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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
外伝 刀ぞうし―立花雪と神威の刀―
42/58

刀ぞうし01



 生業は退魔師たいましです。


 などと自己紹介すれば、十人中九人には正気を疑われる。

 立花雪たちばなゆきはそんな時代に退魔師の家に生まれ、そして育てられた。



「感じよ」



 まずは見鬼けんきを覚え。



「畏れよ」



 とるべき距離を叩き込まれ。



「律せよ」



 人と幽冥の境界を侵すモノと戦うことを教えられた。


 実にそれが、雪が師である人たちから教わったすべてである。

 続く教えを授かる前に、父は死んだ。母も祖父母も、退魔のわざを知る縁者門人ことごとくが滅びた。



 ――巨大な魔に、災れたのだ。



 そう、教えられた。

 それ以外、雪は知らない。

 死に顔も、見ることは許されなかった。



「もう……修業なんてしなくていいんだって」



 葬儀の間、面倒を見てくれた親戚の女子中学生の言葉に、雪はかたくなに首を振った。

 修業を止めるということは、退魔師にならないということだ。

 雪にはそれができなかった。

 それだけが肉親とのつながりだったからだ。

 この時、雪はわずか九歳。父母を忘れるには、あまりにも幼すぎた。


 数年と経たず、雪は一人前と呼ばれる退魔師になった。

 師のないまま、ほとんど独習である。天才と呼んで差し支えなかった。


 だが、才能では埋められぬものがある。

 特に退魔の業に関しては、口伝によるところが大きい。師を持たぬ雪は、自然、行き詰まった。


 師を外に求めることを、雪は考えなかった。

 いわゆる高名な除霊師のほとんどが眉つばであると、雪の父は常々語っており、それが一門衆以外の退魔師に対するぬぐい難い不信を雪に植えつけていた。


 技量がつたないことを自覚し、限界を間近に感じた中学一年の夏休み、雪はついに他力に縋ることを決めた。









「久しぶりだなぁ、雪坊」



 御笠山岩屋寺みかさやまいわやでら

 境内にふいと現れた少女を笑って迎えたのは、剃り痕の青々とした僧形の青年だった。



乗雲じょううん兄ぃ」



 雪も破顔した。

 数少ない縁者の一人である乗雲は、雪が兄とも恃む人間である。



「大友の坊ちゃんはどうした? 一緒に来なかったのか?」



 大友の坊ちゃん――大友麒麟おおともきりんは、雪と同い年の少年である。

 雪の父母が属していた退魔師一門の、宗家の嫡男だが、雪とは違って退魔師にはなっていない。

 諸事情があって雪と麒麟は非常に縁近い。だから乗雲はこう尋ねたのだが、雪は不機嫌に口の端を曲げた。



「知らん。あんな奴」


「ん? ははぁ。さてはまた一万田いちまだのとこへ行ったか?」


「知らん!」



 言い当てられて、雪はプイと横を向いてしまった。

 一時期ともに暮らしていた親戚の少女――いまは大学生の一万田仁実ひとみを、雪は快く思っていない。

 原因は彼女が大友麒麟と過剰に仲がいいことにある、というのは、雪自身、認めがたいところではあるが。



「はっはっは、それにしても雪坊、今日はまた何の悪さしに来た?」


「いきなりひどいぞ。休みだから遊びに来たとは思わないのか」


「そんなことは、盆暮れ以外にきっちり顔出してからにしろ放蕩娘」



 手の甲でこつりとやられる。

 雪は苦笑交じりに頭をかいて言った。



雷切らいきりを、譲り受けに来たんだ」



 雷切とはこの寺に安置されている霊刀の名である。

 もともとは立花家伝のもので、先代の使い手は雪の父だった。

 その父も常に身近に置いていたわけではないらしく、先代住職だった乗雲の父に雷切の現物を見せてもらった記憶がある。

 見ただけで背筋が震えてしまったことが、強烈に印象に残っている。



「そのときが来れば、雪坊が受け継ぐことになる」



 と言われて四年。

 当時は未熟な自分には過ぎたものだと、あえて求めることはしなかった。

 だが、いまは違う。例え未熟であろうと、この無双の霊刀を手に入れなくてはならない理由が、雪にはあった。



「ふむ……」



 黙然と目をつぶり、しばし。乗雲が口をきいた。



「雪坊が自分から求めてるってことは、頃合いなのかもしれないな」


「――あ、じゃあ」


「ああ。雷切伝承の資格を、刀に問うてみる時期なんだろう」


「資格を、問う? 刀に?」



 雪は切れ長の目を大きくひらき、首をかしげた。









 岩屋寺の本棟のあるところから百メートルほど山を登ったあたりに、小さな庵がある。

 父母が存命だったころ、法事などで岩屋寺に来たおり、二、三度その庵を見た覚えがある。



 ――そのたび飛んできた乗雲兄ぃに怒られたっけ。



 雪は思い返しながらほほ笑んだ。懐かしい思い出である。

 乗雲の背を見ながら山道を登っていくと、記憶通りの庵が姿を現した。



「雪坊、念のために確認しとくが、生臭の類は口に入れていないな」


「もちろん」


「じゃあ、庵の裏手に小さな浴堂があるだろうから、そこで沐浴を済ましておいてくれ。その間に俺はここを開ける手続きをしておく」



 扉一つ開くにもいろいろと作法があるのだろう。乗雲は帳面を片手に手順の確認を始めた。



「わかった。覗かないでよ」


「たわけ。そういうことはもう少し育ってから言え」



 意地悪く返されて、雪は髪をくしゃくしゃと掻いた。


 沐浴を済ませ、戻った時、すでに庵の扉は開かれていた。

 広さは二十畳ほどか。道場を思わせる板張りのだだっ広い空間である。

 戸口からの光のせいでかろうじて見えるが、扉を閉じればほとんど夜に等しい暗さだろう。



「それで、乗雲兄ぃ、試練って?」



 雪が問うと、乗雲はことさら神妙な顔になり、口を開いた。



「雷切に指一本触れることなく、雷切を持ち出せ」


「……は?」


「それが雷切を伝承する資格、らしい」



 乗雲の口調がやや自信を欠いたものになる。

 乗雲の父は二年前に目を瞑った。

 急な死ゆえに、若い乗雲にはまだ伝えられていなかったことも多いのだ。



「……どうやって?」


「さあな。それを考えるのも試練のうちじゃないか?」



 まあがんばれ、と、軽く言って、乗雲は本堂に戻っていった。


 残された雪は庵の扉を閉める。

 自然の明かりが消えた。

 目が慣れるまで待って板の間の奥に膝を進めると、つややかな漆塗りの感触が指先に触れた。刀を飾る台座だった。


 目を凝らしてみる。までもなく、異様な気配が刀全体から漂ってくる。

 ふいに鈍く光ったと見えた。刀身の輝きである。雷切はすでに鞘が払われていた。



「これが、雷切」



 雪は思わずつぶやいた。

 刃渡りは、常寸より少々短く二尺二寸。

 わずかに黒を含むにび色の地金と、油が自然と浮き上がってきたような美しい波紋を持つ、刀。


 記憶にある雷切と、形は寸分も変わらない。

 だが、退魔師としての腕が上がったせいだろう。目の前にあるものが、どれほどの力を秘めた刀か、今の雪には理解できた。


 鍔鳴りの音だけで妖魅は去るだろう。剣の持つ威のみで悪霊は魂消るだろう。刀を振るえばあらゆる魔を滅するだろう。

 それだけの威力を、この刀は間違いなく秘めている。雪がいままで見てきた中でも破格の霊刀である。



「これが、この刀があれば」



 ――麒麟が傷つかなくて済む。



 雪は秘めた本音を口にした。









 立花雪には一つの後悔がある。

 家族が死んで乗雲の家に預けられた時、退魔の技の修業にかまけて、同じ境遇に落ちたはずの同い年の少年のことを頭の隅に追いやってしまっていたことだ。

 

 家族を失った最初の正月、雪は麒麟と再会した。

 久しぶりに会う宗家の息子の姿を見て、雪は眉をひそめた。

 麒麟の体の随所に擦り傷や青あざがあったのだ。骨まで見えそうな抉り傷まで見てとれ、それでも麒麟は一門の惣領として上座に座らされていた。麒麟は眉ひとつ動かさなかったが、痛くないはずがない。



「修業だ。大友一門の惣領として、一刻も早く一人前になってもらわねばならん」



 問い詰めた雪に、麒麟の養父となっていた男はそう言った。

 麒麟の一族もまた、退魔の技を修めたものは居なくなっている。この男も血族ではあるが、この世界のことなど聞きかじり程度にしか知らぬ筈だった。



 ――そんな者がなぜ、麒麟を鍛える? なぜ焦って速成を図る?



 不安になった雪は保護者に頼み、事情を調べてもらった。

 理由を知って雪は震怒した。

 なんとあの男は、麒麟の養父として、政財界にも顔の利く退魔の名門大友家を食い物にするために、幼い麒麟に虐待にも等しい修業を課していたのだ。


 いや、それだけならまだいい。厳しい修業というなら、雪が己に課してきた修練も、決して劣りはしない。だが男は己の半端な知恵による、てんで見当違いの修業をさせ、しかもそれで成果が上がらぬ麒麟を虐待していたのだ。


 すぐさま男のもとに乗り込んだ雪は、冥者に対するときのみ見せる貌で言い下した。



「大友麒麟はわたしが鍛える。なにも知らぬ凡俗が手を出すことなど許さぬ」



 この傲慢な宣言を、男は切歯扼腕しながらも受け入れた。

 退魔の業を修めたものを身近に知る彼は、だからこそ彼らに対して必要以上の畏怖を抱かざるを得なかった。

 男は己の娘ほどの少女に、“本物”を見、そして恐れたのだ。


 この無茶苦茶を、ほうぼう当たってそれぞれに面目のたつように取り計らってくれたのは、保護者である乗雲の父だった。この点雪は深く感謝している。


 麒麟を預かった雪は、最初に言った。



「なにもしなくていいから。いまは、休んでいいから」



 雪は麒麟に修業をつける気など、毛頭なかった。

 大友一門である自分が麒麟の代理として仕事をこなせば、どこからも文句は出ない。中世や、まだその匂い残る近代ならいざ知らず、現代では仕事の数も多くはないのだ。


 しかし、雪は行き詰まってしまった。

 凡百の術者に劣るつもりは、むろんないが、大友、そして立花として面目のたつ力量でないことは、雪自身痛感している。

 

 いまだにあの男は麒麟の養父である。

 雪が家名を損なうようになれば、あの男はまた首を突っ込んでくるかもしれない。

 

 その焦りゆえに、雪は力を、雷切を求めたのだ。





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