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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
閑話
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閑話10 鍋島直樹と双子たち


 その日、鍋島直樹はいきなりの怒鳴り声に夢の中から叩き出された。

 目を開き、時間を確認すれば、まだ日付も変わっていない、

 期末試験が終わり、気楽な休日をしこたま遊び倒した直樹の体は、まだまだ睡眠を欲している。



「……いったい何なんだ」



 重い体をひねりながら身を起こすと、言い争う男女の声がはっきりと聞こえてきた。



「なんだよっ!!」


「なにさっ!!」



 壁一枚隔てたすぐ隣からだった。

 直樹の、双子の異母兄弟。澄香すみかただしが使っている部屋だ。



 ――珍しいな。あいつらが喧嘩なんて。



 あくびを噛み殺しながら、直樹は思った。


 澄香と忠は、昔から仲がいい双子だ。

 仲がいいと言っても性別の違う兄妹のこと。普通ならそれなりに距離があるものだが、この双子にはそれもない。


 いつも一緒につるんで騒ぎまわっている。

 その、騒ぎまわるのレベルも常人とは隔絶しているのだが。

 思い出しながら直樹がたそがれている間も、喧騒は止まない。


 そして。


 ばん、と襖が開く音。

 続いて競うように廊下を駆ける音。

 それから直樹の部屋の襖が勢い良く開く音。



「――にーちゃん、いっしょに寝よ!」


「――兄さん今日いっしょに寝よ!」



 直樹に向かって突っ込んできた双子は、餌を求めるヒナのごとく詰め寄ってくる。

 勢いに押されてのけぞった直樹になお顔を寄せながら、双子は互いに睨みあった。



「俺のほうが速かった!」


「手はわたしのほうが早く入ったよ!」


「澄香女だろ! 部屋で寝てろよ!」


「兄妹だからいいんです―! 忠こそ部屋で一人寂しく寝なさいー!」


「なんだよ!」


「なにさ!」



 ガンガンと額をぶつけあいながら、双子は布団の上で騒ぎだす。

 原因はさっぱり分からないが、とりあえず双子がなにを求めているのかは分かった。


 直樹は眉を顰め、脱力感とともに深いため息をついた。



「おまえらな……一緒に寝たいなら、三人で寝りゃいいだろ」


「にーちゃんとは寝るけど、澄香となんか寝たくないんだよ!」


「兄さんと寝るのはいいけど忠とはヤなの!」


「おーい、おまえら。十秒以内に騒ぐのやめないとグリグリやるそ?」



 直樹が双子によくやる罰だ。

 双子は飛び上がって正座すると、両手で自分の口を押さえた。



「……それで」



 布団の上に胡坐をかくと、直樹は並んで正座したふたりをねめつける。



「――おまえらなんで喧嘩してんだ」


「それは澄香が!」「それは忠が!」



 弾けるように答え、お互い睨みあう双子に、直樹は両手で拳を作った。

 あわてて基本姿勢に戻った双子に、「とにかく」と、直樹は不機嫌に言いつける。



「夜は騒ぐな。俺は眠いんだ。帰って寝ろ」



 不満げな顔のふたりを尻目に、直樹は早々に布団をかぶってしまう。

 すると、ふいに澄香が拗ねたように声を上げた。

 



「……じゃあいいもん。わたしはおねーちゃんと一緒に寝るもんねー。忠は兄さんと寝てればいいさ!」


「あ、ズルイぞ! まどかねーちゃんとは僕が一緒に寝るんだ!」



 忠も即座に応じる。

 止めようとした時には、すでに双子は部屋を飛び出ている。

 口論しながら玄関のほうに駆けてゆくふたりにため息をつきながら、直樹は枕元に置いていた携帯電話を手繰り寄せた。


 着信履歴から、双子の向かった先。隣家に住む幼馴染の龍造寺円に電話をかける。

 深夜だというのに、いつも通り、彼女はワンコールで出た。



「もしもし円? もうすぐ澄香と忠が行くと思うから――撃退しといてくれ」


「わかった」



 躊躇なく答える円に「お休み」と言ってから、直樹は再び目を閉じた。

 直後に遠くから双子の悲鳴が聞こえてきた気がしたが、すぐに睡魔が直樹の意識を攫って行った。









 次の日の朝。

 朝食のテーブルにやってきた双子は、互いに一言もしゃべらないまま席につくと、そっぽを向き合って食べはじめた。

 母が青い目を向けて行儀の悪さを注意したが、双子たちは生返事をして、食事を終えるや否や競い合うようにして登校していった。



「まったく、あの子たちは……後で直樹さんからも注意してやってね」



 父親はすでに出勤しているので、母の愚痴は自然と直樹に向けられる。

「了解」と、片手を挙げて返しながら、直樹は珍しいこともあるものだと内心驚いていた。

 澄香と忠。いつも一緒に居て飽きもせずに騒いでいるあのふたりが、日をまたいで喧嘩を引きずったことなど、十四年間ふたりの兄をやってきた直樹の記憶にもほとんどない。



 ――ま、それでも。大事にはならないだろ。



 この時の直樹は、ふたりの喧嘩にたいしてそれほど危機感を持っていなかった。


 しかし、その日の夕方。



「――迷惑です」



 放課後速攻で喫茶店“RATS”に呼び出された直樹は、宝琳院白音から開口一番、苦情を訴えられた。


 光すら拒絶するような漆黒の髪と、対象的に白い肌。どこかオヒメサマじみた容貌の主。

 同級生にして友人である宝琳院庵と瓜二つの妹は、双子の喧嘩のとばっちりを受けたのだろう。ぼろぼろの姿だった。



「双子をなんとかしてください――可及的速やかにです」



 いつも通りの無表情も、心なしか荒んでいる。

 その様子を見るに、相当なことをやらかしたようだった。



「あいつら。まだ引っ張ってんのか」



 直樹は椅子に背を預けながら、困ったもんだとつぶやく。



「いつ以来だろうな……小五ぐらいの時マジ喧嘩して、あの時は一週間くらいそんな状態だったなあ」


「待てません」



 思い返しながらそれを伝えると、少女は焦ったように肩をゆすりながら主張する。



「待てません。あの双子、このペースなら三日もあれば学校を潰してしまいます」


「おい、さすがにそれは冗談……じゃ、ないみたいだな」



 白音の瞳は真剣そのもので、けっして大げさに言っているわけではない。


 本当かもしれない、と直樹は思った。

 なぜだか知らないが、関わったトラブルを相乗倍に増幅してしまう。そんなところが双子にはある。

 ましてや自分たちがトラブルの火種となっているのだ。トラブル永久機関がフル稼働すれば、いかに泰盛学園。卒業生に地方や中央の有力者が多数名を連ねる名門校とて傾かないとは言い切れない。


 考えていくと、あまり良い未来には行き当たりそうにない。

 白音も同じように予測し――おそらくは間に入って止めようとしたがゆえに、ぼろぼろの姿になり果てたに違いない。


 遅まきながら危機感を覚えはじめた直樹は、まだ半分以上残っていたミルクティーを一気に干すと、ポケットから携帯を取り出す。



「俺からちょっと話してみる……つっても、ふたり一緒じゃ文字通り話にならんし、どうしたもんだろ。

 片方呼び出したら、絶対もう片方もついて来るだろうし」


「喧嘩をしているのに、なんで一緒に行動してるんですかと言いたいです……ですが、直樹さんが兄としての義務を果たしていただけるのなら、私も知恵は出しましょう」



 心底疲れたような声で息をつきながら、少女は策を述べた。

 直樹が頭をかいて呆れるような、実に彼女らしい策だった。









 ちょうど同じころ。

 双子――鍋島澄香と忠は、私立泰盛学園から佐賀城に向かう道を、自転車を押しながら歩いていた。

 時間も時間。帰宅する生徒は多い。その中を、ふたりは険悪なオーラを放ちながら早足で突き進んでいる。



「忠、あんたのせいで白音ちゃんに怒られたじゃない」


「なんだよ。そんなの澄香のせいだろ」


「嘘。忠が消火器なんて持ち出さなかったら、あそこまで騒ぎ大きくならなかったもん」


「そのあと澄香だって車イスとか出してきたじゃん。立花先輩の。白音ちゃんが怪我したの、あれに乗せられて階段でクラッシュしたせいだろ!」


「忠がバリアーにした大友先輩が不甲斐なく跳ね飛ばされたせいじゃない!」



 双子の会話は段々ヒートアップしていく。



「おい、おまえら。バイフォー。往来のど真ん中で騒ぐもんじゃないぞ」



 下校途中の生徒の一人が、たまりかねたように双子をたしなめた。

 注意された双子たちは怪訝な顔になり、お互い不機嫌な表情を向け合う。



「……誰? 先輩?」


「三年生の人だろ。ほら、こないだ新町のほうで見た」


「ああ。髪の長い奇麗な人と一緒に居た先輩だ」


「そうだろ。奇麗な人とデートしてた先輩」



 その会話に、男子生徒があせりはじめ、ふたりを止めようとした、その時。



「……瀬川せがわ君?」



 男子生徒の背後から、絶対零度の声がかけられた。

 彼が振り返ると、そこに居たのは、泰盛学園中等部の制服を着た、ショートカットの女生徒だった。



「き、きくちゃん」



 男子生徒があとずさる。

 それをゆっくりと追いながら、女生徒は感情を消し去った声で続ける。



「その髪の長い奇麗な人について、話を聞かせてほしいんだけど。たっぷりと。詳しく……血を吐くまで」


「こわっ!? 怖いよ菊ちゃん! いや違うんだ。話を聞いて――」


「ええ。聞かせてもらうから。力づくででも」



 さらにあとずさる男子生徒。

 そのとき、けたたましいクラクションとブレーキ音が響いた。

 彼女の圧力に道にまで押し出された男子生徒を轢きかけた自動車が、少年の制服の裾を掠めながら激しくスピンして急停車。幸い道は混んでおらず玉突き事故は避けられたが、道路の真ん中で停車した車のせいで、ほどなくして渋滞が起こる。


 クラクションの嵐の中、冷や汗を垂らした男子生徒はようやくにしてへたり込み、周りにいた一人身の男子生徒たちから舌打ちの雨を浴びた。


 大参事の中でも、双子は平然としている。

 委細構わず再び口げんかを始めようとしたところに。



「澄香。忠」



 透明な声がかけられた。

 双子が振り返ると、そこに居たのはよく見知った顔だった。

 長身に艶やかな長い髪。恐ろしいほど顔の整った少女。直樹の幼馴染、龍造寺円だ。



「おねーちゃん」「円ねーちゃん」


「おまえたち、まだ喧嘩しているのか?」



 普段姉と慕う円の姿を見て顔を輝かせた二人だったが、喧嘩の話題が出た瞬間、即座に顔をそむけあった。


 周りではいまだに騒動が収まっていないが、その元凶である双子の存在は、すでに周囲の人間の意識から外れている。

 むろんそのことに双子は気づいていないし、ましてやそれが龍造寺円の仕業とは、想像だにしないだろう。


 去年のクリスマスイヴ。“ユビキリ”の事件以来、彼女にはこんな魔法めいた事が出来るようになっているのだ。



「とりあえずいっしょに歩こうか。ここは騒がしい」



 さりげなく双子たちを騒動から切り離した美しき魔女は、ふたりを誘う。


 そこへ、唐突に電話が鳴った。

 着信音は、忠の携帯電話のものだ。

 ディスプレイで発信者を確認した忠の顔が輝く。



「あ、にーちゃんからだ――はい。もしもし? にーちゃん?」



 わざと聞かせるように口にする忠に、澄香はむーと口を膨らませた。

 しかしその直後、澄香の携帯電話も鳴り始める。こちらはメールらしく、澄香は画面を一瞥しただけだった。



「にーちゃんが、俺だけに、話があるってさー!」



 電話を切ると、忠は調子に乗ったように澄香にひけらかす。

 澄香はむーと頬を膨らませていたが、忠が自転車に乗っていなくなると、ふいに不敵な笑みを浮かべた。



「忠のやつ、怒られるとも知らずに」



 少女は意地悪く笑いながら、円にメールを披露した。


 発信者は“白音ちゃん”。

 直樹が双子を一人ずつ呼び出して説教しようとしていることを暴露する内容だった。



「……小賢しい知恵を巡らせる」



 それだけですべてを察したのだろう。円が小声でつぶやいた。



「なになになんの話?」


「いや」



 顔を寄せてきた澄香に、長身の美少女はかぶりを振って、涼しい顔で言った。



「――直樹に知恵をつけている、小賢しい策士気取りの話だ」



 もちろん澄香にはわからない。

 円のほうも、いちいち説明などしない。



「それより澄香。なにか食べに行かないか?」



 ただ、ごく当然のように。直樹の手助けをするだけだった。









 円が澄香と向かった先は、行きつけのラーメン屋、ししやだ。


 テーブル席に向かいあって座ったふたりは、注文のラーメンが来るや、妙齢の乙女にあるまじき勢いで、猛然と麺をすすり始める。

 円などは、一度に五杯ものラーメンを並べさせ、まるでわんこそばのように次々とラーメン鉢を空にしていく。


 呆れたような周りの視線を独占しながら、ようやく一息ついたころ。



「……それにしても、珍しいな。澄香が忠と喧嘩するなんて」



 ぽつりと、円が言った。

 ごくさりげなく、嫌味にならない。そんな調子だった。



「悪い?」


「悪くはないんじゃないか? 仲がいいといったって、たまには喧嘩もするだろう。まあ、おまえたちのは少々騒がしすぎるが、それもただそれだけのことだ」



 身構えた澄香に対し、長身の美少女は涼しげに答える。



「――まあ、仲直りしたいとちょっとでも思ったら、相手にちゃんとそれを伝えておけ、とは言っておく」


「わかってるよー。普通だったら寝て起きたらそう思えるんだけどなー。いまは無理だ。顔会わせたら絶対ムカムカが復活しちゃう」



 腹立ちが蘇ってきたのか、澄香は渋面になった。

 そんな澄香の様子を見ながら、素知らぬ顔で、龍造寺円はぽつりと尋ねた。



「そんなに腹が立つか? 忠と違うことに」



 それは、知らぬものにとってはまったく意味不明で。

 鍋島澄香にとっては、この上なく急所を抑えた質問だった。


 しばし絶句していた澄香は、深く息をつき、それからあきらめたようにこぼした。



「おねーちゃんには、敵わないなあ」



 それは、間違いなく肯定の言葉だった。


 バイフォー ――鍋島澄香と鍋島忠は双子だ。

 ただの双子ではない。日本人とイタリア人のハーフ。髪の毛は日本人的な黒だが、掘りの深い顔立ちは日本人離れしたもので、はっきり異国の血が混じっているとわかる。


 だから、小さいころは同年代の子供たちにからかわれた。

 いつも庇ってくれる腹違いの兄は、純血の日本人で。血のつながった母親の金髪と碧眼を、双子は受け継がなかった。

 容貌の違いは澄香たちを集団から弾き出し、それゆえ同じ特徴を持つたったひとりの相手とのつながりを、強く意識するようになった。


 鍋島澄香と鍋島忠。ふたりは一緒のもので、同じように扱われることを強く望んだ。

 当人を識別する名前と言う名の記号が違うだけで、澄香は忠で、忠は澄香でなくてはならなかった。


 しかし、両者の差は厳然と存在する。

 澄香は女で、忠は男。この性別の差は、否応なしにふたりの違いを浮き立たせる。


 最初は、澄香が初潮を迎えた時だった。

 自分が相手とは別のものだと否応なしに思い知らされて、互いが互いに腹を立てた。

 自分たちが同じものだと思っている双子にとって、その差異はとても許せないことだった。


 澄香と忠は一緒でなければならないのに。

 ふたりは一緒の存在なのに、こんなことで色分けされるのが許せなかった。


 だから、喧嘩になった。



「今回のも、きっかけはちょっとしたことで……でも、やっぱり私と忠が違うものだって自覚しちゃったのが原因なんだと思う」



 食後に頼んだコーラをストローですすりながら、澄香は物憂げにつぶやく。

 澄香も、今では分かっているのだろう。自分が忠とは別個の人間なのだと。

 でも、それを認めたくないのだ。認めてしまえば自分たちが今まで守ってきた大切な何かが、壊れてしまうから。



「ああ。わたしと忠がほんとに同じだったらなあ」



 澄香が漏らした言葉は、掛け値なしの本音だろう。

 少女の様子をしばらく眺めていた円は、七杯目のラーメンを食べ終えて一息つくと、苦笑に似たものを口の端からこぼした。



「……同じことを考えたやつがいるよ」



 円が言ったのは、ひと月前“ユビツギ”の事件で知り合うことになった少女のことだ。


 倉町時江くらまちときえ

 彼女は自分が劣った存在だというコンプレックスから、自分にかけたものを手に入れようとして、鍋島直樹と融けて混ざりひとつになろうと目論んだ。



「そいつは実際、相手とひとつのものになりかけて――でも失敗した」


「なんで?」


「違うからだよ。人がふたりいれば、それが別々なことは当然で、たとえ心がひとつだとしても、別の体を持ち、別の生活をして、他人から別人と扱われる以上、心は変わってしまう。実際ひとつになること自体無理だったんだ。

 でも、それ以上に。そいつはひとりの人間として、他人に寄り添うことを選んだ」


「なんで?」



 分からないという表情だ。

 ひとつのものでありたいと願う彼女にとって、あるいはそれは愚かな過ちに思えるのかもしれない。



「さあな。私はそいつじゃないから、理由までは分からないよ。

 ただ、そうだな。そいつにとっては、同じになるより、別の対等な存在であることにより価値を見いだしたんだろう。そのように、私には思えた」



 おそらく、澄香には理解できないであろう推論を告げて、円は八杯目を注文する。



「もうひとつ」



 しばらくして、目の前に置かれたラーメンをすすりながら、円はふと思いついたように口を開いた。



「互いが互いで完結する。ほかに何もない、そんな世界を望んだ奴がいた。でも、そいつも、そのことをあきらめた」



 他ならぬ円のことだ。

 去年のクリスマス、円はその障害である宝琳院庵を排除するためにクラスメイトを巻き込んだ壮大な策を巡らし――他ならぬ想い人、鍋島直樹自身の手でそれを破られた。



「それは、なんで?」


「不可能だと気づかされたから、かな?」



 澄香の問いに、円は、今度は迷いなく答える。



「その人の抱えてる世界はとても大きくて、自分一人で閉じ込めてしまうことなんて、到底できなかった。

 それに、気づかされたから。その人が好きってことは、その人をその人にした、その人の世界丸ごとを好きだということを。そこから直樹を切り離したとしたら、直樹は直樹でなくなってしまうかもしれない」


「……途中からもろ自分の話だってばらしてるんだけど――というかおねーちゃん、兄さんを拉致監禁でもしようとしたの?」



 冷や汗を浮かべ、引きながら問う澄香に、円は「似たようなものだ」と涼しげに答えた。

 話を聞いて、思うところがあったのだろう。円の食事風景をしばらく眺めてから、澄香はふと口を開いた。



「わたしたちも、そのうち破綻するのかなあ」



 澄香が天井を仰ぎ、つぶやいた。

 いや。すでに自分たちの関係が破綻しかけていることに、気づいているのかもしれない。


 麺をひとすすり。それを挟んでから、円はゆっくりと口を開く。



「その時になってみなければわからない。

 でもな、澄香。たとえそうなっても、また新たな関係を結べばいいと、私は思う」



 自分の経験を語っているためだろうか。その言葉には、妙な自信が込もっている。



「……簡単に言うなあ」



 空になったコップの、中の氷を指先でかき回しながら、澄香がぼやく。



「難しくしているだけさ。当人同士の意地とか、遠慮とか、怯えとかがな」



 円はやさしく微笑みながら、澄香に諭した。


 しばらくの間、澄香は悩んでいる様子だった。

 やがて「よし」と勢いをつけて立ち上がると、少女は決意のこもった瞳を円に向け、言った。



「いまから忠と仲直りしてくる」



 そんな澄香に、円は見惚れるような笑顔を浮かべて言う。



「それはいいことだ。今ごろ忠も、直樹に言われてそう考えているだろうしな……がんばってこい」



 目を輝かせながら店を飛び出して言った澄香には、彼女の後半の言葉は聞こえていない。

 しかし円はさして気にした様子もなく、ラーメンのお代りを三杯で止めておくべきか悩み始めた。


 双子たちが仲直りできることを微塵も疑っていない。

 それは計算の結果か、それとも信頼か。いずれにせよ、成長していく少女を寿ぐ彼女の気持ちには、疑いを挟む余地などない。


 季節はすでに、春。

 短い休みの先には、新学期が待っている。





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