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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビサキー鍋島直樹と障り神の巫女ー
53/58

ユビサキ07


 龍造寺円が攫われた。

 なぜか。そう思うより先に、ひとつの疑問が浮かぶ。



「どうやって」



 剣道。合気道。

 天稟に恵まれた彼女は、たとえ集団を相手しても、平然とあしらえる。

 その上、悪魔から得た超常の力があるのだ。無敵と言っても過言ではない。


 彼女がその気なら、捕えられることなど、あり得ない。

 だからこそ。直樹も、その可能性を考慮の外に置いて顧みなかった。



「――しかし、彼女は攫われた」



 宝琳院庵が口を開いた。

 珍しく大机にも座らず、直樹の肩に手を添えて。

 ただ棒立ちでいる直樹の顔を、真正面に見据えて。



「どの様にして。その理由に、当然キミは気付いているだろう。だがしかし、落ちついてボクの推論を聞きたまえ」


「落ちついて?」



 直樹の口から出たのは、激情に任せたそれからは程遠い、平坦な声だった。



「落ちついてるさ。ああ、落ちついてるとも。だからいきなり飛び出したりしないでお前にちゃんと説明もしたんだ……だから、いいだろ?」


「聞きたまえっ!」



 言うや踵を返しかけた直樹に、鋭い制止の声が飛ぶ。

 直樹は再び足を止め、振り返った。ふたりの視線がぶつかる。

 静かに。静かに燃えていた直樹の怒りの炎が、はじめて漏れ出た。



「宝琳院」


「直樹くん」



 少女は退かない。

 彼女が直樹の肩に置いた、ほっそりとした白い手。

 そこに込められた力は、貧弱ながら、絶対に離さないという明確な意思が宿っている。



「……聞かせてくれ」



 激情と、はやる心を再び押さえつけ、蓋をした直樹は、どっかと椅子に座った。

 それを確かめると、少女は安堵したように息をつき、ようやくいつものように大机に腰をかけた。


 昼休みも半ば。

 部屋を訪れる人間もいたが、ふたりの異様な様子を見ると、すぐに立ち去ってしまう。

 結果、無人の図書室で、鍋島直樹と宝琳院庵は、まるでお互いが敵だというように睨みあう。



「まず、円くんがどうやって攫われたか」



 少女が口を開いた。



「これは明快だ。無理やりではない。彼女は自分の意思で小城元子のもとに赴いたんだ。条件はおそらく直樹くん、キミの開放」


「ああ、だろうな。つまり」


「つまり小城元子に出会ったその時には、キミはすでに用済みになっていた。だから見逃されたのだろうね。キミも、多久君も」


「……美咲も?」



 直樹は口を挟んだ。意外な名だった。

 これに対して悪魔少女は眉根を寄せ、息を吐いた。



「ボクはいまだに名字で呼ばれてるのに……地味にへこむんだけどね」



 少女のつぶやきはため息よりも小さく、直樹の耳にまで届かなかった。



「そう。多久君も、だ。邪魔だからね」


「邪魔?」


「考えてもみたまえ。集団に、トップを脅かすほどの権力と実力を持った人間がいる。邪魔だろう?」


「だからあえて、逃げる美咲を見逃したと?」


「おそらくはね」



 もし、彼女の言う通りなら。

 昨晩の出来事が、すべて小城元子の策のうちだったというのなら。


 嫌悪と、なにより怒りから、直樹は歯噛みする。


 美咲の涙は何だったというのか。

 美咲の決意は何だったというのか。

 すべてを手のひらの上に置いて、ほくそ笑んでいたというのか。



 ――あの、小城元子という女は!



「決意は尊いものさ。たとえあると思っていた障害が空疎なものだったとしてもね。

 多久君は障害を乗り越え成長した。それは彼女にとって、かけがえのないものだよ」


「でも、だからこそ。美咲の涙を、決意を、そして多久についていった人たちの意思を、あいつは汚した」



 絶対に許せない。

 許すことはできない。

 直樹は、はっきりと理解した。

 小城元子。あの“神がかりの巫女”は、鍋島直樹にとって不倶戴天の敵だと。



「だからといって冷静さを欠いてはいけないよ。キミはひとつ、重大な事実を見落としている」



 硬く拳を握りこむ直樹に、悪魔少女は人差し指を立て、そう言った。



「重大な、事実?」


「そうさ。龍造寺くんが捕えられた理由は推測できる。だが、考えてみたまえ。なぜ龍造寺くんは・・・・・・・・いまだ捕えられ・・・・・・・続けている・・・・・?」



 その、言葉に。

 直樹は殴りつけられたような衝撃を受けた。


 彼女の言う通りだ。

 直樹の身柄と引き換えであれば、龍造寺円はほとんどの交換条件に応じるだろう。

 だが、だからといって。直樹が解放された後も、彼女が捕虜の身に甘んじているだろうか。

 否。そうなれば、おそらく彼女は平然と拘束を解き、制止する人間を打ち払い、ついでに元凶を叩きのめして悠々と帰ってくるに違いない。



「直樹くんが解放されたにもかかわらず、龍造寺くんは帰って来ない。なぜか。考えられる理由はふたつ。ひとつは直樹くんが解放された事を知らないこと。そしてもうひとつは、龍造寺くんが自ら望んで捕えられたままでいること」


「円が、望んで?」


「ああ、そうさ。手段はいくつか考えられるよ。たとえば相手が他人を害する手段や手駒を持っていて、直樹くんや家族なんかを間接的に人質にとったり」



 ありそうな話だ、と直樹は思った。

 相手は宗教団体の教祖のような存在だ。

 手駒など、いくらでも都合できるだろう。

 だが、直樹の同意を振り払うように、少女は言葉を続ける。



「――でも、それはおそらく違う。なぜなら、小城元子。彼女は本質的に、人を信じていない」


「人を、信じていない?」



 素直にうなずけない言葉に、直樹は思わず聞き返した。

 思い出してみても、小城元子は人を使い従えることに長けているように見えた。

 他人に不信を抱きながら、はたしてあれほど多くの人間を動かせるものなのだろうか。



「ああ。他人を己の制御化に置ける、などと、彼女は慢心していない。むしろ逆だ。自己を半ば神格化しながらも、彼女は自分の能力すら過信していない……いや、己の存在を絶対とするために、手に余る信者を振るいにかけることさえしている。狂信していながらも合理的。彼女はそんな人間だよ」


「ふるい?」



 その言葉に引っかかりを覚え、直樹は問い返した。

 少女は、小城元子が信者に振るいをかけたという。



「一体どうやって?」


「携帯電話」



 少女は端的に答えた。



「――小城元子は教えの中で携帯電話の所持を禁じた。その主たる理由がそれさ。

 考えてもみたまえ。携帯電話と宗教を天秤はかりにかけて、あえて後者を選ぶのがどんな人間か」



 人差し指を立て、彼女は示す。



「社会人では無理だ。彼らは携帯電話の所持を半ば義務付けられている。大学生でも難しい。自然、信徒は中高生が主となるんじゃないかな?」



 彼女の示した方向性。

 小城元子という少女の本質を悟って、直樹はぞっとした。



「自分の手に余る、年上の人間を排除して、信じやすい、操作しやすい人間で周りを囲って、それでも、手駒としてすら他人を信じていない?」


「その通り」



 直樹の言葉に、悪魔少女はうなずいた。



「そして彼女が一番信じていないのは、自分自身だ……だからこそ恐ろしい・・・・・・・・・



 自らの能力を過信しない。

 それはけっして欠点ではない。

 信じていないからこそ、失敗した時のことを考える。

 万全の策すら過信せず、補いフォローし布石として万事に備えることができる。


 それゆえに、この悪魔少女をして言わしめたのだ。

「恐ろしい」と。



「しかし、それなら。騙しでも人質でもないなら、円がいまだに捕まっている理由は何なんだ」


「……それを教える前に、直樹くん。キミに言っておきたいことがある」



 直樹の問いには答えず、宝琳院庵はふいに切りだしてきた。

 至極真剣な瞳に、直樹は無言でうなずいて言葉を促す。

 彼女はきっぱりと言った。



「この件に、白音を巻き込まないで欲しい」


「……それは」



 直樹は言葉に詰まった。

 怒りが先に立つあまり、いままで廃ビルに乗り込んで助けることしか考えていなかった。

 しかし冷静に考えてみれば、数十人の信徒の目をかいくぐり、龍造寺円を助け出すなど不可能に近い。


 鍵が要る。

 敵の本丸、小城元子のもとへ通じる通路の鍵が。

 それは宝琳院白音の存在以外にはありえなかった。



「白音なら、直樹が頼めば喜んで協力するだろう。だが、ボクはそれを望まない」



 何故ならね、と、彼女は続ける。



「小城元子という少女は、本当に危険なんだ。いや、彼女だけじゃない。数十人にも及ぶ信者たちをも相手にしなきゃならない。

 直樹くん。ボクは白音をそんな危険に放り込みたくない。勝手かもしれないけど、ボクは龍造寺くんよりも、白音の身の安全のほうが大事なんだ。もしキミが白音に危ない橋を渡らせようというのなら……ボクはキミを絶対に許さない」



 言葉には強い意志が込められていた。


 彼女の言うとおりだった。

 直樹にとって龍造寺円が、そうであるように。

 宝琳院庵にとって、宝琳院白音という少女は、かけがえのない存在なのだ。


 迷い。が、直樹に生じた。

 宝琳院庵と出会ってから、二年。

 はじめて会話してから、一年半。

“ユビサシ”の夜から、半年あまり。

 会話を、知識を、助力を、そして好意を、彼女はくれた。

 直樹がこれまで体験した幾多の事件。そのなかで、宝琳院庵は常に味方でいてくれた。


 だが、白音の手を借りるという選択をするのなら、彼女は初めて直樹の敵となるのだ。

 だが、それでも。龍造寺円が。大切な家族が取り戻せるというのなら。他に手段がないというのなら。


 直樹は選ばなくてはならない。

 宝琳院庵を敵にして白音に助けを請うべきか。

 それとも、あるかどうかわからない他の方法を探るのか。



「――選びたまえ。キミがどの道を行くのかを」



 そして、気づいた。

 彼女がこんな態度をとる以上、龍造寺円を救うためには、宝琳院白音の存在が絶対に必要なのだと。



「俺は――」



 考え抜いた末、出した結論を、直樹は少女に告げた。









 城南北。

 佐賀野駅から、町を越えてすぐ南。

 古めかしい町並みを残す旧城下町とは対照的に、ビルの林立するオフィス街だ。


 唸るような霧笛の音を、かすかに聞いた気がして、直樹は振り向いた。

 城南の、南の果ては海だ。港もある。霧笛はそこから響いてきたのだろう。


 それは、直樹の迷いが聞かせた幻聴だったのかもしれない。



「直樹さん」


「ん。ああ、なんでもないよ、白音」



 声をかけられた直樹は、我に返ってかぶりを振った。

 傍らに立つのは一人の少女。光を拒むような髪は、夜の闇に同化して、少女の白い肌を浮き立たせている。


 自らの選択が正しかったのかどうか、決めてしまった今でも、直樹はまだ確信が持てない。

 だが、直樹は選んだ。最も厳しい道を。ならば、迷っている暇などない。


 やるしかない。

 だから、やる。

 そのためにあらゆる手段を使うことを厭わない。

 大切な幼馴染を取り戻す。いまはそれだけを考えていればいい。


 直樹はそう自分に言い聞かせ、前を向く。



「行くぞ、白音」


「承知しました」



 直樹の言葉に、少女は無表情のまま、短くつぶやいた。









「巫女様」



 静かに目を伏せていた小城元子は、呼ばれて顔を上げた。

 信者の一人だ。幼い顔立ちの少女だが高校生。元子を心酔しており、元子にとって使いやすい人間の一人だ。



「何かしら?」


「鍋島直樹が来ました。宝琳院白音も一緒です」


「そう……他に連れは?」


「居ません」


「別口で来たりは」


「ありません。ご存じのように、路地の両端と佐賀野駅に見張りと連絡役を置いていますが、異常の報告はありませんでした」



 その通りだった。

 さらに言えば、佐賀野高校の直樹のクラスでも、異常があったという報告は無い。

 とはいえ、万全ではない。携帯電話が使えない以上、どうしても報告にラグは出る。

 なにより、見張りの人間は小城元子ではない。失敗や愚鈍ゆえの見落としもあるだろう。


 それでもいい。

 人を集めようとも、こちらにはそれ以上の人間がいる。

 警察に頼ろうとも、こちらが万事有利に出来る伝手と手札を、すでに用意している。


 なにより。

 相手の急所である龍造寺円さえ押さえておけば、どんな状況に陥っても対処はできる。

 そして龍造寺円が彼女の手から奪われることは、けっしてあり得ないのだ。



「では、こちらへ通して頂戴」









 蝋燭の朧な明かりしかない廊下を、直樹たちは案内された。

 案内は全員男。前と後ろに二人づつ付いている。みな、顔には警戒の色が見える。


 昨晩と変わらない、不気味な雰囲気。

 異界のごとき空間を越え、二階の奥まった一室へ案内された。

 首領や教主が居るのは最上階と相場が決まっている。直樹もそのつもりでいたため、意外だった。



「二階の北側奥。最上階かと思っていた」



 独語しながら、通される。


 白い世界が、視界に広がった。

 十二畳ほどの空間。白い布が敷かれ、天上から吊り下げられたそこは、まるで巨大な天蓋付きのベッド。


 その中央。

 布が盛り上がった部分に腰をかけて、小城元子は待っていた。



「ようこそ、鍋島直樹さん。白音ちゃんを連れてきてくれたみたいね」



 まるで説き聞かせるように、彼女は言った。



「――そして、久しぶりね、白音ちゃん」



 続いて彼女は白音に顔を向け、話しかけた。

 この時だけは、彼女は二年前の温顔の美少女だった。



「お久しぶりです」


「お久しぶりです。小城先輩」


「お久しぶりです。小城先輩、相変わらず――狂っているようでなによりです」



 静かに。

 直樹に寄り添いながら、凛然たる調子で白音が答える。

 小城元子は、演技のように大袈裟にかぶりを振ってみせた。



「相変わらずね、白音ちゃん。その言葉づかいは止めなさい。気分が悪いわ」


「円は」



 二人の会話に、鍋島直樹が割って入る。



「――円は無事か」


「無事よ」


「どこに居る」



 声に怒りの匂いを嗅ぎ取ったのだろう。

 元子は困ったように肩をすくめて見せた。



「直樹さん。この状況であなたが強く出られる要因があるのかしら? たとえば、後ろにいる彼らに言って、あなたから白音ちゃんを引き離すこともできるのよ?」


「やってみろよ。出来るならな」



 金属の擦れる音。

 それは直樹たちの手元から生じていた。

 なんと直樹と白音は、お互い手首に鎖が巻きつけられ、つながっていた。

 囚人が繋がれるような鉄鎖。結束部は、ご丁寧に針金でぐるぐる巻きにしてある。



 ――まるで、宝琳院白音をけっして手放さないとでも言うように。



「なんのつもりかしら?」



 困惑した様子だった。

 たしかに、意味のない行為だろう。

 この廃ビル。小城元子のテリトリーに入った以上、すでに直樹に抗う術などない。

 この鎖にしても、たとえば番線切り(鉄線を切る鋏)ひとつあれば事足りる。手元に無くても、ものの一時間で調達できるだろう。せいぜいが時間稼ぎの手段にすぎない。


 そう、だれから見ても。

 あまりに愚かに思えるその行為。

 だが、だれもが鍋島直樹を笑えなかった。

 その瞳に浮かぶ光が。怒りが。恐ろしいまでに澄み通った意思が。

 鍋島直樹が、この場にいる小城元子以外のすべてを相手に出来る覚悟と力を持っていることを、否応なしに教えていた。


 殴られても、蹴られても。直樹は立ち上がるだろう。

 金属バットで強かに殴りつけても、あるいはナイフで刺したとしても、死ぬまでこの男は止まらない。

 冗談ではない。この場にいる人間で人を殺す覚悟のある者など、たった一人を除いて居はしないのだ。


 神がかりの巫女、小城元子以外には。



「円はどこだ」



 直樹は重ねて問う。

 燃える瞳に焼かれながら、元子はうそ寒くなるような笑みを浮かべた。



「たしかに、交換の秤に片方だけ乗せているというのも不公平ね…来て頂戴」



 彼女の声に応じるように。

 一人の少女が吊り下げられたシーツの陰から姿を現した。

 龍造寺円だ。佐賀野高校の制服を着たまま、しかし表情は夢遊病者のそれ。



 ――ああ、やっぱり。



 ふらふらと歩みくる幼馴染を、直樹は片手で抱きとめる。

 その、瞬間。やにわに伸ばされた円の右手が、猛禽の如く直樹の首筋を襲った。



「直樹さん!」



 白音が悲鳴を上げた。

 うめき、片膝をつく。意識は保っている。



「あいにく龍造寺さんは、あなたといっしょには帰りたくないみたいね」



 ――龍造寺君に起こったことを説明しよう。



 直樹は思いかえす。宝琳院庵の言葉を。


 龍造寺円は春ごろから、名を呼ばれる錯覚を覚えていた。

 寝不足になるほど、頻繁に。


 宝琳院庵は言う。

 彼女は事実名を呼ばれていたのだ、と。

 名を。超常の力を持つ者の名を。龍造寺円と重ねあわされた名を。



“悪魔さま”“ヒゼンさま”“背後様”



 魔の力を持つ彼女は、崇拝の偶像とされ、半神半人の存在に祭り上げられた。

 崇拝者の望みを叶える半現象と化してしまった。


 それが、信者を振るいにかけたもうひとつの理由。

 純粋多感な中高生。外界と隔絶された異界とも呼べる廃ビル。

 龍造寺円を絡め取るまでに強い狂信を得るにふさわしい環境だ。


 信仰の中心にあって龍造寺円はまさしく神と同化しただろう。

 小城元子が、そして信者たちが思う“背後様”そのものになっただろう。



「――さあ、“ヒゼンさま”。彼に“触れて”」



 言葉に従い、円の白い手が直樹に近づいていく。

 触れれば気が触れる、狂気の神の御業。それは間違いなく彼女に宿っているに違いない。


 小城元子が笑う。

 より以上に明確に、直樹は笑った。



「そんなことだと、思ってたよ」



 ――だから、直樹くん。宝琳院庵としての最後の忠告だよ。



「――あいにくと、白音は大事な預かり物でな。簡単に引き渡すわけにはいかないんだよ」



 片膝をついたまま、直樹は円の腕を掴んだ。

 しっかりと握られた手は、力では決して劣らない円の腕を、微動だにさせない。



「なら、どうするつもり? 龍造寺円を敵にして、私を相手にして、このビルに居る五十を超える人間を向こうに回して、あなたはどうやって白音ちゃんを守るというの?」


「白音は守る。円は目を覚まさせる。お前はぶん殴る。五十の敵もぶっ飛ばす……とっくの昔に腹は決めてんだよ!」



 歯を食いしばり、立ち上がりながら、直樹は吼える。



「覚悟だけでそれができるつもり? ならば這いつくばって己の無力を噛みしめなさい――“ヒゼンさま”!」



 元子の声に応じるように。

 意思の感じられない円が、指を伸ばす。

 まるでユビサシのように。あの悪魔の遊戯のように。

 しなやかで美しい指先から、おぞましい気配が伸びて。


 それでも直樹は、円の手を離さない。

 まっすぐに彼女を見据えたまま、巨大な悪意を真っ向から受け止めんと歯を食いしばる。



「俺はこの手を、離さない!」


「馬鹿野郎! 離しとけ!」



 不意に飛んできた罵声とともに、直樹の眼前に銀光が走った。

 おぞましい気配が霧消し、同時に右手から一瞬、感覚が消えた。

 力が抜けた一瞬の隙に、円が直樹の手を振りほどき、飛び退った。

 かわりに、二人の間に身を割って入ったのは、鷹の目を持つ少女。そして獅子を彷彿とさせる容姿を持つ、澄んだ瞳の少年。



「立花、大友!」



 直樹が叫んだ。

 立花雪。大友麒麟。

 泰盛学園中等部三年、“双璧”。

 元子の表情に、驚愕の色が現れた。


 一息。思考の空虚の間を縫うように、雪は跳ねた。

 不自由な足での異形の歩法。目で追うことすらできず、四人の男たちは一瞬で地に伏した。



「どうやって――つっ!?」



 言いかけて、悟ったのだろう。元子の瞳に怒りの色が現れた。

 この二人であれば、見張りの目を盗むことはさほど難しくない。

 しかし、小城元子の居場所がこれほど早く特定された理由。それは、携帯電話に他ならない。

 直樹は事前に、隠し持った携帯電話をスピーカーモードで通話状態にしたまま廃ビルに入っていた。そして元子の居場所を口頭で告げていたのだ。


 宝琳院庵の助言。



 ――退魔のふたりを、連れていきなさい。



 そして。



 ――信頼できる仲間たちを、連れて行きなさい。



「正之助、一馬、鹿島、良君、千葉ちゃん――野郎ども!」


「おおぅ!!」「みんな、引き続きメールの打ち合わせ通りに動け!」

「目標廃ビル! 野郎共、のりこめぇっ!」「龍造寺さああああん!」「――ってなんで先生ちゃんづけなんですか!?」



 もう一つ、宝琳院白音の持つ携帯から、威勢のいい声が返ってきた。



「やっとだ。お前の否定したもの、全部かき集めて、やっとここまで来た……お前をぶん殴れる状況にな」



 感覚のない右手を無理やり動かし、直樹は指先を小城元子に向け宣言する。



「――小城元子。おまえを倒して、円をこの手に取り戻す!」





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