放浪 その二
雲が、両瞼となって太陽という名の瞳を咥えている。咥えられた瞳は水平線に囲まれた草原の隅々までを目配せしている。
草原は大変に青く均一に繁っているので、遠目には海にも見えるかもしれない。
その大海原のただ中に、小さな女の子を抱きかかえた3mはあろうかという長身の老父が立っている。
そこには、こちらを見詰める老父と眠り続ける女の子以外には誰もいない。
二人は、世間には決して溶け込めないであろう、とても変わった出で立ちをしていた。
老父の立ち姿はまるで小さな鉄塔のように真っ直ぐだった。
全身は大木の幹のように幾千の皺が走り、ひび割れていたが、凛とした立ち姿には少しも弱々しい様子は見受けられない。むしろ、やはり鉄塔に相応しい威厳を感じさせるのだ。
小さな鉄塔はカビか苔を生やすように緑色の髭を顎にたくわえている。
老父は緑色の豊かな髭を風になびかせ、こちらを見ている。ただじっと、こちらを見詰め続ける。
こちらを見詰める老父の瞳は太陽が傾くに合わせて万華鏡のように無数の色で煌めいている。
その瞳は、無口な唇に代わって酔っ払いのように雄弁に語りかけてくる。その語りは甘く、その声色は滑らか。耳に心地よく、ただし、その語りの中に、一つとして理解できる言葉はない。
異国情緒溢れた子守唄を聞かされている気分になる。
逆に、老父の腕の中の女の子は一言も語らない。女の子は、駆け出しの母親が作った人形のように愛嬌のある、しかし出来の悪い容姿をしている。ただし、女の子の頭から伸びる黄金色の、たおやかな稲穂だけは申し分ない美しさだった。
風に揺れる女の子の稲穂の実は七色の宝石でできていた。風に吹かれ、擦れ合う七色の宝石たちは鈴のような音色を奏でている。それは老父の語りを引き立たせる伴奏のようでもあった。
その女の子は、まさに人形のように力なく老父に抱かれるまま、眠っている。まるで誰かに起こされるのを待つお姫さまのように深々と、眠っている。
目も耳も、不可解な容姿、言葉と旋律に酔い、狂い始める。視界はハッキリしているのに、その目に何を写しているのか分からなくなってきた。一言も、一小節も聞き逃してはいないのに、耳に入ったそばから声色も音色も煙のように霧散してどんなものだったか理解できない。
目の前に立っている人物がどういうもので、広がる緑色の絨毯を自分が何と呼んでいたのか。空に浮かぶ白い毛皮の上を転がり、天を巡る真っ白な宝石を皆が何と呼んでいたのか――。
五感が泥酔し、まともに立っていられない。僕は初めて夢の中で目をつぶった。
すると待ち伏せていたかのように、見慣れた゛清々しい゛朝日が僕の横っ面を叩いては子どものように笑うのだった。