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織り髪姫  作者: 佐伯寿和
母は子を産む
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夢の道筋 その三

ナチスは育った町から外の景色を眺めることはあっても、そこへ踏み出したことは一度もありませんでした。

ナチスを乗せたキャラバンがナチスの町を出発した初日、キャラバンは見晴らしの良い草原で野営することになりました。

「明日には次の町に着くから、始めての野営だと思うけれど、我慢してね。」

ナチスにとって他人と外で過ごす初めての夜。ナチスは色々と思うところ、感じるところがありました。


周囲に建物は一つもなく、地面も平坦で、人気のなさを象徴するような虫たちのさえずりが一帯に広がっています。

ナチスはここが自分のいた町と同じ世界でできていることが不思議でした。

「明日、次の町に着く」という言葉の通り、水平線上にぼんやりと町明かりが浮かび上がっています。

その町の名前も小さい頃から聞いてはいましたが、実物を目の当たりにすると、夢の島を見ているような不思議な感覚になりました。

何より、一処ひとところに居を構えようとしない彼らの生活を改めて不思議に思うようになりました。


横になり、テントの天蓋てんがいを見つめるナチスはたくさんの『不思議』に包まれると、明日にでも大きなキツネに会えるような気がしてきました。

少なくとも、3年もあれば必ず会える。ナチスはそんな『確信』に包まれ、眠りに就きました。


ところが、気付けば3年という時間はあっという間にやってきていました。

初めて隣町に向かったあのときめいた夜から、それはそれは、目まぐるしいほどの初体験にナチスは夢中になりました。

サハラと呼ばれる、塩のようなきめ細かい砂で満たされた灼熱の土地。ジャングルと呼ばれる、無数の緑のベールが何もかもを覆い隠した土地。ハレムと呼ばれる、選ばれた女性だけが未知の贅を尽くすお城。船、馬車、気球。ダイヤ、蛇使い、奴隷。

求めていたものとはまるで違うものですが、以前の生活では決して味わえない3年間にナチスは満足していました。

もちろん、行商人としての手練手管てれんてくだも学べるだけ学びました。そもそも商才があったナチスは、たった3年でキャラバンの中で一、二を争う稼ぎ頭になっていました。

身内からの信頼も厚く、家族と変わらない関係を築くまでになっていました。

とりわけナチスは色彩感覚にひいでていて、きらびやかな物を好む王様や、貴族はナチスの扱う商品を目当てにわざわざキャラバンを呼び寄せることもしばしば。

大きな取り引きが決まり、仲間たちと朝まで語り合い、飲み明かした日もありました。


ですが、たくさんの経験を得るほどに、たくさん家族に恵まれるほどに、不思議と『大きなキツネ』への想いが膨らんでいくのでした。

気付けば、一日の半分がキツネへの想いにふける時間になっていました。本当に、どこからそれだけの熱意が湧き続けているのか、ナチス自身にもわかりません。

義母が話して聞かせてくれた思い出の物語りというだけのものなのに、気付けば思い出が心を掻き乱している事実に困惑する毎日です。


今を生きるのにより大事なのはこの家族だというのに、それでもナチスの『大きなキツネに会う』という目的は譲れないものであり続けました。

『行商人』という家族たちと途中で別れ、たった一人、キツネ探しの旅に身を投じなければならないと観念してしまうくらいに。


「短い付き合いだったがお前は良い商人だった。いつの日かお前と取り引きができるかと思うと楽しみだ。道中くれぐれも気を付けるんだぞ。」

おさと熱い握手を交わしたナチスは、とうとうキャラバンと別れてしまいました。一人きりになってしまいました。


一人きりになっても、3年間の経験が大抵の問題からナチスを守ってくれました。しかし、世界の仕組みは複雑で、調子づいた子ギツネを飲み込んでしまうのは当然の成り行きでした。

1年と経たずにナチスは市文無いちもんなしになってしまい、奴隷商に捕まり、傭兵や兵士たちの下働きなど過酷な労働を強いられてしまいました。

3年後、ナチスの才能を見抜いた商人がナチスを買い取り、商売の手伝いをさせることにしました。

ところがこの商人は以前、世話になった行商人たちとは違って、悪い商人でした。他人を騙し、粗悪な商品でたくさんのお金を儲けていました。

ナチスは悪いことは嫌いでした。ですが、不思議と他人を騙すのは得意だったので、ますます悪い商人に気に入られてしまいました。

翌々年、悪い商人は流行り病で亡くなると、ナチスは手元に残ったお金と商品でまた一人旅を続けることになりました。

何度となく襲った過酷な経験を経て、ナチスはすっかり世渡り上手になっていました。


そうしてさらに3年、ナチスは世界のあちこちを訪ねて回りました。ですが、探しても、探しても大きなキツネを見つけるどころか、キツネに関する手掛かりすら掴めませんでした。

山に眠る砂粒ほどの金のある場所だって沢山の人が知っているのに、山よりも大きいキツネを誰も知らないという事実にナチスは少しずつ疑念を積もらせていきました。


ナチスがマリアのいた町を出てからもう10年近くの年月が経ちました。幼かったナチスも今では立派な青年です。町にいた頃には想像もしなかった世界の光景をナチスはたくさん見てきました。

「いったいどうしたら良いんだろう。」

夢の中を泳いでいたナチスは、夢と現実の狭間まで押し流されていました。

店を構え、家族をつくっても悪くないと思う一方で、ここまで連れ立ってきた幼心への見切りがつけられないでいました。

今日は何かが分かるかもしれない。今日は何かが見つかるかもしれない。そうやって同業者や町の有力者、旅人たちにもそれとなく聞いてみるも、返ってくるのはいつも「さぁねぇ」という煮え切らない言葉ばかり。

「いったいどうしたら良いんだろう。」

ため息のようにナチスは独りちるしかありませんでした。

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