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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビサシ-鍋島直樹と悪魔の遊戯―
5/58

ユビサシ05



 宝琳院庵。

 中野一馬。


 かけがえのない友人だったふたりを、直樹は一瞬にして失った。

 いや、ひとりは、おのれの明確な意思のもと、殺した。己の命と親友と、天秤にかけて、浅ましく自分を選んだのだ。


 諫早直は、下を向いたまま動こうともしない。

 声をかける事もためらわれるような、そんな態度が、直樹には、無言の責めであるように思われた。


 直樹は涙を禁じた。悲しむ資格など、直樹にはない。

 もとより、そんなところはとうに通り過ぎていた。いまの直樹は、自らの五体をなにかに叩きつけてすり潰してしまいたい。そんな思いに駆られている。

 直樹もまた、心が死んでしまっていることに、本人は気づいていない。



「直樹」



 見かねて円が声をかけた。



「一度教室に戻ったほうがいい。多久も、一人にしておくわけにもいかない」



 目を向けて、直樹は円の瞳に悲しみの色が浮かぶさまを見た。

 そして気づいた。



 ――いまは。この悪夢が終わるまでは。



 直樹は無気力であることなど、許されないのだ。

 宝琳院庵が殺され、中野一馬を殺した以上、龍造寺円を、諌早直を、多久美咲を守るのは、もはや直樹しかいないのだ。

 直樹は半ば死んだおのれの体に鞭を入れた。



「一度、戻るか」



 直樹が口に出して言ったのは、諫早直に聞かせるためだった。

 ひとりにさせておくのは心配だったが、一馬を殺した張本人である直樹や円がいても、逆効果でしかない。



「俺たち、教室に戻ってるから」



 頑なに下を向き続ける彼女にそれだけ言って、直樹たちは図書室を出ていく。



「待って」



 背後から、直のか細い声が上がった。



「大丈夫、だから。行けるから」



 そう言って健気に、直は無理やりの笑顔をつくってみせる。

 その目が、死んでいる。


 いっそ無残なその姿に、直樹は声をかけることもできず、ただ、直に合わせて歩速を緩めることしかできなかった。


 校舎の中で、唯一灯りがついた彼らの教室は、だというのに暗く沈んでいた。

 仕切ってあるせいで、やけに狭く感じた教室も、いまはうそ寒いほど広い。

 三人が教室に入ると、その音が耳に障ったのだろう、多久美咲の目が薄く開いた。

 寝ぼけ眼の少女は、かるく頭を振って、ようやく視線をこちらに向けてきた。



「あ……ゆめ、じゃ、ないの?」



 美咲は戸口に立つ直樹たちをぼうっと見て、口を開いた。



「神代くんは?」



 言う間に、状況を思い出したのだろう。美咲の顔がどんどん青ざめていく。



「中野くんは? 宝琳院さんは? いったいどうしたの?」



 美咲の質問に、直樹は答えることができなかった。

 それが、なによりの、答え。


 美咲は後じさった。

 面に浮かぶものは、怯えというより、恐怖に近い。



「多久――」


「来ないで!」



 美咲のあげた叫びは、明確な拒絶。



「おかしいよ! わけ分からない! 近寄らないで!」



 彼女の言葉に、直樹はあらためて傷を抉られた。


 神代良と中野一馬を殺したのは直樹だ。

 鍋島直樹はふたりの人間を殺した。たとえそれが身を守るためだとしても、言い訳してはならない、事実なのだ。


 多久美咲が直樹に向ける視線は、まるで怪物を見るようだった。

 それでも、直樹は現状を彼女に伝える義務がある。

 口を開こうとして、直樹の肩に手が置かれた。


 手の主――円が、首を横に振る。

 いまの彼女には、言葉は通じない。興奮した彼女を刺激しないほうがいい。無言の言葉が、明確に伝わってきた。


 直樹はあきらめて、地面に腰をかけた。

 美咲は、警戒するように距離を置き、やがてその場で座り込んだ。


 廊下側と、窓側の壁際。

 それが、美咲と直樹の心の距離だった。

 伏した頭の奥から、すすり泣く音が聞こえてくる。


 直樹は、ただそれを聞いているしかない。

 いや。すべきことは、ある。



「――円」



 決然と、直樹は声をかけた。

 肩を並べて座る幼馴染は、揺れぬ表情で直樹を見ている。



「なに? 直樹」


「宝琳院が、お前なら見当がつくだろうって言ってたけど、どうなんだ?」



 直樹は問うた。

 彼女はわずかに目を伏せ、そして答えた。



「推論交じりに八割がた、といったところだが」


「それでいい、聞かせてくれ」


「――千葉先生」



 ふたりの会話に、錆びたような高い声が割って入った。

 諫早直だった。宙に視線を据えて動かさず、それでも声は直樹たちに向いていた。



「千葉先生も、巻き込まれてるかもしれない」



 言われて、はじめて直樹はその可能性に思い至った。

 なんとなく、死のゲームに巻き込まれたのは教室にいた八人だけだと思っていたが、よく考えてみれば職員室にいた彼女も、巻き込まれていないという保障はない。



「それは……考えていなかったな」



 直樹は腕を組んで唸った。



「ひとりだけ安全なところに居たのなら、あの人が犯人かもしれない」



 陰に篭ったような、直の声だった。

 その様子に、直樹は漠然とした危うさを感じた。



「――わたし、行って来る」


「私も行こう」



 決然と立ち上がる直に、円が同調した。



「俺も」


「いや。やめておいた方がいい」



 諫早直の様子が不安になった直樹は、続こうとして、円に止められた。



「私と直樹は“仲間”だから、直樹は残った方がいい」



 円が耳打ちした言葉が、すべてを語っている。

 いまの直を、いたずらに刺激するわけにはいかない。直樹は残るしかなかった。



「気をつけて、行ってこいよ」



 円たちの背に、直樹は声をかける。

 軽く手を挙げて、円がそれに応えた。









 階段を下りた正面にある職員室の中、扉を開けて右手の奥に宿直室がある。

 ふたりは無言で歩を進めていく。


 憑かれたように行く直の前を、円は静かに歩いている。

 彼女もまた、ふたりの人間を、指さしで殺した。

 にもかかわらず、端正な顔には、罪悪も、悔恨もみられない。いや、そのようなもの、彼女には無い。

 なぜなら、彼女には感情というものがないのだ。


 龍造寺円は、生まれたときから感情というものが希薄だった。

 人がなぜ笑うのか、なぜ泣くのか、理解することができなかった。

 だが、天性聡明な彼女は、物心つくころには、そんな自分を隠すことを覚えていた。


 しかし、演技をすればするほど、自分が人形のように思えてくる。

 感情を揺り動かすため、橋の上から河へ飛び込むような、あるいは走ってくる車の前に飛び出すような無茶もやった。

 だがそんな訓練が、円によりいっそう怪物じみた冷静さをもたらした。


 半ばあきらめ始めた十一歳の春。円は直樹に出会った。

 引っ越してきた実家の隣。そこに住む少年の顔を見たとき、少女の胸は高鳴った。


 少年と話している間中、心臓が躍り上がっていた。少年の一挙手一投足が気になり、また、なに気ない会話すら、楽しくて仕方ない。

 このような体験は、円にとって初めてのことだった。


 おそらく、父親や友人に尋ねれば、すぐさま答えが返ってきただろう。

 それは恋というものだ、と。

 だが、自分の異常をひた隠しにしてきた円には、相談する相手などいなかった。

 それゆえに。

 龍造寺円にとって、鍋島直樹は、自分を人間にしてくれる無二の存在なのだ。


 いま、直樹を残してきたのも、底にある理由は、直樹を危険に巻き込まないためだ。

 彼女にとって、直樹を守るということは、自分の命よりはるか上位におかれるべき事項なのだ。









 暗い階段を下りると、正面に職員室が見えてきた。扉に手をかけ、円はそろそろと開く。


 音ひとつ立てずに中に入ると、諫早直も、それに続いた。

 闇の中、雑然と並んだ机を縫って進んでいくと、奥のほうから明かりが漏れているのが見えた。


 それを宿直室だとあたりをつけ、円はなお注意深く足音を殺しながら近づく。

 と、部屋の中から声が漏れ聞こえてきた。

 特徴的なその声色は、円たちにとって、聞きたくもない類のものだった。



「――てなわけだ! がんばってゲームやろうぜYA‐HA!」


「ふざけないでください! わたしの生徒たちに指一本でも触れて御覧なさい。どんな手段を使ってでも、あなたを殺してやります!」



 円は迷わず扉を開けた。

 そこにいたのは千葉連と、あの悪魔。

 悪魔を相手に、千葉連は一歩も引かず、相対している。その姿は、聖職者そのもの。



「YA-! 大事な生徒さんたちが来たぜ!? どうする? センセイよ! HA-HAA!」



 嘲笑を残して、悪魔の姿はかき消えた。

 その虚空にしばし視線をとどめ、ようやく気付いたのだろう。戸口に立つふたりを、彼女は顧みた。



「……あ、龍造寺さんに諌早さん、みんなは無事ですか?」



 心配そうな教師の顔、その頭上には“3”の数字が浮かんでいる。

 円が答えようと、言葉を選んだ、一呼吸ほどの間。

 円の背後から指が伸びた。



「諌早さん!?」


「千葉連!!」



 直の声には一片の躊躇もない。

 淡い驚きの表情を浮かべたまま、千葉連は塩の柱と化した。



「諌早」



 さして衝撃を受けた風もなく、円は瞳を直にむける。

 少女はそれに警戒するように一歩、間合いを外した。



「――これで、わたしの数字はあなたを越えた」



 円は、片眉を上げた。

 諫早直の貌は憎悪で歪んでいる。そこまでの憎悪をぶつけられた事が、円にとっては純粋に意外だった。



「一馬は慎重なヤツだから。宝琳院さんが“4”なら、わたしの数字は“4”以上。それに宝琳院さんの数字を加えて“6”。いまので“9”。やっと、あなたを殺せる数字になった」


「中野のことか」



 そのことに思い至らなかったのは、円が鈍いからではない。

 円は、直樹を通した感情しか知らない。

 だから直樹に絡まない感情に関しては、円は極端に鈍いのだ。たとえそれが殺意であっても。



「あれは、やっぱり一馬が悪いんだと思う……でも、あいつは死んであなたは生きてる。そんなこと――許せない!」



 静かに、そして迅速に、直の指先は円を捉えた。

 あらかじめ計算を立てていた諫早直と、心理的な不意をつかれた龍造寺円。その差は歴然。



「龍造寺――」



 だが、円の身体能力は、その差を埋めてなお余りある。

 直の口が最後の言葉を紡ぐはるか前に、円の拳は五歩の距離を埋め、直の腹に突き刺さっていた。

 体重の乗った円の拳は、華奢な直の意識をたやすく奪いさる。拳にのしかかる少女の体を支えながら、円はつぶやく。



「護身術のひとつも習えば、間合いの取り方くらいわかったろうに」



 軽くため息をつき、円は直を担ぎ上げる。

 抵抗なく持ち上がる彼女の軽さに淡い羨望を覚え、円は口を引き結んだ。

 部屋を出ようとして、円は足を止めた。顧みれば、千葉連であった塩の塊が地面に散らばっている。



「一番手ごわいと思っていたが、やはりスタートの差はいかんともし難かったな。

 あなたがいつものようにぼやぼやしてる内に……こちらはとっくに覚悟をきめていたんだ」



 言葉を投げ捨て、円は引き戸を閉めた。

 円にとって、直樹さえ無事なら、だれが死のうと、どうでもいいことなのだ。





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