緑色の子宮 その三
城下町の外れに住む、生きた人形を作ることのできる不思議な男の子。ある日、彼の店の前に黄金色の若葉が山のように積もっていました。
心奪われる若葉の煌めきは、夜空を彩る星々がそのまま目の前に積み上げられているかのような神々しさを漂わせているのです。
突如として現れた若葉を前にして、男の子は導かれるまま、与えられた若葉を素材に人形を作ることにしました。
男の子は丁寧に若葉の葉脈を解きました。解いた葉脈を撚って糸にしました。すると、撚り手に倣い、黄金色のそれはやはり不思議な魅力を持つようでした。もともとのそれに加え、雨雲の切れ間からこぼれる陽の光と見まごうばかりの、思わず手を差し伸べる儚さをも備えたものになったのです。
また、質の良さも格別です。その糸で織った布は、どんな上質な絹よりも肌触り良く、それでいてどんな上質な毛皮よりも丈夫なものになりました。
大きな国の王様がそれを羽織っていても少しも見劣りすることはないでしょう。
男の子は一日だって休みをとりません。朝も昼も夜も織りました。来る日も、来る日も織り続けました。それどころか食事もろくにとらない始末。
まるで、その美しさにとりつかれてしまったかのようなのです。
それでもなお、男の子の目付きはとても穏やかでした。それは、それはお腹の赤ん坊を愛でる母親のような目付きなのです。
いいえ、目付きだけではありません。作業するその姿勢はまさに愛撫そのものでした。
男の子は睫毛一本織るのに一月を費やし、瞼を織るのに二月を費やすのです。
「お・は・よ・う」
翌年、男の子の懐には可愛らしい女の子の頭がありました。女の子はとても好奇心旺盛でした。目を織り上げれば、辺りをキョロキョロと見渡し、口を織り上げれば男の子の一言一句をパクパクと真似ました。
男の子が女の子につきっきりなので他の人形たちは少し退屈です。
ですが、男の子があまりにも熱心になので、人形たちは自然と男の子の周りに集まり、女の子を見守るようになりました。手も足も鼻も唇も、自分たちよりも遥かに人間らしく、特別キレイに仕上がっていく女の子の様子を。
いつしか人形たちは皆、王様の人形でさえも、特別扱いされている女の子のことを『姫』と呼ぶようになっていました。
「姫」と呼ばれる度に、女の子はまるで本物のお姫さまのようにとてもキレイに微笑み、女の子に微笑まれた人形たちはとても幸せな気分になるのでした。
そうなると他の人形たちもまた、女の子が完成する日が待ち遠しくなっていくのでした。
太陽が沈み、月が昇らない日は男の子の傍らにロウソクを立てました。糸が尽きると、皆で若葉から糸を作りました。
人形店は機械工場のようにトンテン、カンテンと回り続けるのでした。
「おはよう、トンボさん。今日は何を見せてくれるのかしら?」
全身が織り上げられる頃には言葉遣いも仕草も町娘と何一つ変わらない立派な女の子になっていました。
また、他の人形たちはこぞって芸や知識を披露し、姫の笑顔を太陽のように輝かせ続けようと努めるのでした。男の子の手元から離れたことのない女の子は人形たちの刺激的な出し物にすっかり夢中です。
人形店の毎日は幸せが尽きませんでした。
それでも、特別な女の子の幸せの形は月日が経つにつれて変わろうとしています。
それは人形たちの出し物のためか、男の子の腕が優れているためか、はたまた黄金色の若葉のためか、心が織り上がるに従って、女の子の幸せの中には虹色の冒険心が渾々と湧き上がってくるのでした。
黄金色の若葉が男の子の店に届いてから、時は10年、20年の経過を告げたかもしれません。しかし、それすらも短いと感じてしまうくらいに女の子は美しく完璧に織り上げられていました。
容姿こそ7、8才の幼い女の子ですが、店の中を歩き回る姿はお姫さまとしか言いようがありません。
男の子も思わず、天使か妖精のようだと自賛してしましたし、類稀な傑作だという自信もありました。ですがその一方で、女の子の類稀な美しさは雪山の雪ように冷たく汚れのない不安となって男の子の中に降り積もるのでした。
男の子は店の外に出ることができません。彼を取り巻く人形たちがそんな寂しさを紛らわしていました。ですが、蒼や朱に染まる窓の外を見てはソワソワ、店の前を駆ける風の楽しげな足音を聞いてはソワソワする女の子の様子を見て考えました。
「もしも、どこかの誰かがお前を連れていってくれるというのなら、店の外に出ることを許してあげるよ。」
男の子には分かっていました。『女の子はすぐにでも自分の下を離れていく』ことが。始めは男の子もそれを望んでいたのですが、自分の手元からあまりに見事な女の子が育っていくので、そんな予感に反発する気持ちが勝っていったのです。
外を夢見る女の子は毎日、迎えがやってくることを星に願いました。ですが、いつまで経っても運命の巡り合わせはやってきません。
幾千の流れ星が女の子の目の前を通っても、彼らには女の子の話を聞いてあげるほどの暇なんてありません。女の子の可愛らしい声は悲しく空気の中に散るばかり。
そんな女の子の傍らで、自分は酷いことをしているのかもしれないと男の子は思うようになりました。ですが、こればかりは男の子にもどうしようもありません。
男の子もまた、女の子に聞こえないように、神様に聞こえるように、願う毎日になりました。
そんなある日、フラりと店の前を横切った意地悪な二羽の天使が女の子の願い事を耳にしてしまいました。楽しいことには目のない二羽は立ち止まり、ニヤニヤと立ち話を始めるのです。
「女の子は一体どんな冒険をしたいんだろうね。」
「それはもちろん、誰も聞いたことのないような冒険に決まっているよ。」
「刺激的だね。愉快だね。助けてあげよう。そうしよう。」
「だったらどうする?どこへ連れていこうか。何をさせてあげようか。」
「待て、待て。僕らは手を繋げない。でも一人きりじゃあ、家からも出してもらえない。つがいを探そう。そうしよう。」
「強い子がいい。クマ?タカ?シシ?」
「いや、いや。強いだけじゃあ、危険は乗り切れない。頭のいい子にしよう。そうしよう。」
「それなら伴侶も行き先も心当たりがある。どれ、耳を貸してごらん。」
天使は天使に秘密の、秘密の話を耳打ちをしました。神様にも悪魔にも聞かれてはならない内緒、内緒のお話です。聞いた天使はクルリ、クルリとその場を飛び回りました。
「それはいい。そうしよう。そうしよう。」
二羽の天使たちはその後もあれやこれやと楽しい遊びを思い付きました。
翌日の朝、一羽の意地悪な天使は嫌がる風の尻を蹴飛ばして、茨の海の上を走らせました。一羽の意地悪な天使は噂好きのタンポポの種を嫌がる風に咥えさせました。
風は茨の針にべそをかきながらも、走りました。
咥えられたタンポポは今までに見たこともない大きな木と、懐から伸びる黄金色のそれの姿をしっかりと目に焼き付けると早速おしゃべりのリハーサルをし始めたのです。
しかし、練りに練った名人の話が実をつけるまでには随分と退屈な時間を挟むことになるのでした。