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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビサキー鍋島直樹と障り神の巫女ー
52/58

ユビサキ06



 週末の朝が来た。

 直樹の目覚めは快調だった。

 ここ数日抱えていた億劫な気持も、もうすっかり晴れている。

 ジェットコースターのようだった木曜日を越え、心配の種だった多久美咲の問題がひとつ解決して、初めての登校だ。


 学校へ行けば、美咲の元気な姿が見られる。

 宝琳院庵に相談し、龍造寺円の手を借りれば、諫早直も治せる。

 円には、「また自分に知らせず厄介事を」と愚痴られるだろうが、まあ仕方がない。

 それよりも日常を取り戻せたことがうれしく、またそれを実感したい。遠足当日の子供のように、学校へ行く時間が待ち遠しくて仕方がなかった。



「……そういえば円のやつ、今日は遅いな」



 朝食後。

 いつもより早く出かける準備を済ませた直樹は、時計を見てつぶやいた。

 毎日きっちり同じ時刻に迎えに来る円が、今日に限っては五分も遅れている。

 仕方なしにコーヒーのお代わりをして、時計とテレビを交互に見ながら待っていると、ようやく呼び鈴が鳴った。



「遅いぞ」



 言いながら戸を開けて、直樹は目を見張った。

 そこにいたのは幼馴染の少女ではない。その父であるたかしだった。

 家で悠々自適に暮らしている彼が、珍しくスーツなど着込んで立っている。直樹が初めて見る隆の姿だった。



「おじさん。どうしたんですかそんな恰好で」



 直樹は尋ねた。不審が表情に出ている。

 それを察したのだろう。隆は娘似の、硬質に整った顔を柔らかく崩し、苦笑を浮かべた。



「いや、実はいま僕、勤めに出てるんだよ」



 直樹は目をまん丸にした。

 龍造寺隆を善く知る者にとって、それは驚天動地のことだ。



「親父にはずっと前から言われてたんだがね、年の瀬ごろから円が、変わってね。言うんだよ。わたしは変わった。父は変わらないのか? って」



 彼はそう言って、苦笑を浮かべて見せた。


 龍造寺隆は円が十一の時に実家へ帰ってきた。

 親友と思っていた男に裏切られ、経営していた会社を潰し、母に逃げられ、無表情な娘とともに、逃げ戻ってきた。

 背負った莫大な借金を父――円の祖父に肩代わりしてもらい、なにも信じられなくなって、ただ家に引きこもっていた。



「負け犬」



 円の祖父が隆をそう呼ぶのを、何度も見た。

 息子を発奮させようとしての発言だったのだろう。

 だがそれでも彼は、「事実だから」と無気力に笑っていた。

 それが、変わった。娘に諭され、己の中の頑ななものを少しずつ溶かしていき――今、外に出ている。


 その変化を、幼馴染の少女の成長と重ねて。

 直樹は痺れるような感動とともに、こみ上げてくるものを必死で抑えた。



「おめでとうございます」



 笑顔を作り、祝辞を述べると、隆も笑顔を返してきた。

 その笑顔は、現在の、生まれ変わった龍造寺円とぴったり重なる。



「直樹君ならそう言ってくれると思っていたよ。娘を変えてくれた君なら」



 照れくさくて、直樹は頬をかいた。

 自分の幼いころを知る年長者に手放しでほめられるというのは、やはり恥ずかしいものだ。


 むずかゆい物を感じながら、直樹ふと思いだして尋ねる。



「ところで、円は今日どうしたんです?」


「ん、円から聞いていないかな? 昨日、友達の家に泊るって連絡があったんだけど」


「そうだったんですか」



 妙に嫌な予感がした。

 だが、直樹はあえて面には出さなかった。

 勘違いかもしれない。それでせっかく前へ進んでいる彼に、要らぬ心配をかけたくなかった。



「まあ、円が嫌がらなかったら、誰んとこ泊ってたのか聞いときますよ」


「頼んだよ」



 そんな会話を最後にして、直樹は隆とともに家を出た。









 本鈴が鳴っても、円は教室に入って来なかった。

 そのまま落ちつかない一限目を過ごし、授業が終わるや否や、彼女に電話をかけたが、繋がらない。

 授業の合間を見つけて、彼女の狭い交友関係を片端から当たっていったが、やはり消息を得ることは出来なかった。


 唯一、中野一馬が、昨日彼女を見ていた。



「……諫早のとこへお見舞いに来て、その後どこへ行ったかは知らない、か」


「ああ、夕方にな。ふらりとやってきて、ふらりと出ていった。龍造寺のお陰というわけでもないのだろうが、それから直も元に戻ってきている」


「それは――」



 朗報だ。と言おうとして、直樹は言葉に詰まった。

 いやな予感が舌に絡んで離れない。

 本来喜ぶべきことなのに。


 いや、理由は分かっている。

 諫早直を癒したのは間違いなく円だ。

 しかし、なぜ、それが出来たのだろうか。

 諫早直を縛る“悪魔さま”の障り。その正体は、いまだ直樹しか知らないというのに。



「時に直樹」



 沈黙を、一馬が破った。

 その視線は、直樹の背後に据えられている。



「その状態は何事だ」


「直樹くん、どうしたの?」



 前後から声をかけられ、直樹はうんざりと息を吐いた。

 久しぶりに学校に来た多久美咲は、明るい笑顔で朝からずっと直樹に張り付いている。

 昨日まで円の居た位置だが、それが美咲に変わっただけで、クラスメイトたちの目が違う。



「なにあれ、どういうこと?」


「龍造寺さんが可哀そう」


「それを言うなら宝琳院さんだって……てあんまり焦ってないわ。正妻の余裕?」


「いや、正妻は龍造寺さんでしょ。宝琳院さんは、なんていうか……クラブのママ?」


「とにかくあの天然タラシはいっぺん死んどけばいいと思うよ」


「直樹死ね」「鍋島死ね」「鍋島死ね」「とりあえず殺そう」


「いや、まて。いくら女侍らしとるといっても、貧相な女じゃワシも本気で殺す気になれん」


「去年のクリスマスの男子人気投票で成富さんは鍋島のやつに――」


「殺すぞ。ワシの怒りゲージはすでにマックスじゃ」



 まるであの廃ビル以上の敵地だ。

 敵意と害意が渦巻く教室の空気に、美咲はまるで気づいた様子がない。

 気付きながら知らんぷりしているとすれば、ずいぶんと図太い神経をしている。


 そうこうしているうち、授業開始のベルが鳴った。

 男どもはあからさまに舌打ちして席に戻った。



 ――昼が怖い。



 円のことに加え、渦巻く敵意に頭を痛める直樹には、講義はさっぱり頭に入らない。


 そして昼。

 終了の号令後、直樹は即座に席を立った。

 しかし、すぐにその行為が失敗だったと悟る。

 いつの間にか扉近くにいた男子生徒たちが、さりげなく出口を固めていた。

 直樹の行為は、敵の行動を誘発する引き金でしかなかった。



「よう。直樹」



 と、さりげなく肩に手を置いてきたのは、斎藤正之助。

 直樹の親友にして戦国猛将の雰囲気を漂わせる巨乳フェチだ。

 他にも数人の男子生徒が、殺気だった目で直樹ににじり寄って来る。



「ちょっと、おまえら、怖いから。怖いから」



 じりじりと後退りながら、両手を上げてなだめにかかる。

 だが、男たちは問答無用とばかり、無反応でただゆっくりと近づいて来る。


 直樹は助けを求めて教室を見回した。

 宝琳院庵は早々に図書館に向かったらしく、不在。

 多久美咲は、ここ数日の無断欠席についてだろう。担任教師の千葉連の呼び出しを受けており、やはり不在。

 斎藤正之助や神代良は、端から直樹を襲う側だ。歯止め役であるはずの鹿島茂も、余興を見物する姿勢を崩していない。

 最後の頼みの綱。クラス委員の中野一馬も、懇願するような直樹と目を合わせた瞬間、あきらめろとばかり、肩をすくめて見せた。



 ――絶体絶命だ。



 横目で背後を見ながら、最悪窓から廊下に飛び出そうと、手順を確認していた、その時。


 がらり、と、扉が開けられた。

 視線を向ける。別のクラスの少女だ。上履きを見るに、二年生。



「鍋島直樹さん?」



 みなの注目が集まる中、彼女はそう言った。

 全員の視線が直樹に集まった。少女はまっすぐ直樹に歩み寄ってくる。

 向けられた視線など一切意識に無いような、そんなそぶり。直樹は強烈な既視感とともに、いやな予感を覚えた。



「巫女様から、手紙をこれに」



 そう言って、少女はさっさと帰っていった。

 全員、あっけにとられた、その隙を縫って――直樹は動いた。

 窓の鍵を解き、窓を開き、級友の机を乗り越え、廊下に飛び出す。一連の動作にかけた時間はわずか一呼吸。


 廊下を出たばかりの少女に背を向け、直樹は走りだす。

 直後、教室を怒号が飛び交った。おおかた直樹が受け取った手紙をラブレターか何かと勘違いしたのだろう。


 だが、そんなことに構っている暇はない。

 直樹は走る。向かう先は三階図書室。宝琳院庵の領域だ。



「直樹くん? なんだいそれは? ラブレターかい?」



 図書室に飛び込み、息を弾ませながら扉に背を預けていると、宝琳院庵が楽しそうに声をかけてきた。

 彼女のからかいを無視して、直樹は乱暴に封を開け、中に入っていた手紙を取り出す。ひと目見て、その姿勢のまま凍りついた。


 文章は、ごく短く、単純。



 ――龍造寺円を取り戻したければ、白音ちゃんを連れて来て頂戴。



 差出人の名は、“神がかりの巫女”――小城元子。

 すべてを理解し、直樹は怒りのままに手紙を握りつぶした。





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