魔王城陥落
暗雲立ちこめる空へと昇る黒々とした煙。
それを見上げていれば、生きる為に必要な何かまで吸い取られてしまいそうな、そんな不安が頭に浮かんだ。何を馬鹿な、ありえない、くだらないと視線を下ろした所で、この目に映る現実からは逃げようがない。
“業火に燃え上がる半壊の魔王城”
それが俺の現実だ。
深紅に染まる世界で、二つの影が対峙する。
喉元に突きつけられた剣は白刃。鏡面のように磨き上げられた刀身に、若い男の顔が映り込んでいた。
淡い黄昏色の瞳と、燃えるような紅蓮の髪。不敵に笑う俺の顔だ。
まさに最高潮。幕引き前に相応しい、この一瞬を一枚の絵画にして残しておきたいと思うほどに、俺の心は高ぶり、体は勝手に身震いをする。
普通なら有り得ないこの状況を俺は楽しんでいるのか、そうか……俺はこれを愉しめるのか。そう自覚すると、無意識に口角が上がっていた。
けれど、愉しんでいるはずのそれとは裏腹に、吐きだした息は嘆息のそれに似ていた。
矛盾。相反し、複雑に入り乱れる自身の感情にまた笑いが込み上げてくる。
きっと今の俺は、魔王にふさわしい顔をしているのだろう。
俺に剣を向けた白い甲冑の騎士は、不気味に笑う魔王を前にしても臆することなく、微動だにしない。
なるほど、流石だ。
今にもこの喉元に食らい付かんとする獰猛な剣、煌き光る白銀の剣の名を俺は知っていた。
片翼を模した柄に、黄金の龍眼を埋め込んだ禍々しくも神々しいそれは、紛れも無い伝説の武器“聖剣グランドール”。
そして、その武器を操れるのは、どの時代にもただ一人……
神より天命を与えられし者。
人間は彼らを勇者と呼ぶ。
「これはまた随分と派手な登場だな、勇者よ。 お陰で有所正しき魔王城がこのありさまだ」
勇者は答えない。刃を進めなければ、引きもしない。
進むのは俺の口上だけ。
「俺も刺激的な出会いは嫌いではない。
永き魔族の生の中、俺を殺すものがあるならば、それは“退屈”だけだからな」
一息にそこまで語り、さらに続けようとしたところで、首元に添えられた白刃の刃が押しあてられる。
『黙れ。 魔王の戯言など聞くつもりは毛頭ない』
勇者の声は、思っていた以上に老けていた。
そして、フルプレートのせいで声が籠ってしまっている。
身長は俺より二回りほど小さいが、中身はゆうに四十を越えていそうな貫禄が見て窺えた。
動揺を悟られぬように、俺は牙を見せて哂う。
「ようやく口を開いたか、無口な男は女を飽きさせるぞ」
『黙れ。 さっさと剣を取れ、一騎打ちだ。 受けぬと言うのなら今ここで首を刎ねる』
よく冷えた刃が首筋に触れる。一線に薙げば、この首は簡単に落ちるだろう。
「せっかちな奴だな、早い男は嫌われるぞ」
『次は無いぞ、黙れ。 その下品な口を閉じろ』
「冗談の通じぬ男だな……」
勇者が言うままに、俺は肩をすくめて黙ることにした。
何故素直に黙ったのかと言えば、冷静ぶって魔王らしくかっこいい雰囲気で話をしていましたが……
現状、大ピンチであります。
戦う前から何故大ピンチかというと、俺が魔王であって魔王ではない。
魔王の代理人、いわゆる『偽魔王』だからです。
ああ、偽だからと言って、影武者というわけではなく、この体は列記とした魔王の肉体で……話せば長くなるのだが、とにかく、魔王の体に俺の魂が入っている状態だったりする。
三分で完成するインスタント魔王とまでは言わないが、魔王になって一週間でまさか勇者とエンカウントする羽目になるとは……。
そして、新時代の勇者が現れたって報告来て、まだ三日目なんだ。
声年齢的には熟練者かもしれないが、勇者歴は三日。
どんな勢いでプレイしたら、このリアルRPGを三日でクリアできるんだか、できれば今後の参考までにご教授願いたいものだ。
『始める前に一つ問おう』
勇者は渋みのきいた声で呟くと、スッと剣を下ろした。
改まっていったい何を問うと言うのか……。
この勇者は普通じゃない。警戒だけは怠らず、油断せず行こう。
数秒の沈黙を挟み、勇者は俺を見据えて言った。
『魔王、我に下れ』
「…………なん、だと?」
『聞こえなかったのなら、もう一度言おう。
魔王よ、我に下れ。 さすればその罪を許そう』
思わず固まってしまったが、聞き間違いではなさそうだ。
どういうことだ?
普通勇者と言えば『魔王、俺はお前を倒す!』とか言って、問答無用でパーティーメンバーこさえてフルぼっこしてくるもんだと思ってたけど、この世界の勇者は違うのか?
思えば、勇者以外のメンバーが未だに現れてないし、こいつははぐれ勇者か何かなのかもしれない。
ははん、さては今の全部はったりだな?
あー、はいはい。なるほどね、戦わずして魔王を倒そうと。
みるからに、ザコっぽい奴が考えた狡賢い作戦だが、少々詰めが甘かったな。
俺を騙したいなら、もっと演技力をあげてこい。
お前の剣からは殺気が感じられないんだよ、殺気が。
だいたい、三日やそこらで魔王城に辿り着くってのが変なんだ。
この火事の原因は別にあって、そのトラブルに乗じて、このはぐれ勇者が隠密行動をとり俺のもとへ辿りついたと……なるほどなるほど。
ならば恐れる必要はない。俺は魔王様だ、魔術だって使えるし、腕力だって人間の比ではないのだ。
それは地響きに似ていた。
肌を刺すような威圧感、すべてが死を臭わせる、地獄の底から魂の芯にまで響くような声だった。
元来、魔王の嘲笑とは、そう言うものだ。
「―――クククッ……クハッ…………フフッ、ハハッ……ハーッハッハッハッハッ!!」
声を上げて哂うと、勇者は無言で剣を構えた。
一時は薄れた緊張が、息を吹き返し場を支配する。
「…………勇者よ、前言撤回だ。 お前の冗談はなかなか笑える」
その言葉は交渉の決裂を意味していた。
勇者は聖剣を両手で握り、腰を落として俺を睨みつける。
フルフェイスの兜越しでも、その鋭い蒼の眼光ははっきりと見て取れた。
『冗談と思うか―――
ならば仕方がない、その骨が砕け肉塊と化し塵となるまで悔い改めよ……この聖剣の供物となれ!!』
「フッ……人間風情がこの魔王に逆らった事、後悔してもしきれぬようにしてやろう。
喰らえ、我が暗黒魔法最終奥義! 煉炎黒龍―――」
言うが早いか、勇者は強く地面を蹴り、飛ぶように突き進む。
風切り音を立てながら振りかざされる剣を打ち払わんと、俺は本物の魔王に教えてもらった奥義の一つ「煉炎黒龍剣」で迎え撃ちにかかった。
煉炎黒龍剣とは居合切りの一種であり、刀身を魔力で包み込んで、斬撃とともに黒炎を放つという技だ。
魔力の乗った居合は光速の速さを誇り、練度を積めば、相手が赤龍であろうと刹那の間に一刀両断する。
ただし、練度が低ければ黒炎は上手く放てず、攻撃力はその分下がる。
練習する時間もそれほどないのに、あえて俺がこの技を習った理由はただ一つ。名前がかっこいいからだ。
理由なんてそれだけで十分だろう。
俺は魔王に習った通り、掌から腰に下げたロングソードへ魔力を送り込み、居合の構えを取る。
カウンター狙いの一撃だ。
音もなく一歩を踏み込んで……。
踏み込……む、はずだった。
だが現実には、俺の足は横へと飛び引き下がっている。
嫌な予感がした。
これが魔王の血から来るものなのか、それとも気まぐれに女神が俺へ囁いたのか、理由は定かではないが俺は奴の刃を受け止めず後退し、上半身を捻り避けた。
次の瞬間、俺が居るはずだった数歩先の空間は削り取られ虚無と化す。
それは、斬撃という名の――
「なんかビームでたぁぁ!?」
何アレ!? どう見てもビーム!
ビームキャノン砲レベルのビーム!
中世ファンタジー世界でビーム!
無理! ……いや本当、無理!!
あんなの受け止めたら死んでしまいます!!!
テンション上がって変なスイッチ入ってただけだわ、無理だもんあれ。反則だって。
ザコっぽいとか思った数秒前の自分をぶん殴ってやりたい。
いやはや、さすが勇者さん、主人公張ってるだけあって補正が卑怯だぜ。
インスタント魔王の俺が、まともにやって勝てるはずがないよな。
でもさ、あのさ、待ってくれよ。お前勇者歴今日で3日だよね?
どっかに隠れ住んでたのかな? 秘蔵っ子なのかな?
それとも情報が滞ってて、実はずっと前から勇者だったとか……ねーよ、それはねーよ。
自室にある水晶で、勇者が聖剣もって神殿から出てくる所、俺も見てたわ。
神殿の結界壊れるくらい、すげー眩い光放ってたわ。
『ふむ……なかなか、すばしっこいな。 避けるだけが貴様の能か、魔王』
勇者は溜息交じりに俺を見て、聖剣を軽く振って調子を確かめる。
そうして振っている間にも、玉座も壁画も破壊されて行くのだから恐ろしい。
何これ怖い、誰だこんな不審者通した奴。
門番マジで仕事して、何のために高い金払って強い奴雇ってんのかわかんなくなるから。
戦って負けてしまったなら文句は言わないけどさ……。
俺はたたらを踏んで、倒れそうになる体を何とか引き戻し叫ぶ。心の底から叫ぶ。
「いやいやいや、受け止めたら俺多分消し炭!言っとくけどそっちが規格外なだけだから!
俺これでも魔界ではトップレベルなはずなんだからね? 魔王様! わかる!?
RPGで全ステータスMAXまで上げて裏ボス攻略してから魔王あっさり倒すようなプレイしないでよぉ!!」
『何を訳の分からぬことを……
我らは始まりの町を出て真っ直ぐにここに来た。 無駄な鍛錬などしていない。』
「チート設定とかもマジ勘弁だよ!!
剣と魔法の世界に○ーム○ー○ルとかバカじゃねぇの!? 垢バンされちゃうぞ!」
『“アカバン”とは何だ? ……もしや、新たな黒魔術か!?』
「いや、まぁ、ある意味不可避の強制封印魔法ではあるが……」
『強制封印魔法だと!? ふっ……ふんっ、やられる前にやるまでだ!』
「ちょ、おまっ――――」
俺の制止も間に合わず、勇者は先ほどよりも大きく剣を振りかざし、上から下へ、一直線に力を叩きつけた。
もはや剣技などではない。これは純粋な暴力のなせる技だ。
その瞬間に生まれた七色の光は混じり合い、白光へと転じる。その光から数秒遅れて、
―――ドゴォンッ!!!
と、これまたド派手な音が響き渡り、魔王城は瓦礫の山と化した。
もはや城としての原型などなく、有所正しき魔王城の名残は微塵もなく、俺の短くも楽しかった魔王様生活は幕を閉じたのである。
昔の人は上手いことを言ったものだ。
砂上の楼閣。
まさに、インスタント魔王の俺を頂きに乗せた魔王城は、はなからこうなる運命だったのだろう。
光に呑まれて消えゆく魔王城を目と心に焼きつけながら、フッと蝋燭の灯を消すように俺の意識は途絶えた。
初投稿です。
至らない点も多いと思いますが、よろしくお願いします。