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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
外伝 神がかり―宝琳院白音とネコの呪い―
32/58

神がかり03

 怒号。悲鳴。喧騒。

 呆然とする白音の前を、二台の担架が駆けて行く。

 教員たちの先導で、担架が救急車に運ばれていくさまを、白音は見ていることしかできなかった。


 大友麒麟の顔はタオル越しにも真っ赤に染まっていた。

 立花雪の足は、本来ありえない、いびつな形にゆがんでいた。

 なぜ、そんなことになったか。生徒たちはこう考えるに違いない。



“寝子の呪い”だ、と。



 決定的にまずい状況だ。

 宝琳院庵が存在し、人が飛び降りた。

 秀林寺寝子の事件の、まるで焼き直し。

 あの刑事も、確信を深めるに違いない。宝琳院庵こそ、この事件の犯人だと。

 いや、刑事だけではない。白音自身、姉に対して疑念を抱かずにいられない。



「もう、白音はなにもしなくていいんだよ」



 帰り際の、姉の言葉。

“寝子の呪い”はもう起こらないから、なのだろうか。

 それとも、もう起こさない・・・・・から、なのか。


 前者なら、犯人は立花雪ないし大友麒麟であり。

 後者なら犯人は宝琳院庵だ。



 ――わたしは、どうすべきなのだろう。



 白音は、自らが断崖に立っていることを認識した。


“寝子の呪い”は終わる。

 それなら、これ以上関わることはない。

 もう人が死ぬことはない。すべて忘れれば、日常が戻ってくるのだ。


 だけど。



 ――それでいいのか。



 白音は自問する。

 千布衛、伊藤惣太、小森半平、立花雪に大友麒麟。

 これ以上、事件は起こらないにしても。もう、じゅうぶんに事件は起こっている。


 仇を討とうとは思わない。

 だが、せめて。

 事態を解いて晒しあげることが。“寝子の呪い”からこの学校を解放することこそが、おのれの義務ではないか。

 白音はそうも思う。


 と。



「いえーっ! 白音ちゃーんっ!」「ひゃっは-っ!」



 激しくいやな予感に、白音は立ち位置を半歩、ずらす。

 肩口を掠めるように、ふたつの弾頭が吹き抜けていった。

 弾頭は急旋回し、ぴたりとこちらをロックオン。砂けむりをたててこちらに――



「お待ちなさい。双子」


「し、白音ちゃん?」「こわっ!? 恐ろしいであります! サー!」



 苛立ちが顔に出ていたせいか、双子はいきなり直立不動になった。



「なんの用ですか。双子」


「用事じゃないよ。白音ちゃんのお姉さんみにきたの」「教室中大騒ぎだったし。職員室も」



 両手をばたばたさせながら弁明してくる双子。白音はあごに手をそわせ、考える。



「わざわざ職員室に立ち寄ったのですか?」


「寄ってないよ。なんか放送で流れてただけ」「宝琳院がここにきたとかとかなんとか……」



 それを聞いて。ふいに、白音の頭にひらめくものがあった。



「ふむ」


「白音ちゃん?」「白音ちゃん?」



 顔を寄せてくる双子にも無反応。ひとしきり思考を走らせて。



「――なるほど」



 白音はうなずいた。

 宝琳院庵のやったことに整合性を求めれば、可能性は限られる。


 あとはそれに基づいて必要な情報を集めれば。

 解に届くのはたやすい。


 かわりに白音は大事なものを失うことになるが。



「ここまでわかった以上、解いてみせるのが――義務と言うものでしょう」



 迷いを断ち切るように。白音は言い捨てる。



「なにが?」「なにが?」


 ハモリながら聞いてくる双子に、白音は目を伏せながら、言った。



「なに、ただの――悪魔退治です」









 扉を開けると、彼女はそこに居た。


 夕暮れの部屋。

 窓辺にあって外を眺める彼女は、なにを見ているのだろうか。

 しなだれるように窓枠に体を預ける姿は、怪しいまでに――美しい。


 小城元子。

 放送室の主は、その領地をあまねく支配していた。



「あら、いらっしゃい」



 つやっぽい唇が微笑をかたどり、白音に向けられる。

 白音は笑わない。無表情のまま元子の前に立ち、ただ、告げる。



「伺いに参りました」



 白音は言う。



「あなたに、伺いに参りました」



 言葉を重ねる白音。元子の顔に戸惑いの色が浮かぶ。



「……なにを――」


「――一連の事件について、あなたに伺いに参りました」



 突きつけるように。

 白音は再び、言葉を重ねた。



「……どうしたの? 大友君のまねごとなんかしちゃって。似合わないわよ?」



 悪戯した子供に諭すように、元子はやさしく言ってきた。


 はじめて。

 白音は口元に、細片のごとき笑いをあらわした。



「なるほど。これは便利。正直ハマりそうです」


「……なにを言っているの? 白音ちゃん」


「用件を小出しにすることによって相手の反応を測る。これはそういった技術だということです――そして断言しましょう」



 無表情のまま、淡々と。

 白音は告げる。疑念を確信に変えて。



「一連の事件。その犯人は小城先輩、あなたであると」



 白い指先をゆるやかに伸ばし、白音は元子に言い放った。



「……わたしが、犯人?」



 元子の顔に浮かぶのは、驚きでも、意外でも心外でもない。

 ただ挑むような調子で、彼女は尋ねてきた。

 白音は指を下ろして。

 そして宣言する。



「そうです。あなたが、この悪魔憑き。“寝子の呪い”を仕掛けた――犯人です」



 変化は、速やかだった。


 空気が変わった。

 そう感じたのは、小城元子の表情から、生来のものと思えたやわららかい表情が拭い去られたからだろう。

 表情を、そして五体を律する心意には、硬質なものさえ感じられる。



「“神憑りかみがかり”。悪魔憑きではなく、そう呼んでほしいものね。“ヒゼンさま”の御業には、そんな言葉こそ、ふさわしい」



 変貌にふさわしい芯の通った声で。

 事実上、犯行を認めて。

 小城元子は立ち上がった。

 細められた目の奥には、異様な光が見え隠れしている。



「神憑りですか……馬鹿らしい」



 挑発ともとれる白音の言葉、それを受け流しすように。

 元子は笑った。



「ひとつ、話をしましょうか。昔のわたしの、話」



 元子の視線が窓の外に向けられる。



「わたしはね、宝琳院先輩にあこがれていた。“孤高”、そう呼ばれる先輩のあり方に。そしてその象徴である“数字”に。

 だから、奇人を装った。神様の声が聞こえる変人を……演じていた」



 元子は語りだした。ごく淡々とした調子だった。



「だけど“数字”の栄誉は、わたしじゃなく、あいつに与えられた。あの“眠り三毛”に……まあ、当然ね。しょせんわたしは紛い物で――あいつは本物だったんだから」



 元子は微笑む。過去のおのれをあざ笑うように。



「全校集会のとき、屋上にあいつの姿を見つけて。あくびするあいつをみて、わたしははじめて彼女を憎いと思った。あんな横着者が、わたしのほしいものをみんな手に入れていくのが、許せなかった。

 だから。わたしははじめて、“ヒゼンさま”に願った。あいつに“触れて”って。

“ヒゼンさま”は願いをかなえてくれた。あいつは馬鹿みたいに、屋上から落ちた」



 暗い悦びが、元子の顔に浮かぶ。


 白音は確信した。

 元子の呪いと、秀林寺寝子の墜落。この偶然の一致が、元子の狂信を生んだのだと。



「わたしは狂喜した。これで本物になれた。宝琳院先輩に認めてもらえるって。

 でも、けっきょく先輩は、わたしなんて歯牙にもかけなかった。わたしにはヒゼンさまが、神様がいるのに、あの人はけっきょく認めてくれなかった……」



 でも、いいの。



 と、そう言って。

 元子はこちらに顔を向けてきた。

 その顔にはやわらかい笑みが浮かんでいる。

 このときだけは、いつも白音がみる小城元子の微笑だった。



わたしには・・・・・白音ちゃんが居るから・・・・・・・・・・



 やはり、という思いとともに。

 白音は事件の原因を確信した。

 小城元子は宝琳院庵の身代わりとして白音を求め。近づくもの、害意を持つものを許さなかったのだ。


 人が死ぬには、あまりにも馬鹿らしい動機だった。



「そのために、三人も殺したのですか」


「殺したのはわたしじゃないわ。“ヒゼンさま”よ。それも触れただけ。それだけであの人たちは耐え切れずに、気が触れた」



 結局。小城元子は理解していないのだ。

 おのれが人を殺したことを。その責任を“ヒゼンさま”に転嫁して省みない醜悪さを。



 ――なら、理解らせて差し上げましょう。



 そう決意して。白音は鼻を鳴らす。



「神様? そんなものは存在しません」



 無表情のまま、白音は空間いっぱいに両手を広げる。



「あなたが支配するこの放送室。それが“寝子の呪い”を演出する、大仕掛けの種でしょう」



 白音はそう、切り出した。

 気づいたきっかけは姉、宝琳院庵ほうりんいんいおりの行動である。

 彼女は教師に放送室への配電を停止するよう、依頼していたのだ。

 校内放送用のマイクをつけたままにしたのは、放送室からの放送を停める、緊急措置だったのだろう。


 原因が放送室だとわかれば、推理を組み立てるのは簡単なことだった。


 白音は機材をテーブル越しに操作する。

 コンポから、CDが吐き出された。



「不可聴域の重低音を鳴らし続け、みなに無意識下のストレスを与えるとともにきわめて暗示のかかりやすい状態を作っていたのでしょう。そのうえで、秀林寺寝子の事件をうわさに流し、その存在を認知させる。

 こうして事件を誘発しやすい環境を整えれば、あとは簡単な暗示で事件が起こる。間違っていますか?」



 CDとともに突きつけるように、白音は言った。

 うわさ自体は自然発生かもしれない。だが、それにペットボトルという予防法を付与したのは、まちがいなく元子だろう。

 怪談は、その予防法をセットにすることで、爆発的に伝播力を増すのだ。



「それは“ヒゼンさま”を降ろす儀式――」


「笑止。断言します。これだけ環境を整えれば、“ヒゼンサマ”などいなくても、事件は起こせると」



 ねじ込むように、白音は言葉を吐く。



「ヒゼンさまなるものは、あなたの幻想です」



 その瞬間、部屋に張り詰めていたものが、音を立てて壊れた。

 彼女の神殿のようだった放送室は、すべての虚飾を剥いでただの部屋に、戻った。


 元子はその言葉を呆けたように受け止めて。



「げん……そう? あは。そうかもしれないわね」



 見たこともないような貌で、笑った。



「それでもいい。それでもいいのよ。神様なんか。最初から、ほしかったのは……あなただったんだから」



 ゆっくりと、元子の手が白音の奥襟を捕らえる。

 そのまま引き倒され、両手を押さえつけられた。

 顔が近い。額が触れそうなところに、元子の顔があった。



「宝琳院先輩の代替物なんかじゃない。一目見たときからずっと、わたしはあなたが――欲しかった」



 無理やりに、唇を押し付けられる。

 おのれと同質の、しかし明白な異物が白音の舌に絡みついてきた。


 微細量の陶酔感と、体の芯をとおる疼痛。

 あまりに予想外の展開に、白音は抵抗することすら忘れていた。



「白音ちゃん。わたしの――白音ちゃん」



 元子の膝が、白音の両足を割って入る。

 明確な貞操の危機を感じて。それでも白音は眉ひとつ動かさない。


 確かに、想像を超えたところにある事態だった。

 だが。



「あなたが、力に訴えることは……想定の範囲内です」



 微妙にしびれた白音の声とともに。



「突貫ー!」「それー!」



 騒がしい音を立て、乱入して来たふたつの影が、あっという間に元子を絡めとった。



「……わたしがなんの策も立てずに一人で来たと考えていらしたのなら、甘い、と、言っておきます」



 切ないため息をひとつ吐いて立ち上がり。

 地面に押さえつけられた元子に、白音は冷たい視線を落とす。



「さすが、ね。でも、白音、ちゃん。忘れてない? わたしには、“ヒゼンさま”が、ついていることを」



 両腕を締め上げられながら、元子は苦しく微笑んだ。



「触れて。“ヒゼンさま”」



 双子に目を向けて、元子はそう命じた。たったそれだけの、おそらく瞬間催眠。


 だが、なにも起こらない。

 双子は相変わらずぐいぐいと元子を締め上げていく。


 こうなることはわかっていた。

 催眠に関するあらゆる要素は潰しているのだ。しかも相手は能天気を絵に描いたようなこの双子である。効くわけがない。



「あなたは言った。神様などどうでもいいと。あなたは神を自ら捨てたのです」



 言い捨てて、白音は元子に背を向ける。



「そんな――ヒゼンさま、お助けください! ヒゼンさま、なぜ声をかけてくださらないのです!? ヒゼンさま、ヒゼンさま、ヒゼンさまヒゼンさまヒゼンさまヒゼンさまひぜんさまぁーっ!!」



 絶叫を尻目に、白音は放送室をあとにした。









「こんなところですが」



 外で待機していた男に、白音は声をかけた。

 男は帽子を脱ぐ仕草をしてきた。脱帽、と言うことらしい。



「……まさか、ねぇ。中学生の身でだよ? 犯罪を起こしやすい環境をつくる――なんで考え付くものかい?」



 男が深く、息をつく。



「本人は知らずにやったのでしょうが。元来先輩は聡明な人です。狂信の中に、無意識にも合理を取り込んでいたのでしょう」


「……やれやれ。そんな中学生は、きみの姉さんがいれば充分だと思ってたのになぁ」



 その言葉には深い感慨が込められていた。

 この刑事は、姉を直接知っている。白音はそう確信したが、口にはしなかった。


 どのみち今回の件とは、関係ないことだ。



「先輩は罪に問われるのですか?」


「うーん。難しいねぇ。彼女は犯罪を教唆したわけでも、ましてや直接手を下したわけでもない。それに、ほら、未成年だしね。

 ま、学校側からは、内々に処分があるんじゃないかな」


「そうですか」



 白音はそれに関して、声にも感情をみせなかった。

 たとえどうであれ、小城元子が白音にとってよい先輩であり、大切な存在だったことには変わらない。

 心にできた虚ろは、しかし、おのれが刳り貫いたものなのだ。


 と。



「おっちゃーん!」「刑事ぁっ!」



 あわてたように、放送室から双子が飛び出してきた。



「どした?」


「押さえつけてたらホシがグッタリなって」


「そりゃあ、おい、無茶しすぎだよ!」



 それを聞いた刑事は、放送室に飛び込んでいった。



「双子」



 刑事に続こうとした双子を、白音は呼び止める。



「なあに?」「なんか用?」


「感謝します。手伝ってくれて」



 白音は頭を下げた。

 放送室のすぐ外に待機していたはずなのにやけに助けに来るのが遅かったり、かえって面倒を増やしている気もするけれど。

 それでも、特別に親しいわけでもない白音に協力してくれたことには、礼を言いたかった。


 だが。



「当たり前ジャン」「友達だろ?」



 当然のように。双子たちはそう、言ってきた。


 白音はふいを打たれ、絶句した。

 友達。そのような呼び名で、おのれを形容されるとは思ってもみなかった。


 だけど。

 その言葉は当然のように、白音の腑に落ちた。



「ありがとう」



 白音は自然、笑みを浮かべていた。

 それに対し、はじめて別々の反応を見せる双子を眺めながら。

 この双子とは、いままでとは違った付き合い方ができると、確信した。





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