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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビツギ―鍋島直樹と繋がる小指―
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ユビツギ04



 車椅子の少女――立花雪が、刀を抜き放った。

 円の目には、たしかにそう映った。

 しかし、構えた彼女の手には何物も握られていない。

 真に迫った彼女の動きが刀の幻想を見せたのだろうか。


 そうではない。

 尋常ならぬ感覚を持つ彼女の目には、怏々たる剣気が刀の形を描いているさまが視える。

 円は瞬時に悟った。龍造寺円にとって、それが致命的なものだと。

 間合いを計りながら、円は歩を後ろに滑らせた。



「わかるか? これが脅威だと」


「……それは、何だ」


雷切らいきり



 短く、切るような答え。

 言葉に乗せられた重みから、少女がこの業に置いた信頼のほどが知れる。



化け物おまえと同じ領域にある刀。化け物を斬るための――化け物刀だ」



 ゆらゆらと。体を細かく左右に振りながら、彼女は笑った。

 円は瞬時に言葉の意味を理解した。


 人の領域から外れた、肉を持たぬ存在。それを斬るためにある、刃金の身をもたぬ刀。それが、雷切の本質なのだろう。

 概念を切り裂く刃だ。斬られれば肉の身をもつ円とて無事には済むまい。


 だが。

 円は雪を見た。擬態ではない、足の不具。



 ――その様ではろくに振るえまい。



「侮るな」



 円の声なき声に、少女は静かな殺気で答えた。

 間合いが詰まる。

 かくり、かくりと身を傾がせながら。



 ――打ち込む隙がない。



 と、円は視た。

 一足一刀の間合いをやや超えて、ふいに少女の体が大きく傾いだ。

 円の生存本能が、全力で悲鳴を上げた。本能的に体が後ろに跳ね飛んだ。


 刹那。

 雷が奔った。

 取り残された髪が宙に舞う。


 円は戦慄した。

 斬撃の軌跡すら追えぬ神速の斬撃。起こらぬはずの刃風が肌をしびれさせた。



「足が利かなくとも、貴様なんぞに後れを取るつもりはない」



 少女は身を起こし、ふたたび体を揺らしだした。

 獲物をみる鷹の目は、円を捕らえて離さない。


 円は凝視する。

 不自由な動きながら、立花雪の動作に破綻はない。体を傾ぐその動作すら内包した斬撃。円はそこに重年の修練をみた。

 


 ――素手では、勝てない。



 円は痛感した。蹴り足に力がないとはいえ、敵の残撃は円の拳足の間合いよりはるか遠くから飛んでくる。そのうえ、受ける術がない。概念の刀で斬られればどうなるか、実践するわけにはいかないが、およそただですむはずがなかった。


 だが。



 ――死ねない。



 心の中で吼えた。

 円は命を、こんなところで終えるわけにはいかない。

 人形のようだった円に心を与えてくれた直樹のそばで、直樹のためにある命なのだ。


 円は心を奮わせた。

 脳が、めまぐるしい速度で、生を掴み取る手段を模索する。

 考え付いた十数の選択肢のなかから、円は強固な意志を以ってひとつの手段をつかみ出した。


 直後、雪の表情に驚愕の色が浮かんだ。

 龍造寺円の双腕から伸びる、異様な気配。それが太刀の形を結んだのだ。

 概念の刀。立花雪の雷切と同質の存在。円はそれを瞬時につくりあげたのだ。



「化け物め」



 雪の、歯を食いしばる音。

 修練を、資質が陵駕する不合理が、そこにあった。

 だが、無手ならともかく、剣術に関して、円は雪に遠く及ばない。

 敵が剣術の達人であること。しかし不自由な足ゆえ、間合いはやや狭いこと。加えて体捌きにおいては円が勝っていること。すべて鑑みて。



 ――互角か。



 額にうっすらと汗をにじませながら、円は敵の隙を見出すことに集中し始めた。









 松葉杖をついた小学生くらいの少女と、手をつなぎながら歩く。

 非常に人目が気になる行為である。人通りのおおい駅の構内であればなおさらだろう。

 非常時非常時と自分に言い聞かせて、直樹は周囲の視線を意識からシャットアウトしていた。

 それが悪かったのかどうか。



「痛っ!? ガキ、ナニしやがる!」



 いきなり背後で起こった怒声の正体が、とっさにわからなかった。



「ご、ごめんなさい」



 そう言って頭を下げる時江と、口元と眉根を盛大に歪めた、非常に反社会的な髪型をした、二十歳過ぎの男。

 ふり返った直樹はすぐに事情を理解した。

 時江が杖先で男の足を引っ掛けてしまったのだろう。

 涙目になって謝罪する時江だが、男の怒りが静まる様子はない。



「すみません。勘弁してやってください」


「ああ?」



 おびえる時江と男の間に割って入ると、男は怪訝な顔で見上げてきた。



「なんじゃにーちゃん。謝っとんのになに見下ろしとっか」



 ことさら威圧的に言ってくる男に、直樹は困惑した。

 他意はまったくないが、二十センチも身長差があるのだ。どうしても見下ろす格好になってしまう。


 けんか腰の男をどう宥めたものか、直樹はとにかく謝った。

 直樹は思い違いをしていた。男がほしかったのは、おびえて必死で許しを請う直樹の姿であり、それによって己の強さを誇示することだった。

 落ち着き払った直樹の様子は、それだけで男を刺激した。


 歯車のかみ合わないサイクルは、しかし唐突に終了した。



「っ、まぁ、気ぃつけぇ」



 そう言って逃げるように離れていく男を、直樹はあっけに取られて見送った。


 いきなり、なぜ。

 疑問はすぐに氷解した。



「おう、直樹」



 と、背後から声をかけてきたのは直樹の同級生、斉藤正之助だった。

 長身の異丈夫で、文系クラブにしておくのがもったいないくらいの筋肉の持ち主である。しかも極彩色の花柄シャツを着込んだ正之助はその筋の人間にしか見えない。そんな男が迫ってきたのだ。男があわてるのも無理はなかった。



「正之助、助かった。あんまり揉めたくなかったんだ」


「その前に逃げたんじゃが」



 直樹の礼に、正之助は軽く鼻を鳴らして応じた。

 助ける前に、外見だけで逃げられたことが気に食わないらしかった。


 ふと、正之助の目が時江に向いた。



「それは迷子か?」



 つながった二人の手を見ながら、怪訝な様子だった。

 それにたいし、直樹が言い訳をさがしていると。



「へ――」



 正之助を見た時江の顔が、急に引きつった。



「変態だーっ!!」



 構内を行き交う人の目が、一斉に集中した。



「おい直樹」


「おい時江」



 玉突きした視線が時江に落ちた。

 正之助の顔は、若干青ざめている。直樹も血の気が引いていた。


 時江は思い切り引いていた。



「だって、変態だよこのひと! なんでセーラー服なんて着てるの!?」



 直樹は時江が何を言っているのか理解した。

 クリスマス前夜の事件。夢に閉じ込められた折、斎藤正之助は龍造寺円の代替として彼女を演じさせられていたことがあった。

 そのときの姿が、思い出すもおぞましいセーラー服姿。

 その記憶を、時江は読み取ってしまったのだろう。

 場面だけ見せられれば、誰でも彼が変態だと思う。時江の反応は、致し方ない。


 だが、場所が決定的にまずかった。

 変態扱いは洒落になっていない。叫んだのが少女だけに威力倍増である。



「おい、直樹」



 正之助が青ざめた顔を直樹にむけた。乾いた声だった。



「これにナニ吹き込んだんじゃ」



 説明しようがない。だが、説明責任が直樹にあるのは明らかだった。



「わからん。ヨウと間違えてんじゃないか?」



 直樹はごまかすように言った。

 斎藤用子さいとうようこは正之助の、二つ下の妹である。幸いにも似ていない。兄が戦国猛将なら妹は京劇役者といった風情で、長身と濃い顔立ちが共通点といえば共通点か。



「ふぅむ」



 かなり無理のある説明だったが、正之助には腑に落ちるところがあったようだった。どこをどう納得したのか、直樹にはさっぱりわからなかったが。


 ともあれ、最初の疑問をまた持ち出されては厄介である。

 電車の到着を告げるアナウンスが流れたのを幸い、直樹たちは正之助と別れた。



「あのひとと妹さん、ぜんぜん似てないです」



 言ってきた時江に、直樹はため息を落とす。



「記憶、無理に読もうとするな。記憶が混じるの、お前のほうが早い気がするぞ」


「すみません」



 謝る端から、視線が宙をさまよっていた。

 果たして自分の秘密はいくつばれているのか。すでに達観した気持ちになりながら、直樹は全力で急ぐことを決意した。









 直樹の携帯電話が突然鳴ったのは、御城手前駅を降りてすぐのことだった。


 円からの電話か。

 意気込んで携帯を取り出した直樹だったが、期待は裏切られた。

 ディスプレイに表示されている発信者は宝琳院白音ほうりんいんしらね。庵の妹だった。


 珍しいことではない。彼女とは、ときおり会って話すほどには親しいのだ。

 この非常時、のんびり雑談している時間はないが、無視することもできず、直樹は通話ボタンを押した。



「もしもし」


「白音か? なんの用だ?」


「なんの用だとは失礼ですね。せっかく龍造寺先輩の所在を教えて差し上げようと思っておりましたのに……まあ、純たちの頼みです。いまのは聞かなかったことにしておきましょう」



 いつもどおりの抑揚のない声が、わずかに不機嫌の色を帯びていた。

 すまん、と謝って、直樹はつぎの言葉を待った。

 しばし、無言。



「わざわざ調べてくれてすまなかった。感謝するよ、白音」



 電話越しに伝わってきた圧力に、直樹は押されるように頭を下げた。

 よろしい、と、持って回った調子で、白音は謝辞を受けた。

 直樹は胸を撫で下ろした。意外とこういった形式を尊重するらしい。



「龍造寺先輩は城跡のほうに行っております」


「どうやってわかったんだ?」


「わたしは双子の家に遊びに来ておりましたので。龍造寺先輩のおじいさまにうかがったところ、こころよく教えていただきました」


「あの気難しいじいさんにか?」



 直樹は首ひねった。意外だった。

 円の祖父、龍造寺周三は頑固な性質である。

 しかも碁仇を相手に負けが込んでいるとなれば、声をかけたとたんに怒声が飛んで来かねない。

 いや、考えてみれば宝琳院白音は、外面だけは礼儀正しい娘である。意外と頑固じじいとは、相性がいいのかもしれない。



「飴をもらいました」



 よほど気に入られたようだった。



「とにかくサンキュな、白音。またあらためて!」



 白音に礼を言って携帯を切る。

 時江と頷き合うと、通りのはるか奥に見えている城跡に、自転車の頭を向けた。





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