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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
閑話
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閑話07 姉川清美と龍造寺円

「なんなの……あの女はぁ!!」



 鈍い金属音とともに標識の看板が揺れた。

 おのれの拳でそれをなした石井陽花いしいようかの表情は、ひとつの感情に彩られ、こゆるぎもしない。


 人通りの多い交差点ちかく。否応なしに衆目があつまる。

 むろん、同行している自分たちにも。


 なかば達観した瞳で。

 姉川清深あねかわきよみは自分たちに向けられた視線を受け入れていた。

 それが陽花の奇行に対する正当な評価だと理解しているからだ。


 とはいえ、彼女が荒れる気持ちも理解できなくはない。


 龍造寺円りゅうぞうじまどか

 想い人のそばにいる、強力無比なライバルの存在に、彼女はついに気づいてしまったのだ。



「……ああ、おねえさまのことか」



 しばし首をひねって、深堀純ふかほりじゅんが手を打った。凛と整った彼女の顔がゆるんでいる。

 清深はこっそりとため息をつく。頼れる女性に弱いのはいいが、これでは妙な嗜好があるようにしかみえない。



「まったく! ちょーっと幼馴染だからって四六時中べたーっと引っ付いちゃって!」


「まあ、鍋島先輩だし、しかたないけど」


「そうよねお兄さんはかっこいいからもてるのはしかたないけど」




 微妙に話が噛みあっていない。

 はたから聞いていると混乱しそうな会話だ。



「だいたい、なんであんな美人なの!?」


「美人だねぇ」


「美人やなあ」



 清深も純も、これには完全に同意せざるを得なかった。

 容貌にしろスタイルにしろ、文句のつけようがない美少女である。造作に一点のぶれもなく、彼女そのものが一種の芸術品としか思えなかった。


 が。


 非難めいた視線が、清深に向けられる。



「な、なんやの?」


「……清深が言うな。つか嫌味か」


「その顔でまだ不満なのか?」



 一斉に非難を浴びた。

 仕方あるまい。清深もまた、すこぶるつきの美少女なのだ。



「まあ、でも、やっぱり強力なライバルさんやで? 陽花」


「っ!」



 無言の圧力にたえかねて、視線をあさってに向けながら。清深は矛先を逸らした。



「頭のできなら負けないもん!」


「おねえさま、模試でも全国レベルらしいよ?」


「た、体力ならっ!!」


「バット持った聡史さん、瞬殺したんよ? あのひと」


「ううっ」



 ふたりに突っ込まれ、たじろぐ陽花。その表情が、しだいに怒りの色に染まっていく。



「なんですかその完璧超人は!? なんでそんな人が実在するんですか!?」



 思いきり逆切れである。

 龍造寺円に対して神の偏愛を感じざるを得ないというのは、清深の、掛け値なしに本音なのだが。


 それにしても。

 清深はつくづく思う。



「なんであそこまできれいなひとが、直樹さんなんやろ」



 悪意からではなく、不思議に思う。

 彼が格段劣っているというわけではない。

 身長は高いし、普段はぼんやりした印象だが、いざというときは頼りになる。またそのときの、芯の通ったりりしい顔は、かっこいいとも思う。


 決して悪くはない。それどころか恩人補正を合わせれば立派に……まあともかく。

 そんな直樹と釣り合いが取れないと言うのは、龍造寺円のスペックがぶっちぎっているからである。

 彼女と釣り合いが取れそうな男性というのを、清深は思い浮かべることができない。贔屓目かもしれないが、漫画やテレビドラマの登場人物を加えても。



「そりゃあ、お兄さんが、素敵な……」



 まあ、陽花にとっては別らしい。

 紅潮した頬を押さえ、くねくねしだしてあとは言葉にならない。


 ご馳走さまという感じだ。



「……でもまあ、陽花はほっておいても、鍋島先輩、もてるよな」



 陽花から視線をそらして、純が話しかけてきた。



「まあ、ああいうお人柄やし、人気あるのもわかるんやけどねぇ。彼女さんもせやけど、白音しらね先輩のお姉さんも直樹さんやろ?」


「ああ、あの伝説の。だよね、あのひとも相当美人」


「せやし、白音先輩本人もあやしいと思わへん?」


「えっ!? せ、先輩が? どういうこと!?」



 純が泡を食って聞いてきた。

 おなじ顔の姉妹にもかかわらず反応が違うのは、妹のほうとより親しいから、というよりは、性格の差異だろう。

 見かけによらず世話好きな白音は、純の好みに合致するのだ。



「だって、白音先輩、“RATS”でよく直樹さんとしゃべってはるやん? あの時、なんや生き生きしてはるやない?」


「う……」



 否定できないのだろう。純は言葉に詰まった。

 無表情きわまる宝琳院白音の感情を読むことはほとんど不可能に近いが、だからこそ、ささいな違いが意味深に見えるのだ。


 本当のところは清深にはわからないが。そんなことを話していると。



「――なにを話しているのです?」



 いきなり。

 うしろから聞き覚えのある声が投げかけられ、清深は固まった。


 振り向くまでもない。

 話題にしていた当人、宝琳院白音の声だった。



「白音先輩」



 純が嬉しそうに手を振る。

 軽い会釈でそれに応じ、白音はゆっくりとこちらに近づいてきた。



「五本指、なにを話していたのです?」


「いや、その」「内輪の話でして」


「五本指、何を話していたのです……と、尋ねるまでもなく、最後の言葉といまの反応からあらましは推測できましたが」



 白音は言ってきた。

 わかって当然。そんな口調である。



「直樹さん――や、その周りの人物についての話でしょう?」



 真顔のまま、口元だけで笑いを表現する白音に、純も清深も引きつった笑みを浮かべた。 


 化け物である。

 名門泰盛学園でトップクラスの成績を誇り、一年生にして“数字”を賜る栄誉に浴した清深も、この先輩にだけは敵わないとつくづく思う。



「は、はい。それで直樹さんのどこがいいのかと言う話になって――」


「それでそこの娘は妄想全開になっているわけですか」



 陽花のほうを見やって、白音はことさらにため息をついて見せた。

 彼女の妄想がどこまで飛んでいるのか、清深にもわからない。



「まあ、安心なさい、五本指」


「はい?」


「わたしがあの人を思う気持ちは、たとえば妹が義兄あにを想うようなものです」



 そう言い残して、白音は去っていった。



「そうか、兄妹愛か」



 純が、なぜか胸をなでおろす。



「いや、なんか……兄の前に“義”とかついてへんかった? 微妙に妖しい感じで」


「ってことはやっぱり、庵先輩のほうは直樹さんなんだ?」


「いやぁ。白音先輩のほうにもその気、あるように見えたけど?」



 たがいに目を合わせ、沈黙する。

 宝琳院庵と宝琳院白音。直樹との三角関係。

 考えるだに恐ろしい修羅場が、ありありと想像できた。



「でもまあ、やっぱり一番のライバルは」


「おねえさまだよな、どう考えても」



 純と清深、ふたりの視線が陽花に向けられた。

 顔立ちは、幼い。中学一年生という年齢を考えれば締まった顔つきだが、やはりかわいい以上の評価を受けることはないだろう。


 体つきは年相応――よりすこし小さめだ。

 頭はいい、と言ってもそれはテストで点数を取れるたぐいの賢さである。私生活ではむしろ子供っぽい言動が目立つ。むろん色気など皆無である。


 勝ち目などこれっぽっちもなかった。

 はあ、と、ふたりのため息が重なった。



「え? なに? なんのため息?」



 妄想世界から返ってきた陽花が尋ねてきた。

 夢みる少女に、清深はあらためてため息をつく。



「直樹さんがロリコンやったらまだ勝ち目あるやろうけど……のぞみ薄やね」


「ろ、ロリとか言うな! 時江よりましでしょ!?」


「あのこは比較対象にならへんやろ?」


「年相応どころか見た目完璧小学生だしな。まあ、正直時江も陽花も、おねえさまから見ればたいして変わらないだろうけど」



 辛らつな突っ込みに、陽花は涙目だ。

 むろん。年相応どころかそこからあふれ気味なくらい育っている龍造寺円のスタイルと比べる勇気は、清深や純ですらない。



「ううう、じゃあどうすればいいってのよ」



 へこみすぎてつぶれそうな陽花を見やりながら、清深はしばし沈思。



「べつに基本スペック負けててもいいやん。最終的にくっついたほうが勝ちなんやから」


「どうすればいいの!?」



 食いついてきた陽花に、清深は考えを披露する。



「まあ、まず考えつくんは先延ばしやね。ふたりのあいだに割り込んで徹底的にそういう雰囲気にならんように邪魔したり。あとは逆にふたりをあと押しするようなうわさ流して気まずくさせるとか、実際ひっつけてもうてから、上手いこと別れさすように仕向けたら、もうよう付き合えんやろし。それで陽花がまともに女として見てもらえる年齢になったら一気に勝負をかけたら……どないしたん? ふたりして妙な目して」


「清深ちゃん……腹黒っ!」


「さすが京都人だ……」



 ふたりの瞳には恐れの色さえある。

 思い切り引かれていた。すこし毒が強すぎたらしい。



「でも勉強になるっ! ほかになにか策は?」


「ええと……」



 陽花のほうは直樹への想いが勝ったらしく、首を突っ込んで聞いてきた。

 それにどう答えようかと首をひねっていると。



「あれ? 石井に深堀に、姉川じゃないか」



 当の直樹が現れた。



「ああっ!? お兄さん!!」



 言葉のはしにハートマークをちりばめながら、振り返った陽花の顔が引きつる。

 直樹にぴたりと従う長身の女性を見咎めたためだ。


 龍造寺円である。

 その姿に顔を紅潮させる純に、あえて気づかないふりをして。



「直樹さん、どちらに?」



 清深が尋ねると、直樹は親指で道路の向かい側を指し示した。

 そこにあるのは“ラーメンししや”。男子学生のあいだで評判だと、清深は小耳に挟んだことがあった。



「ラーメン屋。お前らも行くか?」



 直樹は笑顔で尋ねてくる。

 さて、夕食も近いことだし、どうしようか。清深が考えるうちに。



「はいっ! 喜んで!」



 陽花が即答していた。



「じゃあ、僕もっ!」



 純もそれを聞いて二つ返事で応じる。

 そうなれば清深とて行かないわけにはいかない。

 なんだかんだ言って、彼女たちの行動は、陽花の意思で決まるのだ。



「わたしも、ご一緒させてもらいます」



 清深は達観した瞳を、空に向けた。









 もうもうと湯気で煙るラーメン屋のカウンターに並ぶと、店員の、威勢のいい声が飛んできた。



「いらっしゃい! 円ちゃん、なんにする?」



 その店員とは顔なじみなのだろう。軽く会釈してから、長身の美少女は静かに言った。



「とりあえずラーメン五杯」


「あいよ! ラーメン五丁っ!」



 ――気のはやい人やな。うちらの分まで頼むやなんて。



 などと清深が眉をひそめていると。



「じゃあ俺もラーメン、メン硬で」



 直樹が何気なく、注文した。



「え?」



 と、三人の声が揃う。



「お前たちはなんにする?」



 などと楽しげに聞いてくる円に、あっけをとられて。

 円の前に並べられた五杯のラーメンを目にして絶句した。

 トンコツのこってりスープの上には背油が浮き、細メンはひしめきあってそのボリュームを主張している。それを汁ひとつこぼすことなくすすり上げ、一滴も残らずスープを干す。

 その作業は、清深が麺を半分も食べないうちに終わった。


 そして、その後の言葉はさらに予想外。



「すまない。ししやチャレンジ盛りとチャーハン、ギョーザ三人前ずつ、それとお冷やおかわり」



 そう言って空になったピッチャーを突き出すさまを見て、むしろ苦笑いがあふれてきた。



「こいつの胃袋は、なにかメルヘン的不思議時空とつながってるんだよ」



 清深以上に達観しきった表情で、直樹が説明する。

 グラスを持つとき小指を立ててるのがちょっとうざかった。



「ちなみにこれ、間食な」



 苦笑いを超越して、清深も悟りを開けそうな気分になった。

 陽花が漏らした言葉が、清深たちの心情を余すところなく表していただろう。



「人間じゃねえ」



 その言葉に。

 龍造寺円は見惚れそうな笑みを浮かべ、口を動かしてみせた。



 そ・の・と・お・り



 彼女の口は、たしかにそう動いた。





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