閑話12 鍋島直樹と悪友たち
「おい、直樹。お前、つきあう女に求めるものって何じゃ?」
学校での休み時間。
親友の斎藤正之助が唐突に質問を向けてきた。
戦国猛将じみた偉丈夫の、唐突な質問の真意を考えながら、直樹はすこし首をひねる。
教室のうち、四人ほどの女子が耳をそばだてているのだが、直樹はまったく気づいていない。
「……心?」
直樹の答えを聞いて、正之助が、はあああっ、と深いため息をつく。
「直樹、お前はほんとにつまらんのう」
「だったら、正之助。お前はどうなんだよ」
「おっぱいじゃ」
「言うと思ったよ……」
ちなみに正之助の発言で、教室にいた巨乳艦隊が全員とっさに身をかばったのだが、彼は気づいていない。
大きな地声を押さえようともせず、戦国猛将は近くの席で携帯をいじっている男子生徒に顔を向けた。
「おい鹿島。お前はどうなんじゃ?」
「えー?」
声をかけられた少年――鹿島茂は、面倒くさそうに獣毛を思わせるグレーの髪を掻くと、しばらくして答えた。
「相性?」
「意味深だな」
「解釈によっては血を見るハメになるのう」
「え? な、なにが?」
直樹、正之助が顔を見合わせていると、神代良が首を突っ込んできた。
茂とよくつるんでいる気弱そうな少年だ。一連の会話が耳に入っていたはずだが、よくわからないといった風情。
「いやいや、分かんないならいーんだよ良ちん。そのままのキミでいてちょーだい」
携帯で良の頭を撫でながら、茂が生暖かい笑みを送った。
「そうじゃ、神代。お前はどうじゃ? お前、女になにを求めるんじゃ?」
首をかしげている良に向かって、正之助が尋ねる。
この内気そうな少年は、しばらく恥ずかしそうにもじもじしてから、やっと答えた。
「……従順さ?」
「ぬ。そ、そうか」
「なんか神代の黒いとこ垣間見た気が……」
良の答えに正之助と直樹はちょっと引き気味。
逆に茂は平然としたものだ。
「そっか? 良ちんケッコー素で黒いぜ?」
「み、みんな、なに言ってるのさ?」
三者の反応に、良があわてた様子で抗議した。
三人とも全く取り合わなかったが。
「そういやさ」
ふと、直樹が思いついたように視線を後ろに向けた。
後ろの席では親友の中野一馬が、教科書に視線をやりながら、涼しげに話を聞いていた。
「一馬はどうなんだ?」
その瞬間。教室の女子がすべて私語を止めた。
この、しゃんとした眼鏡の美少年がクラスの女子にいかに好意を持たれているか、そのほどが知れよう。
「ふむ?」
話を振られて、一馬はひとつ、鼻を鳴らしてから、答える。
「……そうだな。教養のある話を一緒に楽しめる女子には、かなり興味があるな」
◆
昼休み。
食事もそこそこに、教室中の女子のほとんどが図書室へ一目線に駆けて行った。
その様子を、ひとしきり見送ってから、中野一馬がぽつりとつぶやいた。
「これでクラスの学力アップが図れるな」
「一馬。やっぱお前が一番黒いわ」
直樹はしみじみと言った。
一馬はどこ吹く風だ。そればかりか、やおら立ち上がり、教室に残った男性陣に目を向けた。
「お前たちも、いいのか? 勉強ができるやつは女の子に勉強を教えるチャンスだぞ? 勉強できないやつも、一緒に勉強を名目にいろいろと話すきっかけを作るチャンスではないか!」
悪質な扇動だろ、これ。と、直樹は呆れながら、その様子を眺めている。
一馬の扇動にまんまと乗って、男性陣は猛然と図書室へ向かっていった。図書室の主である宝琳院庵としてはいい迷惑だろう。
「――男子もOK。一挙両得だ」
「つーか男子、釣られ過ぎだよなー」
鹿島茂がにやにやと笑いながら、感想を口にした。
学食組やら所用やら、他の理由で外している人間もいるのだろうが、すでに教室に残っているのは茂に良、一馬と直樹の四人だけになっていた。
正之助は真っ先に図書室に向かった口だ。さぞかし宝琳院庵に恨まれることだろう。
「――で、ホントのトコはどーなのよ中野。おめーがほんとにオンナに求めるモンって何よ?」
「ふむ。嘘を言ったつもりはないのだが」
茂の質問に、眼鏡を正しながら、一馬が返す。
「――たとえば宝琳院なぞ、俺の好みだぞ?」
「え?」
「焦ったな? 直樹」
とっさに反応してしまった直樹は、一馬がにやりと笑う様を見て、悟った。
カマをかけられたのだ。直樹は恨みがましく視線を一馬に向ける。
「……お前、騙したな」
「はっはっは、お前も修業が足りんな」
一馬が愉快気に口元に微笑を作る。
その、背後から。
「――そう……修業が、足りないねぇ」
幽鬼のごとき声が、がらがらの教室に響いた。
光すら跳ね返す黒髪に、大昔の、オヒメサマのような容姿の美少女。
宝琳院庵だ。
いつものニヤニヤ笑いもない。
それどころか肉声を発している。
直樹以外には必要でない限り、ほとんど言葉を使わない彼女にとって、それは極大の感情表現だ。
教室中が恐怖に凍りついた。
「さあ、中野くん。このボク相手に喧嘩売ったんだ。じっくり話し合おうじゃないか。ボクの図書室を荒らしてくれたお礼は、たあっぷりとしてあげなきゃあ、いけないからね」
南無三。と、直樹は両手を合わせる。
一馬は観念した様子で、彼女に連れられて行った。
あとに残ったのは、男三人。
「コエー。オレあのコが怒ったとこ初めて見た」
「ぼ、僕も」
茂と良は完全にビビっている。
当然だ。
直樹でも背筋が凍る。
宝琳院庵には腕力が無い。
だから物理的にどうこうということはない。
しかし、彼女には言葉がある。
鋭すぎる舌鋒で精神を刺し殺される。
彼女の逆鱗に触れるというのは、そういうことなのだ。
「あー、そーいやさ、ちょーどいいや。ご両人」
恐怖の余韻も去って、しばらく。
ふと、思いついたように、鹿島茂が直樹らに声をかけてきた。
「なんだ、鹿島?」
「今度オレ、男用意しなきゃイケネーんだけど……来てくんね?」
◆
要するに。
3-3で合コンするのに、ちょうどいいから直樹と良に声をかけた、と、それだけのこと。
龍造寺円や宝琳院庵たちの件もある。気の進まなかった直樹だが、鹿島茂には、先日の円救出の件で借りがあった。
そんな彼に「あてにしてたヒトが急に駄目になってさ。頼むわ。助けると思って」と手を合わされては、とても断りきれるものではなかった。
そして当日、正午。
城東新町のファミレスに集まった、直樹たち三人と、相手の女の子たち。
「どうも、鹿島くんとは知り合いだけど、城南女子大学の二回生、少弐次実です」
「同じく一回生の渋川義乃です」
ショートヘアで快活そうな次実に、ロングヘアで大人しめな義乃。
声音に影がなく、悪く言えば単純そうな次実に対して、義乃のほうは芯のほうに強い張りを感じる。
しかし、どちらも総じて好感のもてる少女だと、直樹は思った。
「どもども。オレは鹿島茂。コッチが鍋島直樹で、コレが神代良。みんな佐賀高の三年よん。よろしくっ」
テンション高く茂が全員分の自己紹介をすると、次実が首をかしげた。
「あれ? 鹿島くん、バイト先のひと連れてくるって言ってなかった?」
「わり。急に都合つかなくなってさ。同いのダチ連れてきた。いいだろ? こっちのナベシマはかなりイイオトコだし、良ちんは、あれだ。なかなかイイコだぜ?」
「妙な褒め方するな」
「か、鹿島くん、そ、それって実は褒めてないよね?」
急に持ちあげてくる茂に、直樹と良は微妙に目を眇める。
「ま、いいんだけど」
と言う次実の視線は茂に向けられている。
本命、ってことだろうな。と直樹は察した。
しかし、もう一人。渋川義乃の視線が微細量の熱を帯びて彼自身に向けられていることに、直樹は気づいていない。
「あり? そいや、少弐さん。もひとりは?」
「もう少ししたら来るはずなんだけど。……あ、ちょうど今来たみたい」
言って少女は身を乗り出すと、店の入り口に向かって手を振った。
テーブルをはさんで向かい合っている直樹たちからは、背を向ける形になっているので姿は見えない。
しかし、一拍遅れでぱたぱたと駆け寄ってくるその足音は、妙な既視感とともに、はっきりと耳に入った。
「遅れてすみません。どうもです。わたし、少弐さんの知り合いで、千葉連って言います。こう見えても一番年上で城南女子の三回生なんですよ……」
遅れてきた彼女は、自己紹介し、頭を下げた――そのままの姿勢で固まった。
千葉連。佐賀野高校の教師で、直樹たち3人の担任教師。見た目はいいとこ高校生なので違和感はないが、思いっきり若づくりな装いでの登場だった。
とっさに固まった直樹たちだったが、絶好のからかいネタを逃す茂ではない。
「千葉チャン。オッスオッス」
茂が声をかけると、担任教師は解き放たれたように頭を抱えて悲鳴を上げた。
「いやーっ! なんで? 相手社会人じゃなかったんですか? しかもよりによってなんでこのメンツ!?」
「まあまあ、二十歳(笑)のおねーさん。ヨロシク。ところでクリスマスはもう過ぎちゃったねー」
「二十五過ぎたわたしにそれは嫌味です!?」
「いや、その、千葉ちゃん。大丈夫だよ。俺、黙っとくからさ……ドンマイ?」
「鍋島くんっ! 慰めないでくださいっ! その方がキツイですからっ!」
慰めの言葉をかける直樹に悲鳴で返した千葉連が、ふと気づいた様子で神代良のほうに目を向けた。
「そして神代くんっ! 無言のままメール連打してみんなに広めようとしないでくださいっ! あなたが一番ひどいですっ!!」
ひとしきり叫んでから。
みなの視線を受けて我に帰った彼女は、羞恥にほほを染めながら、半泣きでプルプルと肩を震わせる。
「アーひょっとして、少弐さんのオネーサンが友達とか?」
「うん。姉さんが同級生で、それ繋がりなんだけど。鹿島くんがバイト先の社員さん連れてくるって言うから、それなら千葉さんに紹介してあげてって」
「アーわるかった、のか、よかったのか。まーよろしく。千葉チャン」
その、言葉が終わるや否や。
千葉連は脱兎のごとく逃げだした。
「みんなわたしを見ないでくださいーっ!」
「あ、鹿島、俺先生追っかけてくっから!」
直樹はそう言い置いて、とっさに追いかけた。
「あ、行っちゃった」
「いーんじゃねーの? 元々ナベシマ無理に連れてきただけだし。ま、こっちも2-2で楽しくやろーぜ? あと良ちんちょっとは喋れ」
残念そうにつぶやいた義乃の機嫌を取るように、茂は上機嫌に愛想を振りまきはじめた。
その上機嫌の半分近くが、極上のネタを手に入れた喜びから生じた素なのだろうが。
◆
城東新町駅の正面口。
某有名芸術家の手なる巨大なオブジェの前に、千葉連はポツンとしゃがみこんでいた。
心折れ、打ちひしがれた。そんな彼女の姿を見つけて、直樹は迷わず駆けより、声をかける。
「千葉ちゃん、元気出せよ」
「鍋島くん」
泣いていたのか、彼女の瞼は赤く腫れていた。
無理もないかもしれない。と、直樹は思う。
年齢のサバを読んで、精いっぱいめかし込んで合コンに参加している姿を、事もあろうに自分の生徒に見られたのだ。そのダメージは計り知れない。
「いいんですよ」
彼女は力なくつぶやいた。
「――どうせわたしは聖職に身をささげた身なんです。一生処女なんです……」
「なんか聞いちゃいけない言葉聞いた気がするけど……千葉ちゃん。元気出して下さいよ。こんなことで凹んでるなんて千葉ちゃんらしくないって」
「……こんなこと?」
一拍置いて、ぴくりと彼女は反応した。
「先生にとっては、すごく深刻なんですよ?」
「でも、それだったら、親父さんの見合い話から逃げ回んなくてもいいじゃないですか」
「鍋島くんは分かってません。見合いと合コンは違うんです。見合いはいやでも、自由恋愛とか、そんなのには先生、憧れちゃうんですよう」
相変わらずいじいじと地面に“の”の字を書いている担任教師の肩を、直樹は励ますつもりでぽんと叩いた。
「まあ、元気だしなよ。千葉ちゃん、いい人だからさ。それは俺、知ってるから。絶対いい人見つかるって」
生徒たちを、いつも親身になって支えてくれる彼女を、直樹は知っている。
体を張って、“ユビサシ”の悪魔と戦おうとした彼女を、直樹は円から聞いている。
そして、あの、小城元子。“神がかり”の巫女と戦った時、彼女は一も二もなく助けてくれた。下手をすれば職を失いかねない暴挙に、なにも言わず協力してくれた。
そんな彼女が幸せになれないなんてこと、あってはならない。直樹は強く、そう思う。
その想いが、伝わったのか。
ややあって、彼女は涙をぬぐいながら立ち上がった。
「ありがとうです。鍋島くん」
すこし鼻声の担任教師に、直樹はからりと笑いかける。
「さ、いまさら戻れないし、昼にしよう、昼に。もちろん千葉ちゃん奢ってくれるよな」
「はいっ。ふふふ。口止め料に、先生奮発しちゃいますよー」
「そりゃ、楽しみだ。寿司か肉か……千葉ちゃんなに食べたい?」
「私は肉……って、ひょっとしてさっきから先生のことずっと千葉ちゃん言ってません?」
「ま、今日はいいじゃないですか。学校じゃないんだから」
「……まあ、今日のところは先生許しちゃいます。鍋島くん、先生のこと慰めてくれたし、大サービスですよ?」
「はは、じゃ、ま、気兼ねせずに。千葉ちゃん。“和鉄”のランチでも食べに行こうか」
「先生の財布に殺意でもあるですか鍋島くんはっ!?」
笑いながら、それなりに。二人は楽しい時を過ごす。
もちろん月曜日には、鹿島茂と神代良の手によって広まった事実により、千葉連はふたたび再起不能のダメージを追うことになるのだが。
「……直樹くん?」
「直樹?」
「あは。直樹くん?」
まあ、直樹の方もそれなりに。




