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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
終話 悪魔がたり―鍋島直樹と悪魔の少女―
57/58

悪魔がたり01



 一人の少女がいる。

 悪魔のごとく狡猾で。

 悪魔のごとく人を操り。

 悪魔のごとくすべてを嘲笑う。


 そんな少女の、これは物語。







 佐賀野という都市がある。

 人口は10万に少し足りない程度。

 海あり山あり、繁華街あり住宅街あり城下町ありの地方都市だ。


 その東はずれ。

 城東地区。駅前繁華街の、さらに片隅。雑居ビルの二階に、少女は居た。

 まどろみの中にあるような緩みがあるものの、よく見れば、整った顔立ちの美少女だ。


 名を秀林寺寝子しゅうりんじねこという。

 部屋の中心にでん・・と置かれたソファにしなだれかかるように体重を預けて、少女はipadを片手でいじっている。


 一階はそこそこの大きさの喫茶店で、だから二階であるこの空間も、それに等しい広さがあるはずだが、部屋中に林立する書籍の群れや、山と積まれた雑誌、それにファンの音を響かすパソコンが三台。その他ごろごろと雑多なものが置かれているせいで、その閉塞感たるや、四畳半部屋かと錯覚を覚えるほどだ。



「ああ、いそがしいいそがしい」



 とても忙しそうには聞こえない呑気な調子でのたまいながら、ipadで見ているものといえばピザのデリバリーサービスだ。休日の昼間から、暇人と言うほかない。



「もう五分もすれば、来客だ。歓迎の準備をしなくちゃあ」



 言いながら少女は動かない。

 ソファにもたれっぱなしである。

 怠惰を絵に描いたような姿勢のまま、ついに一歩も動くことなく、彼女は客人を迎えることとなった。









 午後二時ちょうど。その男は訪ねてきた。


 年齢は三十路前後か。短く刈り込んだ短髪。

 フレームレスの眼鏡をつけており、面差しは神経質なまでに端正だ。

 紺のスーツに皮の手提げ鞄。白シャツに黒のネクタイ。ボタンはすべて止められており、見るからに几帳面な男だ。


 男は入ってきたときと同じように、きっちりと扉を閉めようとして、戸惑った様子を見せた。



「すまないが、鍵は掛らないんだよ。ここを借りた時からぶっ壊れていてね。いろんな人から説教されるんだけど、面倒くさくてねえ」


「そうですか」



 と、面白くもなさそうに応じてから、男は本の迷路をかき分けて、少女の前までやって来た。

 寝子はソファにしなだれかかったままだ。めくれ上がったブラウスの裾を直そうとすらしない。



「呼び鈴もありませんでしたが」


「すまないね。それも、面倒くさくてねえ」



 男は何か言いたそうな表情になった。

 うら若き少女としてはあり得ないセキュリティ意識の低さに、苦言を呈したものか悩んでいるのだろうと、寝子は皮肉っぽく推測した。



「突然の来訪、すみません」



 ややあって、切り替えたのだろう。

 几帳面に断ってから、男が自己紹介を始めた。

 小森義郎こもりよしろう。と、名乗った彼は、「噂を聞いて尋ねて来ました」と端的に説明した。



「うわさ?」


「ええ。秀林寺寝子。貴女の、噂を」



 噂。

 それがどんなものか、もちろん寝子は知っている。

 とりたてて隠すつもりもない自分の性癖と本性が、世間でどううわさされているか。



「――“眠り三毛”は何でも見ている。知っている」



 そう。その通り。まったくの事実だ。

 とは言わなかったが、かわりに寝子は皮肉気な笑みを浮かべた。



「そんな噂を聞いて、わざわざわたしを訪ねてきたのかい?」


「……ええ。藁にもすがりたい気持ちで」



 彼の表情には、切実なものがある。

 少女は猫科の動物が獲物を見定めるように、瞳の奥に光を隠しながら、問う。



「じゃあ、聞くとしようかな。キミがわたしのもとを訪れた、その理由を」



 ――予測済みだけどね。



 と、口の中でつぶやきながら。

 秀林寺寝子は形ばかりの笑顔を作った。

 笑みの奥から、ほんのわずか。契約を迫る悪魔が人間に対して抱くような、形容しがたい感情の欠片がこぼれた。









「わたしには弟がおりました」



 静かに、男は語りだした。

 寝子と、相対するように立ったまま。

 目をつぶり、宙を仰ぎ見る姿は、黙とうするようだ



「三つ年下の弟です」



 寝子は、笑顔を崩さぬまま、無言で相槌を打つ。

 神妙な態度の男に対して、彼女はいまだにソファにもたれかかったままだ。



「教師をしておりまして」



 三台分の、パソコンのファンが存在を主張するなか、男は淀みなく語り続ける。

 その様は、目の前の少女よりも、一層強く過去に思いを馳せているようだった。



「――その弟が不審の死を迎えました」



 語調は変わらない。

 しかし男の言葉に、ごく淡い、しかしはっきりとした感情の色が加わった。



「なんのことはない、飛び降り自殺なのですが、同様の事件が複数起こっておりまして」



 淡く、にじみ出すように、男から感情が漏れ出してくる。

 それは怒りか、悲しみか。しかし男の口調は端正なまま、歪まない。



「調べさせてもらいました」



 男は、拳を握りこんでいる。

 そこに加えられた力は、はた目にも尋常なものではない。


 異様だった。

 しかし、寝子は構わない。

 話を聞くほうが重要だというように、うなずいて言葉を促した。



「最初は、しばらくのちに処分された一人の少女が原因だと思っておりました。しかし、そのうち違和感を覚え、調べを進めるうち、確信しました」



 少しずつ、少しずつ、男が言葉に込めている感情が、どこに向いているのか、鮮明になっていく。


 男は一呼吸置くと、それから言った。



「――彼女は操られていたのだと。そして真犯人は何の咎も受けず、のうのうと生きていると」



 それは、あまりにも強く、はっきりとした。



「弟の通っていたのは泰盛学園と言います」



 秀林寺寝子への、怒りと殺意だった。



「……なるほどね」



 あからさまな殺意を向けられながら、しかし寝子は笑みを崩そうともしなかった。


 たしかに。寝子は数年前、男が言うようなことを行った。

 一人の孤高な少女に憧れる、純粋な、純粋で狂信的な少女を誤解と狂気の淵へ押しやり、泰盛学園に死の風が吹き荒れる、その犯人を作りだした。

 小森半平こもりはんぺい――小森義郎の弟が狂死した原因を、大本まで求めるのなら、秀林寺寝子こそが真犯人だという言い方も、けっして間違ってはいない。むしろ男の怒りは至極正当なものだと、寝子は考える。


 しかし、寝子が思うことは。



「小森義郎。しかしキミは、どうにも運の悪いお人だねえ」



 無言でナイフを取りだした男に対し、寝子は恐れげもなく返す。



「今日じゃなかったら、もうちょっと穏便に遊ぶことができたんだけどね」


「……あなたは何でも知っているらしい、ですね」



 声を荒げながら、それでも語調を崩さず、男が言った。



「――でも、知っているだけでは、わたしがいまここで弟の仇を討つという、あなたを殺すという事実は、変えられない」



 殺意を伴った、強い言葉。

 それに対しても、ナイフを突きつけられても。

 生命の危機が至近に迫っていても。それでも。


 秀林寺寝子。

“眠り三毛”。

 彼女の態度は揺るがない。



「そうだねえ。このままでは死んでしまうねえ。怖い、怖い」


「戯れるか眠り三毛っ!」


「戯れてないよ。この通りね?」


「ふざけるな! 殺す! 今殺す、すぐ殺す! 絶対にだ!」


「そうやって自分を奮起させなければ殺せない。キミがそんな健常な人間であることには、好意に値するんだけどね」



 ――餌食だね。



 最後の言葉だけが、おぞましいまでに冷たく、残酷で。



「なにを――」



 とっさに返そうとした言葉の途中で、男は唐突に崩れ落ちた。

 男の背後には、いつの間にか、デリバリーピザの配達員の男が立っていた。



「大丈夫ですか!? 秀林寺さん!」



 ――小森義郎、キミも運が悪い。



 心配げに声をかけてきた配達員の男に御礼と愛想笑いを返しながら、寝子は心中でつぶやく。



 たまたま、デリバリーピザの配達員がタイミング良く配達に来ていた。


 たまたま、声を荒げたキミの「殺す」という言葉を聞きつけてくれた。


 たまたまそれが、いつもわたしが不注意にドアを開け放している事を注意してくれる馴染みの人間だった。



「――まあ、全部、分かってたことだけどね」



 面倒事を嫌う寝子に、面倒見良く後のことを引き受けてくれた配達員が去ってから、悪魔のごとき少女は独語した。



「分かりきった結果ほどつまらないものはない」



 だから。

 彼女は続ける。



「キミは、わたしの予想を裏切ってくれるかな? 本日の、本当のゲスト――」



 寝子は、ドアの向こうにいたずらっぽい視線を向ける。

 眠り猫が、伏せた目の奥で獲物をとらえたように、彼女は笑って言った。



「――小城、元子?」





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