閑話05 姉川清深と初詣
――まずいもん見てもうたわ。
姉川清深は、思わず額を押さえた。
友人たちと三人連れで初詣に向かった先でのことである。
例年かなりの混雑になるので、時間をずらしたのだが、それでも賑わいは大差ない。賽銭ひとつ入れるのもひと仕事。境内五ヵ所を回るとなると大仕事だ。
そんな中、偶然目を向けたさきに、清深は鍋島直樹の姿を見つけてしまった。
清深にとっては大恩人である。普段なら大歓迎するところだ。
だが、女性と二人連れとなれば、話は違ってくる。
しかもそれが、清深たちの先輩、宝琳院白音というのは、なおまずい。
清深は、ちらと横をみた。
石井陽花と深堀純。二人の親友は、別のほうを見て話している。
清深はこっそりと安堵のため息をついた。
石井陽花は、あの四つも年上の先輩に恋愛感情を抱いてるのだ。
清深自身は、恋愛と言うものについて、いまだ関心がない――と言うより、以前あった事件のおかげで拒否感すらあるのだが、できることなら陽花の恋愛は、成就させてやりたいと思っている。
それだけに、この絵面をみせるのは非常にまずかった。
「どうしたの? 清深」
「いや? なんでもあらしまへん」
怪訝な顔を向けてくる陽花に、清深はあわてて首を振る。
「あらしまへん?」
「なんでもないです、や」
二人が首をかしげるさまに、清深はあわてて訂正した。
京都に長く住んでいたおかげで、京なまりが染み付いている。そのため、たまに言葉が通じないことがあるのだ。
「そういえば、二人は願い事、何にするん?」
「わたしは――えへへへ」
注意をそらすため、とっさに出した質問に、陽花はなにやら身をくねらせはじめた。
口を開かなくても、何を考えているかわかるから不思議である。
「僕は、やっぱりみんなが元気でいられますように、かな」
彼方へ向けるように、純が言った。
その言葉は、清深の心の深い所で響いた。
人を傷つけ、人を憎悪して、人を拒絶していた純。あのころの純を知っているから、そこから立ち直っていくさまをみていたから。
こんな言葉が、なによりも重く感じられた。
「せやね」
染み入った感動が、自然と言葉になった。
五本指と呼ばれていた自分たち。その実、孤独な五人の集まりだった。ただ、集まっているだけの、遠い存在だった。
中心だった横岳聡里が殺され、それに続くあの事件を経て、清深たちもまた、変わった。
純を支え、助けるうち、清深は心と心のあいだに血が通うということを、この歳になって初めて実感した。
その、みえざる血のつながりをこそ、友と言うのだと、思い知ったのだ。
――と。
「あけまして!」「おめでとー!」
二つの小規模台風が三人を直撃した。
いきなり三人いっぺんに囲まれて、二人がかりのハグを受ける。あまりのことに、清深は硬直した。
見れば、鍋島澄香と鍋島忠。白音と同じく学校の先輩だ。ただし、関わってはいけない種類の、と、枕言葉がつく。
この国際的な容貌の、黙っていればモテるに違いない双子は、その騒々しさと振りまく災厄から、バイフォーの二つ名で恐れられているのだ。
「ば、バイフォー先輩!」
驚いて声を出したときには、もうすでに抱擁は解かれている。ハイテンションな双子は肩を並べ、鏡あわせに手を振り上げてくる。
「いえーい!」「おめでとー!」
「お、おめでと――行っちゃった」
挨拶を返そうとしたときには、双子はすでに別の場所へ突進をかけていた。
陽花も頭の下げどころを失って、戸惑いを隠せないようすだ。
「台風みたいな人だな」
純の評価には、深くうなずかざるをえなかった。
「――そこにいるのは、澄香たちの後輩じゃないか?」
と、唐突にかけられた耳慣れない声にそちらを向いて、清深は目を見開いた。
長身に、腰まで伸びた長髪。透き通るような美貌の少女が、そこにいた。
とっさに誰だかわからなかったのは、清深の記憶力不足のためではない。
クリスマスに会ったときは、悪く言えば人形のような美人、と言う印象が強かった。
だが、いまの彼女はまるで別人だ。
生気に満ち、内から輝くようだった。
「あ、かの――じゃのうて、たしか、円さん。あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう。元気でな」
あっさりと微笑を残して、そのまま龍造寺円は人ごみの向こうへ去っていった。
「あ、いっちゃった……」
ふたたび、頭を下げそこなった陽花である。
「清深、いまの人」
「ああ。龍造寺円さんゆうてな、直樹さんの知り合いや」
純が目を向けてきたので、清深は説明してやった。
「うわ、緊張したなー。見ただけでどきどきしてきたよ」
顔を紅潮させながら目を輝かせる純。
そのようすに、清深と陽花は思わず目を合わせた。
白音といい、龍造寺円といい、それに横岳聡里にしてもそうだ。どうして彼女はこう、頼もしげな女性に懐くのか。
突っ込んで考えると、妙な想像になりそうだった。
「五本指」
声をかけられて、振りかえった清深は、自分の目を疑った。
光を拒むような黒髪と、対照的にしろい肌。どこかオヒメサマを連想させる少女。
そこにいたのは、紛れもない宝琳院白音だった。
「え――って、宝琳院先輩!?」
清深はなにがなんだかわからなくなる。さきほどまでは確かに、彼女は直樹の側にいたはずだ。
「五本指、久しぶりです」
「あ、先輩。おめでとうございます」
言葉を重ねる白音に、ようやく我にかえった。清深は慌てて頭を下げる。
「五本指、久しぶりです。息災で何よりです」
三度言葉を重ねた白音に、今度は頭の上げ時を失ったのだろう。陽花は腰を折りっぱなしである。
だが、それにも構わず、清深は目を向こうにやった。
向こうにも白音がいる。わけがわからない。
というか、いままでの面子が、みんな直樹の周りに集まってた。
「姉川清深」
「は、はい?」
声をかけられ、あわてて目を戻した。
よく考えれば、先輩が新年の挨拶をしているのに、よそ見などしていいはずがない。
「姉川清深。あなたの疑問は察することができます」
「はあ」
混乱しながらも、清深は律儀に相槌を打つ。
「姉川清深。あなたの疑問は察することができます。あなたはわたしが分身の術を使えるのかと、疑っていますね」
「おもってへん!」
「冗談です」
白音の表情はまったく動かない。代わりと言うように、彼女の唇に指が乗せられた。
清深は、肩を落とした。そういえば、こういうことを真顔で言う先輩なのだ。
「――ただ高速で移動しているだけです」
「先輩が徒競走で転んでへんとこ見たことあらへんし!」
「ではこういうのはどうでしょう。いまここにいるわたしは、あなたの妄想であると」
「勝手に人のこと幻覚持ちにせんといて!」
「あとはクローン人間説と蜃気楼説とロボット説と姉妹説とドッペルゲンガー説くらいしか思いつきません」
「……ひそかに本当っぽいことまで混ぜんといてください!」
思わず聞き逃してしまいそうなあたりに紛れ込ませている辺り、性質が悪い。
「さすがです」
「いや、褒められても」
「いや、さすがです。姉川清深」
そこまで言われると、かえって居心地が悪い。
「いや、さすが関西人です。姉川清深。突っ込みのキレがいい」
「勝手に芸人にせんといてください!」
それに対して白音がなにか返しかけて。
こん、と、会話を破るように、白音の頭に拳が落とされた。
清深は、目を見開いた。
拳の主は、白音の姿を鏡に映したような少女だったのだ。
「うわ、白音先輩が二人!?」
俄然目を輝かす純はさておき、清深も、驚きでとっさに声が出ない。
「うっそ。そっくり」
陽花も驚きを隠せないようだ。
「双子さんやろか」
「姉です」
そっくりさんのほうに声をかけてみると、白音の方から答えが返ってきた。
「三つ年上の、姉です」
なにやら含むところがありそうな言いかただった。
「三つ年上の姉です。最近すこし浮かれすぎです」
ふたたび、宝琳院姉の拳が落ちた。本当に仕草だけなので、痛くはないだろうが、なぜか白音は嬉しそうだった。
「お前ら、何やってんだ」
呆れたような、男の人の声が降ってきた。
みれば、宝琳院姉妹の後ろに、頭二つ近く大きい男性が立っている。
「あ、お兄さん」
現金なもので、とたんに陽花の目が輝きだす。
「あ、鍋島先輩。その節は、すみませんでした」
純が、深く、頭を下げた。
あの事件以降、二人は顔を合わせていない。考えてみれば、純が謝っていない、そして許されていない、最後の人物だった。
直樹の顔が、やさしく綻ぶ。その手が、純の肩に置かれた。
「ああ。元気そうで何よりだ」
笑顔が分厚い。
そう感じたのは、なぜだろう。
直樹は純の心根から発せられた言葉を、がっしりと受け止めてみせた。
その強さは、単純に歳の差からくる、と言うわけでは、やはり、ないのだろう。清深には、とても察し切れなかった。
「直樹さん、あけましておめでとうございます」
感謝の念を多分に込めて、清深は直樹に頭を下げた。
直樹は笑顔をこちらに回してくる。
「おう。お前らも一緒に参るか?」
その言葉に対する返事は、三人みごとに揃った。
双子の先輩が、龍造寺円が、こちらに駆けつけてくる。それを迎えて、直樹が境内に向け先陣を切った。
なにやら、心配していたのが馬鹿らしくなってくる騒がしさだった。
それについて行きながら、とりあえず今年一年、いい年になることを願って。
清深はとびきりの笑顔を、青空に向けた。




