Chapter0
不思議な雰囲気のある場所でした。暗闇の中に蝋燭が灯されていましたが、心もとない光ではなく、なぜか星のようにきらめいていました。
その光に照らされて部屋の様子がわかりました。背の高い本棚にはぎっしりと古そうな本が詰まっています。部屋の中心は開けていて、大ぶりの机が窓を背にして置かれていました。そしてその机の前に座っている人物がいました。
歳のほどは30過ぎと言ったところでしょうか。まだ若い男の人です。その人はなにやら思いつめたような表情で机に肘をついていました。そのためでしょうか。その男の人の近くに置いてある灯りは、心配するように緩慢に明滅を繰り返していました。
「約定により参上した」
すっと衣擦れの音と共に、この場に訪問者が訪れました。声からして男性のようですが、灯りは姿を灯してはくれなかったのでどのような人物なのかまではわかりません。
「待っていたよ、我が誓約の徒」
机に肘をついて物思いにふけっていた男の人がゆるゆると顔を上げ、力なく微笑みました。
「僕は今すぐここを出て行かなければならない。……けれど君はここを離れられないだろう」
「約束はどうするんだ」
訪問者の声色は少しばかり怒気が混ざっていました。怯えたように灯りが揺らめきます。
「君に娘を預けるよ」
男の人がそう言うと、訪問者は驚いたのか思わずというように一歩前に出てきました。灯りに少し近づいた彼の姿を一言で表すなら「白」でした。顔までは暗くて見えないままでしたが、ぼんやりと闇に浮き上がる影は幽霊のようでした。
「僕と君の間で交わされた約束、娘に託そうと思う。ただ……」
男の人はおもむろに立ち上がり、本棚と本棚の間の部屋の奥に姿を消しました。男の人はすぐに戻ってきましたが、その腕には小さな赤ん坊が抱えられていました。
「見ての通りまだ何も知らない赤ん坊だ。いつかこの子がここに帰ってくるまで、君はここで待っていてくれ」
「我らの約定を幼子に押し付けるのか。いくらこの娘が――」
「リオ、お願いだ」
懇願するように、男の人が訪問者の名を呼びました。リオと呼ばれた彼は声を無くして立ちすくんだようでした。短くない沈黙が下ります。先ほどまでにぎやかだった灯りさえそっと息を潜めて見守っていました。
「……いいだろう」
やがて、訪問者がため息混じりにそう言いました。暗闇の中から白い腕を男の人へと……いえ、男の人に抱えられた赤ん坊に伸ばしました。
「いつかの我が誓約の主に守護を贈ろう」
「ありがとう、リオ」
ふと、書斎の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。その泣き声につられるように男の人の腕の中で眠っていた赤ん坊もわんわんと泣き始めます。男の人は書斎の奥に目を向け、愛おしそうに目を細めて呟きました。
「ああ、片割れがいなくて不安になってしまったんだな……隣に返してやろう。後少し……そう、あと少しの間だけでも……」
男の人は書斎の奥へと足を向けます。その腕に泣き喚く赤ん坊と、一冊の古びた本を抱えて。
赤ん坊の泣き声が消えたのは、それから時計の針が5回身を震わせた頃でした。そのとき既に、部屋は闇に閉ざされ……ふたたび灯りが灯るまでに長い時間をかけることになります。