝えなかったのか? まあ嫌われそうな性格をしているよね……
ほとんどの女性たちが逃げ、あっという間に蜘蛛の子を散らすように馬車の周囲に人がいなくなる。残っている女性たちもいるが『威嚇』もしていないのに硬直して動けない女性やその場でお漏らしをしてしまう女性までいる始末……
ああ、これでハイエス家の悪名がまた増えていくことになるのね……。