夢の道筋 その二
高齢だったマリアは死んでしまいました。
一人きりになったナチスは、マリアの友人のハトの家で世話になることになっていました。
ハトはイタズラ好きなナチスのことをよく知っていたし、ナチスも遠い空の話をしてくれるハトのことが大好きでしたが、ナチスはハトの誘いを断り、町にやってきた行商人たちの一行に加わりたいと言い始めました。
マリアとの約束があるハトは説得を試みましたが、ナチスは心に決めていました。確かな根拠はありませんでしたが、町に留まっていてはいけないような気がしたのです。
そして行商人たちは、その良い口実のように思えたのです。
町にやってきた行商人たちは風貌こそ山賊のようでしたが、皆がきさくな人柄でハトが心配するようなことは何一つありませんでした。そんな彼らの気性も手伝って、ナチスは彼らの広げた市に頻繁に出入りするようになりました。
出入りしているうちにナチスは当初とは違った理由で彼らに興味を持ち始めたのでした。
玉虫色に輝く果物、星月のように蠱惑的に発光する宝石、生き物のように様々な形をした陶器や刃物、美術品のような硬貨。書物、絵画、動物…、そして飛び交う聞いたこともない言葉の数々。どのテントもナチスの知らないものばかりでした。むしろ知っているものは数えるほどしかありません。
すると、知らないものの数だけ理由ができていきました。ナチスがこれだけ夢中になったのは大きなキツネの話以来かもしれません。
暇があればテントに入り浸り、たくさんのことを彼らから学び、彼女らから教わりました。顔見知りになり、語らう日が増えると、ナチスはすっかり彼らに気に入られ、ナチスもまた彼らのことをもっと知りたいと思うようになっていました。
出立まであと数日となると、いよいよナチスは彼らに頼んでみることにしました。
「俺たちのキャラバンに加わりたいって?それはまたどうしてだ。」と聞かれると、どうしてだか、なぜだか、口を開いたナチスは彼らに大きなキツネの話をしていました。
大きなキツネの話は誰もがただの噂話と本気にはしませんでしたが、皆が面白おかしく話すのでまさに風に乗って瞬く間に世界中に広まりました。
誰も知らない人はいないと言ってもおかしくないくらいです。誰もが気になっていると言ってもおかしくないくらいです。
ナチスの町にやってきた行商人たちも例に漏れず、大きなキツネの話を聞くと目を爛々と輝かせ、身を乗り出し、鼻を風船のように膨らませるのです。
そんな彼らに向かってナチスがそのキツネを探したいと言うので、キャラバンの長は豪奢なダイヤモンド細工のネックレスの鑑定を放り出してナチスの肩を掴むのです。
「探すって、何か心当たりがあるのかい!?」
テーブルの上の僅かな埃が2人の間に舞いました。
「い、いいえ、聞いた噂を頼りに辿ってみようと思っています。」
思っていた以上に長がナチスの話しに興味を示したのでナチスは畏まってしまいました。
しかし、ナチスはマリアから数えきれないくらいの噂話を聞かされていて、ナチスはその全てを憶えているので、心当たりがないというわけでもありませんでした。
ナチスにとってはまだキツネの話はただの口実で、彼らもまた、噂話にうつつを抜かすような人間は商人に向かないと思ってはいました。
ですが、この飛びきりの噂話は彼らの好奇心をくすぐって止みません。本当は彼らだっていつまでも夢を見たいのです。
「ようし、3年だ。3年間、そのキツネ探しに付き合おう。」
長は誰と相談することもなく即断しました。だからと言って、その他の面々に異論などあるはずもありません。むしろ、全員が魅惑的な目標に夢うつつな表情になるのでした。
出発の前夜まで、彼らはナチスの参入と次の町までの無事を祈ってまるでお祭りのように騒ぎました。この町での売上の半分を使ったかもしれません。それでも彼らは後悔することなく、気にも止めていません。
お金儲けはさほど重要ではなく、その日を満足して過ごせるかが彼らにとってとても重要なことだったからです。そして大きなキツネを探し当てるという前人未到の目標は、そんな彼らの毎日を充実させるのに十分な活力になったのです。
そして当日、ナチスは着るものだけを袋に詰めて背負うと、他には何も持たずにキャラバンと一緒に町を出ていくのでした。町を出る隊商は町の入り口から運河のように大きく長く伸びて、ナチスをどこまでも運んでいくようでした。
ハトは、流れに身を任せる幼いナチスの後ろ姿を静かに見守っていました。