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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビサキー鍋島直樹と障り神の巫女ー
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ユビサキ02



 放課後。直樹は宝琳院庵ほうりんいんいおりのもとを訪ねた。

 鬱々とした気分を吹き飛ばしてしまった美咲の問題について、相談するためだ。


 行先は、例によって三階図書室。

 佐賀野高校の図書館は規模が大きく、校舎の二階と三階に渡って存在する。

 生徒たちは主に続き階の図書室を利用するのが常であるが、この少女は長年縄張りとなっていた三階図書室を新たな一、二年生に明け渡す気などないらしく、相変わらず部屋の中央にある大机に居座っている。


 光すら吸い込まれる漆黒の髪に、対象的に白い肌。

 時代劇に出てくるオヒメサマのような容姿の悪魔少女は、“ユビサシ”の悪魔から続く幾多の因縁において、常に直樹の相談役だった。

 しかしながら。



「相談を持ってきてくれたことに関しては、まあ、ボクを信頼してくれていると思えば悪い気はしないし、良いのだけどね」



 今回の相談に対する彼女の返事は、色よいものではなかった。

 直樹は意外を隠せないでいると、彼女は黒髪を手で梳りながら、言葉を続ける。



「基本的には知ったこっちゃない、というのが正直なところだね」



 声の温度が、心なしか常より低い。



「冷たいな」



 直樹は思わず非難めいた言葉を口にした。

 それに対し、悪魔少女は悪びれもせず、ただ口の端で苦笑を形作る。



「弱い人間は、いつだって山のようにいるし、ボクはそんな人間を散々見てきたからね。

 そんな人間の姿も、まあ嫌いじゃないけど、やっぱりボクは突き抜けた人間は好きなのさ……誰かさんみたいにね?」


「こっち見んな」


「……どっちが冷たいんだか」



 直樹が切り捨てるように言うと、悪魔少女はやれやれとばかりにため息をついた。



「まあ、宗教に嵌るってことは、どこかに救いを求めてるってことだよ」



 ややあって。

 仕方なく、という風に、悪魔少女は説明を始めた。

 この辺り、人が良いのか、それとも直樹のために仕方なくなのか。


 六分四分、あたりじゃないかと、直樹はにらんでいるのだが。



「救い?」


「まずは聞きたまえ。こういうのには順序があるんだ……多久君の家庭環境は――そうだね。観察した限りでは特に問題がないようだったが」


「分かるのか?」


「ぼうっとしてる多久くんがいつも定時に登校するのは保護者がしっかりしているためだろう。

 靴下や身の回りのものを見ても金に困っている風には見えない。彼女はアルバイトをしていないから、家もそこそこに裕福なのだろう。

 普段に親しんでいるからだろうね。“おとーさん”“おかーさん”と呼ぶ声音にも屈託がない」



 さらさらと述べられる推論には淀みがない。

 宝琳院庵は人間観察が趣味だ。だからこそ、美咲のことを相談したのだが、あまりの詳しさに、直樹は思わず引いてしまった。



「だから」



 ほっそりとした白い指を立て、少女は結論を述べる。



「――悩みがあるとすれば学校。それも、まあ恋愛関係だろうね」


「恋愛……」



 直樹は口の中でつぶやいた。

 いつもぽやぽやとした彼女の印象からは少し外れたものに思えるが、それは高校生の持つ悩みとしては至極まっとうなものだ。


 平凡で、健全で、そしてありふれた悩み。

 しかし、だからこそ。神にまで縋ろうという美咲の苦悩の深さに、直樹は思いを馳せずにはいられない。



「そう、恋愛といえば」



 最後に。

 彼女は机の上で足を組み替えながら、直樹に目を流し、言った。



「いつまでもボクの告白を宙ぶらりんにされても困るな。いや、断られても諦めないつもりではあるんだけどね?」









「あー」



 うめき声と唸り声がないまぜになった音を口から発しながら、直樹は帰路を行く。

 足取りは幽霊のようで、ふらふらと一方に定まっていない。

 宝琳院庵の最後の言葉は、それほど効いた。


 彼女の鍋島直樹に対する好意に関して疑う気はない。

 なんとなくだが、本気で言ってるんだろうなとは感じている。

 だが「いきなり結婚してくれ」などと斬りこまれて、それを正面から受け止められるほどに、直樹は成熟してない。本気でどうしようと途方に暮れている。

 だが。



 ――いつまでも宙ぶらりんに。



 この言葉が効いた。

 鍋島直樹が何よりも共感せざるを得ない言葉だったから。


 直樹は天を仰ぎみた。

 その向こうに、なにを見ているのか。しばらくしてから、直樹は口を開いた。



「やっぱり、このままじゃ駄目だよな。こんな俺のことを……好いてくれてる奴が居るんだから」



 声音には、しかしいまだ迷いが含まれていた。









 翌日は土曜で、授業は午前中で終わった。

 まだ日の高い放課後。直樹は駅前の喫茶店“RATS”に、宝琳院白音を呼びだした。


 相談のためだ。

 もちろん直樹の個人的な恋愛相談などではない。多久美咲について彼女に意見を求めるためである。

 しかし、事ある毎に会って相談し合っている直樹と妹に対し、庵は最近わりと本気で危機感を抱いているらしい。



「まさかボクを放っておいて、白音に手を出すつもりじゃないだろうね。そんなことされたらボクは泣くよ?」



 などと、らしくもなく釘を刺してきたものだ。


 それはともかく。

 直樹が聞きたかったのは、多久美咲が嵌っているという新興宗教についてだ。

 およそこの日本において、新興宗教が絡んだもので良いニュースを見たことのない直樹にとっては、まず最初に確認しておかねばならないことだった。



「名前は、えっと、なんて言ってたかな? なんとか様? そんな感じ」



 諌早直から聞いていた名前を出して尋ねる。

 白音――宝琳院庵と瓜二つの妹である彼女は、「そんなに短い言葉も覚えられないなんて残念な頭の造りですね」とでも言いたげに軽く鼻を鳴らした。



「直樹さんは想像通り、残念な頭の造りをしています」


「想像した言葉より数段ひどい!?」


「いえ、以前直樹さんに指摘されたので、今度は言葉をオブラートに包んで口にしました」


「内心ではさらにひどいのか!?」


「――というか、直樹さん」



 居ずまいを正して、白音は言う。



「人に相談をするのなら、情報を正確に覚えておくのは当然のことと思いますけれど。軽い気持ちで関わろうというわけでも、ないのでしょう?」



 彼女の言う通りだ。

 生半可な気持ちで関わろうとしているのではない。

 だったら多久美咲に関する情報の一片一片は、なにより貴重であるはずなのだ。



「あ、ああ。ごめん白音、その通りだ」


「……いえ。別に、私に謝られてもですけれど」



 直樹が頭を下げると、白音は無表情をすこしだけ崩した。

 白音をよく知る直樹には、彼女がすこし動揺しているのだとわかった。

 白音の表情が平静に戻るまで、数呼吸。それだけ置いて、彼女は口を開いた。



「まあ、その情報からでも、他のキーワードを攫えば答えに行きつくことは容易です」



 姉と同じように、少女は指を立て、口を開く。



「天使様」


「テンシサマ?」


「ええ。直樹さんのご学友が嵌っているのは、それでしょう」


「教えてもらっていいか?」


「ええ。もっとも、それほど詳しいわけではありませんが」



 白音はそう前置きしてから、言葉を続けた。



「天使様は宗教、と言うほどたいしたものではありません。

 法人登録もしてありませんし、それどころか僧侶とかお坊さんに類する、教えを与える人間も、神殿や聖地に当たるものもありません」


「どういうことだ?」


「おまじないのようなもの。だと考えてもらって結構かと。

 厳しい教えもなく、縛りもほとんどない。そんなゆるい感じのもので、だからか中高生の間では相当な速度で広まっていると伝え聞いております」



 伝え聞いている、と言う割には、異常に詳しい。

 聞いた情報を自分なりに整理、分析しているのだろう。

 このあたり、やはり宝琳院庵と姉妹だな、と直樹は思う。



「どんな教えなんだ?」


「天使様はいつも見ていて、それに恥ずかしくないことをしていれば、天使様は助けてくれる――といった感じの、簡単なもののようです。まあ、霊験あらたかなようですね。私は信じてはいませんが。とるに足らないおまじないの延長のようなものでしょう」



 白音はきっぱりと断じた。



「そんなものか」



 直樹は胸をなでおろす。

 騙してお金を取られる類のことは、心配しなくてよさそうだった。

 なら、素行の乱れも許容範囲だろう。白音も一から十まで知っているわけではないので安心するわけにはいかないが、諌早直や――直樹自身がしっかりすれば、酷いことにはならないだろう。


 そう、直樹は安心した。してしまった。

 宝琳院白音は想像もつかなかっただろう。自分が与えたその安心が、直樹に最悪の選択をさせてしまうことを。









 月曜日の放課後、直樹は多久美咲を屋上に呼び出した。

 あらかじめ事前情報を得ているせいで、妙な緊張はしていない。

 ただ美咲を屋上に誘ったとき、クラス中から直樹死ねな視線を投げかけられた気がしたが。


 部活動に励む少年少女の声を背に、待つことしばし。ゆっくりと扉が開き、多久美咲は姿を現した。



「あ、あの」



 美咲の態度は、たしかに変だった。

 どこかそわそわしながら、後ろ手で扉を閉めた彼女の顔は紅潮しており、伏せられた目には、ある種の期待の光があった。



「ああ、多久――」


「鍋島くん」



 おかしい。

 目の色が尋常ではない。

 瞳から発せられる異様な圧力に、直樹は思わず押し黙ってしまう。

 そんな直樹に対して、美咲は頬を赤らめたまま、ひとり、小声でつぶやいている。



「やっぱりこのシチュエーションは告白だよね。ついに願いがかなうんだね。嬉しいな。嬉しいな」



 右に、左に。体を揺らしながら、少女は恍惚の瞳で天を仰いでいる。


 直樹は身震いした。

 宝琳院庵が以前言っていた言葉を思い出す。

「不可知とは、人が最も恐れるものだ」と。たしかにその通りだ。

 だから。いま目の前に居るこの無害な少女を、直樹はなによりもおぞましく感じている。



「……多久」


「美咲、って呼んで欲しいな。鍋島くん」



 どこか焦点の合っていない瞳で返事をすると、多久美咲はゆらり、と身を揺らしながら近づいてくる。

 その足取りは、たがいの息の音が聞こえる距離になっても止まらず。ひたり、と身を寄せて、はじめて少女は破顔した。



「えへへ。鍋島くんの香りだあ」



 冷や汗をかきながら、直樹は動悸を抑えきれない。

 それは美咲から送られる秋波に当てられたからではない。恐怖のためだ。


 直樹にはわからない。

 多久美咲が、なぜこうも自分に好意を、それも狂気に近いレベルで寄せるのか。


 当然だ。

 直樹は知らないのだ。

 おまじない好きの美咲が、悪魔を召喚してなにを願おうとしたかを。

 彼女が抱いたささやかな願いを。



「ねえ、鍋島――いえ、直樹くん?」



 明るくて、いたずら好きで、だれにも屈託なく話しかける。

 そんな一人の少年に、多久美咲はほのかな好意を抱いていていた。

 文化祭でいっしょに設営をするようになり、ともに時間を過ごすうち、その想いは、はっきりと恋愛感情に変わった。


 だが、彼女の恋は絶対に実らない。

 龍造寺円。彼とつかず離れずにいる、幼馴染の美少女。

 宝琳院庵。彼と話す時だけ饒舌になる、無口な、お姫様のような美少女。


 そんなふたりに、美咲は敵うはずがない、と思い。

 それでもあきらめきれず、胸の痛みから逃れるために、彼女は悪魔に縋った。


 その結果、“ユビサシ”の惨劇が生まれたことを、直樹は知らない。



「み……さき」



 何も知らない直樹にとって、美咲が寄せてくる好意はあまりにも過剰で、唐突で、だからこそ恐怖を覚えずにはいられなかった。

 直樹は必死で告げるべき言葉を考えたが、制服越しに感じる美咲の体温が、直に触れる彼女の吐息が、直樹の思考を無茶苦茶にかき乱す。



「直樹くん? わたしね――」



 美咲が決定的な言葉を口から紡ぎだしかけた、そのとき。

 ガチャリと、ドアノブを回す音。同時に屋上の扉が開いた。

 助けを求めるように、直樹は視線を送った。扉の奥にいたのは、直樹が良く知る顔。


 諌早直だった。



「あ、その、ごめん。お邪魔だった、よね?」



 身を寄せ合うふたりの姿を見て何を勘違いしたのか、彼女は頬を赤らめ、居心地悪そうな笑顔を向けてきた。



「お邪魔だよ」



 とりあえず空気を変えるきっかけになれば。

 そう思った直樹に先だって言葉を返したのは、多久美咲。

 その声色は、さきほどとは打って変わって冷たく――ぞっとするほど暗いものだった。



「――あなたは、いつもそう。おせっかい焼きなのに、空気が読めなくて、わたしが大切にしてる場所に、ズカズカと踏み込んできて……」


「み、美咲さん?」



 諌早直にとっても、見たことのない多久美咲の姿だろう。

 うろたえたように手を交差させる彼女に、瞳に狂の色をたたえた少女はゆっくりと近づいてゆき――自分の肩越しに後ろを見て、呼びかけるように言った。



「ねえ。悪魔さま・・・・?」



 直樹は感じた。

 美咲の背後に在る、異常な存在を。


 猛烈な悪寒。

 時間が裏返る感覚。

 胃液が逆流する。


 忘れない。

 忘れようがない。

 このおぞましい感覚は、直樹は心に強く焼き付けられ、癒えない傷として残っている。


 それ・・が諫早直に触れた。瞬間。



「あああああああっ!!」



 直は絶叫した。

 気が、触れたように。

 感情の暴風を吐き出すように、彼女は叫び続ける。



「諫早ぁっ!!」



 暴れ出そうとする直を、直樹は必死で抑えつける。

 それを尻目に、美咲は悠然と、直樹たちの脇を通り過ぎていく。



「――じゃあ、またね。直樹くん」



 当たり前のように出てゆき、しばらくしてから。

 ふらりと姿を現した龍造寺円が、ようやく気を失い、倒れてくれた直を見て顔色を変えた。



「呼ばれた気がしたので来てみれば……何があった?」



 直樹にも、わからない。

 その日から、多久美咲の姿は学校から消えた。





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