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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビツギ―鍋島直樹と繋がる小指―
35/58

ユビツギ01



 季節を一ヶ月もさき送りしたような陽気だった。

 佐賀野の駅から吐き出される人の表情も、心なしかぬるい。

 喫茶店"RATS”からそれをながめる直樹も、さきほどからしきりにあくびをかみ殺していた。

 待ち合わせの時間を過ぎても、友人はまだ来ない。このまま窓辺でまどろんでいるのもいいか、などと直樹が思い始めたとき。



「ごめんなさいよ」



 ふいに声をかけられて、直樹は頬杖を崩した。

 あわてて頭を上げると、テーブルのまえに、白いコートを着た女が立っていた。



「なんですか?」


「ちょいと相席してもいいかい?」



 言われて、直樹は視線を店内へ滑らせた。ざっと見ても二、三の空き席がある。



「いいけど……空き席ならあっちのほうにありますけど」



 言葉の頭さえ聞かずにバッグを席に放り投げた彼女は、言い終わるころにはもうそれにコートを重ねていた。



「ああ、いいんだよ。おねーさんはきみと相席したいんだ」



 あげくにそんなことを言うものだから、直樹が平静でいられないのも当然だろう。

 ウェイトレスにフレッシュミルクを注文する彼女の横顔を、直樹は落ち着かない気分でながめていた。


 自分を「おねーさん」などと言っているが、歳は直樹とそれほど離れているようには見えない。

 長身の直樹を子ども扱いするのだから、見かけよりも年上なのかもしれないが。


 顔立ちは整っている。

 ただ、軽さと温さが面に出ているせいか、美人という感じはしない。


 だが、どこかで見たような。そんな既視感をおぼえてならない。

 初対面の彼女に対して、なぜそんなことを思うのか。直樹が考えているうちに。



「さて」



 注文を終えた彼女が、視線を転じて話しかけてきた。



「きみ――ああ、名前がわからないと呼びにくいな。よかったらおねーさんに名前を教えてくれないかな?」


「鍋島直樹、ですけど」



 なんとなく抗しがたいものを感じ、直樹は名乗った。

 女のほうは、それを聞いて深くうなずいてみせる。



「直樹……うん、まっすぐに根を張った大樹を連想させるよい名前だね――じゃあ直樹。おねーさんがなぜ、見ず知らずのきみと話したいと思ったか、だけどね」


「はい」


「きみに惚れたからだよ――と、そんなに引かなくてもいいのに。傷つくねえ。軽い冗談じゃないか」



 彼女は口を尖らせたが、致し方ない。初対面の女性に不意討ちでそんな言葉を聞かされて、とっさに反応しろというほうが酷だろう。



「まあいいさ。それで、おねーさんも理由なしにこんなことをしてるわけじゃない。

 きみが、ちょっと問題を抱え込んでいるように見えたんでね、相談に乗ってやろうかと思ってね」


「問題、って、特にはありませんけど」



 嘘である。

 彼女の言った通り、直樹は問題を抱えている。あえて知らぬふりをしたのだ。

 直樹が抱える問題とは、いわゆるオカルトに関わるもので、おいそれと他人に言えることではない。


 そんな直樹に、彼女はにやりと笑い、言った。



「まあ、見ず知らずのおねーさんには言いにくいだろうね……小指が動かないなんて」


「……なんのことですか?」



 あやうく動揺を面に出すところだった。

 とぼけはしたが、事実である。まさにそれが、直樹が抱えていた問題だった。

 それを見破った彼女は、ただものでない。一般人だとしたら、並外れた観察眼の持ち主であり、そうでなければ、直樹の知人のように、魔の領域に関わるものだろう。


 そんな直樹の心の動きすらも見透かしたように、彼女は微笑を浮かべた。弄るような、どこかで見たような笑顔だが、悪意や害意は見出せない。



「警戒してるね? まあ仕方ないか。おたがい会ったばかりなんだから。

 安心して。おねーさんは直樹にとって、この件に関してはいい人さ」


「この件に関しては?」



 妙な物言いである。



「そりゃあそうだよ。おねーさんはおねーさんの都合でしか動く気はないからね。その気がなくてもキミにとって都合が悪いことも、してしまうかも知れない。だけど、この件に関してなら、おねーさんには全面的にキミの味方になれる。なぜなら、おねーさんには都合が存在していないからね」


「要するに……」



 彼女の言葉を噛み砕き、その意味するところを理解して、直樹は目を眇めた。



「暇なんだな」


「その通り。そこへ妙な問題を抱えてるきみを見つけたんで、ひとつ相談に乗ってやろうかと思ったわけさね」



 彼女は胸を張ってうなずいたものである。

 どうしようもなくマイペースで、自己中心的だ。

 ここにきてやっと、直樹は既視感の正体に気づいた。つまるところ、彼女のあり方は――宝琳院庵ほうりんいんいおり、そっくりなのだ。


「さあ、話してくれないか? その指が、どんな異常の結果失われたかを」


 手のひらを向けて促してくる彼女に抗することを、直樹はため息とともにあきらめた。





 クリスマス前夜のことである。直樹は夢に囚われた。

 クラスの皆を巻き込んだ、学園祭の夢。その中で、直樹はひとつの呪いにかけられた。

 刻々と深くなっていく傷が指を切断したとき、悪魔に心を支配される、そんな呪いだ。逃れる術もなく、刻限が迫ったとき、直樹は思い切った手段に出た。


 自ら小指を噛み千切ったのだ。

 暴挙と言っていい。だが、それにより直樹は呪いから逃れることができ、ひいては親友の命を助けることができた。


 だが、当然のように代償は求められた。

 夢から目覚めたあとも、直樹の小指は動かなくなった。



「あの時われわれがいたのは、ただの夢の中ではない。もっと根源的な――概念の領域だ。そこでキミは指を断った。明確な意思のもと、断ち切った。

 実世界での影響は免れまいよ。たとえ肉体的には無傷であろうと、ね」



 事情を知る宝琳院庵は、動かない小指についてそう説明した。

 だが、彼女はこうも付け加えた。

 肉体が精神の影響を受けるように、精神もまた、肉体の影響を強く受ける。直樹の小指も、いずれ動くようになるだろう。

 しかし、二月も半ばになったいまでも、不思議と小指が直樹の意思を伝えることはない。


 本当のところ、動かない小指に関しては、直樹はそれほど気にしていない。

 夢の中とはいえ、それで後悔するような生半可な覚悟で噛み千切ったわけではなかった。

 だが、小指が動かなくて不自由する自分を見るにつけ、己を責める幼馴染を見ているのはつらかった。





「――なるほどねえ」



 直樹の説明をひととおり咀嚼すると、彼女は目を細めてうなずいた、

 人名などは挙げていないものの、悪魔にまつわる出来事はほとんどそのまま説明した。にもかかわらず動じた風がないのは、やはりそちらの方面に詳しいからだろう。



「それは、その、友達の言うとおりだろうね。直樹の小指が事実実際満足を保っている以上、欠けたものもいずれ補填される。それが長引いているのは、きみの思い込みの強さゆえかな? 意思の強さが、この場合逆に災いしてるんだね」



 直樹はうなずいた。

 彼女の分析は、庵のものとほぼ等しい。



「ま、このさい気長に待つしかない。自縛が解けるまで、ね」



 おのれが己を縛っている。彼女の表現は、おそらく現象として正しいのだろう。

 だが実際問題として忘れられるはずがなかった。己の指を噛み千切った、あのときの緊張、恐怖、激痛。そして覚悟の強さが、小指を断つイメージをいまだに薄れさせない。

 思い返して直樹は思わず身震いした。



「ま、おねーさんが言えるのはこれくらいかな」



 それを見ていたのか見ていなかったのか、おおきなあくびをすると、彼女はあごを机の上に落した。それでも顔だけは上げて、彼女は最後に付け加えた。



「あとひとつ。欠けているってことは、どこかで埋めるものを求めているってことだから、妙なものを惹いちゃうこともある。気をつけてね……」



 それでおしまいとばかりに彼女は目を閉じた。その頭に直樹は苦笑を落とした。

 彼女と話していると、まるで宝琳院庵と話しているような錯覚を覚える。



「ありがとう」


「お礼ならここの紅茶代でいいよ」



 感謝の言葉に、目をつぶったまま返された。

 直樹は達観した表情でレシートを手元に寄せた。マイペースで妙にずうずうしいところまで、宝琳院庵にそっくりだった。



「またなんかあったらおねーさんに相談しなさい」



 そう言ってすやすやと寝息をたてだした彼女を見ながら、直樹はふと思い出して携帯電話を取り出した。

 本来この喫茶店で待ち合わせていた相手、クラスメイトの鹿島茂かしましげるのことを思い出したのだ。

 時間は二時過ぎ。遅刻魔の茂とはいえ、一時間の遅刻は例がない。

 その鹿島茂から、知らぬ間にメールが来ていた。



"悪い。急用ができた。良チンも無理になったから違う日に遊ぼうぜ”



 直樹の予定は、こうしてつぶれた。

 むろん、神ならぬ直樹である。喫茶店で談笑する直樹たちを見た茂たちが気を利かせて帰ったことなど知るはずもなかった。









 ふたり分の会計をすませ、店を出たところで、直樹はかるくのびをした。まだ日は高い。残った休日の午後をどう過ごすか、考えながら歩き出したとたん。

 いきなり誰かとぶつかった。

 


「あ、すみません」



 思わず謝ったが、その対象を、直樹はとっさに見つけそこなった。

 予想より数十センチも下に、彼女はいたからだ。


 子供だった。

 しゃがみこんでいたので視界に入らなかったのだ。

 そばに転がっている一本の松葉杖を見つけ、直樹はあわてて拾い上げた。どうやらけが人にぶつかってしまったらしい。



「すまん。大丈夫か?」



 気遣いながら、松葉杖を差し出す。

 はい、と、はっきりとした口調で返事して、少女は顔を上げた。


 小学校の高学年くらいだろうか。パッチリとした目の、かわいらしい感じの女の子だ。

 包帯やギブスの類をしていないのを見れば、治りかけているのだろう。それでも杖に縋って立ち上がろうとする少女を見かねて直樹は手を差し伸べた。

 少女は大丈夫、と断るように手のひらをこちらに向け――手が触れあう。


 瞬間、電撃が走った。



「わちっ!?」



 慌てて手を引っ込めたが、少女の手は磁石のように引っ付いて離れない。

 自然、少女を吊り上げる形になってしまった。


 直樹はひとつ、呼吸してから手を左右に振った。

 つられて少女も手を振る形になる。直樹のほうが手が長いので、少女の体が泳いだ。


 手と手が引っ付いて離れない。異常である。

 慣れたくもなかったが、直樹は過去の経験から、これがなんに由来する現象か、見当をつけてしまっていた。


 青ざめる直樹とは逆に少女のほうは、この異常を冷静に受け入れているようだった。

 それよりも彼女の興味は直樹自身にあるようで、さきほどからしげしげと直樹を見つめている。それに気づいた直樹は、自分が値踏みされているように感じた。



「ふーん」



 商品に価値を認めたような調子でうなずくと、少女は直樹に対してまっすぐな瞳で、こう尋ねてきた。



「あなたが、あたしのだんな様?」



 直樹の思考はそこで停止した。





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