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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビキリ―鍋島直樹と聖夜の悪夢―
26/58

ユビキリ07



 薄暗い空間に、熱気が渦巻いていた。

 その中央部。輝かしい四角の檻の中に、彼はついに降り立った。



「ナオ! やってやろうぜ! 俺たちイタリア系移民の根性を見せてやれ!」



 セコンドのレオンの叱咤に、直樹は軽くうなずいた。

 相手は、輝かしい王座の主だ。前評判でも相手の有利は動かない。



 ――だが。



 直樹は、拳を握りこむ。

 目の前では、黒人特有の、バネの利いた筋肉が、しなやかにリングを舞っている。


 しかし、直樹の目に映っているのは、彼の腰に巻かれたベルトだけだ。



「あんたにゃ、そのベルトはふさわしくねえよ」



 直樹の胸に去来するのは、王者とのさまざまな因縁。屈辱の数々。

 それが、握る拳に力を与える。


 ゴングが鳴った。

 直樹はゆっくりと、リング中央へ歩を進める。



「レオン、ちょっとベルトを取ってくるぜ」



 背中のトレーナーに声をかけ――



「――阿呆かっ!」



 ツッコミと共に缶ビールの直撃を受けた。

 激痛に、直樹はリングの上を転がりまわる。



「目を覚ましたまえ、直樹くん」



 あきれ交じりの声が、空から降ってきた。

 聞きなれた声に、直樹は今の状況を思い出す。

 同時に、舞台の幕が降りるように、観客も、レオンも、王者も消え失せた。



「……宝琳院」


「まったく、キミという人は」



 あきれに、淡い怒りが混じっている。



「気張りすぎも考えものだが、逆はさらに性質が悪いよ。自分をしっかり持っていれば、キミが夢に捉えられることなどないはずだよ」


「えーと……俺、どうなってたんだ?」



 頭のこぶをさすりながら、直樹は少女を見上げる。

 教室からここまで、記憶が飛んでいた。



「来る時に見ただろう? あの空間の外延部。みなの夢のかけらさ。それに囚われていたんだよ」



 ロープに体重を預け、悪魔少女は直樹を見下ろしている。

 すでに夢だと気づいたからだろう。あたりは闇に溶け、もはや四角いリングしか存在していない。



「学校は? いったい何が起こったんだ?」


「中野くんが当たりだった――と、言いたいところだけどね。あいにくまだ夢は続いているよ」


「なら、なんでこんな状況になってるんだ? いったい何が起こったんだ?」



 淡々と語る少女に直樹は疑問をぶつけた。

 さすがにニヤニヤ哂いを収めている彼女だが、猫耳のおかげでかえって滑稽にみえる。



「中野くんは、夢の核ではなくとも、代替不可能な存在だったからじゃないか、と考えているんだけどね。夢への影響を最小限にとどめるために、周りごと沈められたんじゃないかな」


「じゃああそこにいたやつらは」


「一緒に沈められたろうね。起こす手間が省けたわけだ――まあ直樹くんを探す手間で相殺だけどね」


「悪かった」



 庵の、皮肉のきいた言葉に、直樹は両手を挙げて降伏した。

 言い訳の余地もない失態である。おまけに醜態だった。



「まあ、まったく無駄だったわけでもないよ。おかげで向こうがまったく何もしてこないわけも、なんとなく読めた」


「どういうことだ?」



 なにやら不敵な表情を浮かべる猫耳少女に、直樹は説明を求めた。

 ニヤニヤ哂いを復活させ、庵は指を立ててみせる。



「ボクたちは、今は起きてるよね。正確には脳が起きている状態だけど、いつまでも起きていられるわけじゃない。深い眠りに入れば、ボクたちに抗うすべはない。さっきのキミのように夢に取り込まれてしまうだろう。そうなれば、向こうの勝ちだ」


「つまり、向こうが何もやってこないのは、する必要がないから、なのか」


「たぶんね」



 直樹の理解に、合格判が押された。

 だとすれば、時間はそれほど残されていないだろう。直樹たちが夢の中に入ってから、体感で小一時間は経っていた。



「とりあえず、戻ろうじゃないか。いつまでもここにいても、仕方がない」


「ああ。とにかく戻ろう」



 ロープをくぐる少女に続いて、直樹も闇に身を投げた。









 出た先は、教室の外だった。

 振り返ってみると、教室のあった部分は、闇に包まれている。

 戸口に立って中を覗いてみても、その中に何があるわけでもない。教室の中身が、完全に消えているようだった。



「直樹くん」



 後ろから、庵が声をかけてきた。

 振り返ってみて、即、直樹は状況を理解した。受付のクラスメイトやら、後ろに並ぶかたたちの視線が直樹に集中していた。


 目は、口ほどにものを言う。



「鍋島、邪魔」



 受付台に座るクラスメイトの言葉が、みなの思いを代弁していた。

 直樹はひたすら頭を下げながら、その場を退散した。



「直樹くん。次は誰を狙おうか」



 数クラスも離れたところで、少女が声をかけてきた。


 そう言われて、直樹は首をひねる。

 教室にいた者は、軒並みいなくなった。

 教室にいなかった者、といえば、部活の方の出し物に出ているやつらと、当日暇な道具係くらいである。



「……そういや鹿島かしまは屋上で寝るって言ってた気がする。風邪引くぞってのに毛布一枚かついで」


「寝ているのなら、動かないだろうね。ここは確実につぶしていこうか」



 直樹に異論はない。少女の言葉に従い、屋上に向うことにした。

 廊下の両脇に階段があり、屋上に行くなら、西側の階段を使わねばならない。

 階段を上っていくと、屋上階の、外へ出る扉の前に、毛布にくるまったミノムシが横たわっていた。


 その中身が誰かは、言うまでもないだろう。

 さすがに外は寒かったようだ。



「鹿島」



 声をかけると、毛布がピクリと動いた。

 そのまま、しばし待つ。


 やがてもぞもぞと毛布が動きだし、鹿島茂の顔が覗いた。



「ん? あ? ……だれ?」



 寝ぼけているのだろう、半ば閉じられた瞳で、そんなことを言ってきた。



「直樹だよ、鍋島直樹。寝ぼけんな」


「あ? なべしま……ナベシマか」



 夢の中で寝ぼけるというのも、妙な話だった。

 大口を開けてあくびをして、ようやく茂の目がまともに直樹に向けられた。



「ここどこだ?」


「夢の中だよ。寝ぼけんな、鹿島」



 言いながら、ふと思いあたり、逃げ場を探った。先ほどの二の舞になれば、庵に合わせる顔がない。



「夢? かしまって……オレか?」


「ナニ寝ぼけてんだよ。お前の名前だろ、鹿島茂」


「鹿島……鍋島……ああ――」



 鹿島茂の顔に、理解の色が現れた。



「これ、夢か」



 彼がそう言った瞬間。割れたガラスのように、世界が砕け散った。


 とっさに外への扉を開く。

 空間が、崩れていく。

 視界の両端にそれが映り、とっさに跳んだ。


 次の瞬間、足元が崩れる。

 視界に闇が広がり、また急速に縮んでいく。

 すべりこんだ先は、固いコンクリートだった。


 腹に衝撃を受けて、直樹は咳き込む。

 とっさの受身をしくじったのだ。



「あー、痛っ」



 咳がおさまり、何とか立ち上がろうとして、小指に鋭い痛みが走った。

 みれば、黒猫にひっかかれたと思しき傷口が、広がっていた。



「あー、痛そー」



 傷口は小指の付け根を一周してしまっている。

 実際、痛かったが、我慢できないほどではない。直樹は血を舐め取って、治療完了とした。


 振り返れば、扉のあった一帯が闇に包まれている。

 一馬ならともかく、茂が代替不可能な人間だったということに、直樹は首をひねらざるを得ない。とはいえ実際結果が出ては、納得するしかなかった。



「大丈夫かい?」



 と、闇の向こうから宝琳院庵の声が聞こえてきた。

 彼女も無事、逆側に避難できたらしい。



「ああ。なんとか。宝琳院も無事か?」


「あらかじめ離れていたからね」


「――宝琳院」




 悪魔少女とは別の声が、横から割り込んできた。

 どうやら、誰かが来たらしい。



「誰だー?」


「またまどか役の子だよ。見たいかい?」



 尋ねると、そんな答えが返ってきた。

 無論、それが誰であれ、みて気持ちのいいものではない。



「速やかに目を覚ましてやってくれ」



 直樹は即答した。



「了解、戸田勝子とだまさこ、目を覚ませ」


「えっ?」



 戸田勝子、と聞いて、直樹は思わず闇の中を覗きこみかけた。

 無論、何も見えるはずがない。おまけに、速やかに目を覚ましたようで、戸田勝子の地の口調が聞こえてきた。



「ああ」



 直樹は、なんだか惜しいことをした気がして、声を地に落とした。


 ちなみに戸田勝子。クラスで一番の巨乳である。



「鼻の下が伸びてるよ」



 そんな声が返ってきた。

 ばればれだった。









 宝琳院庵と合流するために、その間に挟まる闇は問題だ。

 一度はまっただけに、ためらいもあった。

 だが。



「普通に、まっすぐ進んでくれば出られるよ。夢に囚われなきゃね」



 この挑発的な言葉に、直樹は速攻で闇に飛び込んだ。


 浮遊感とともに、闇を突っ切る感覚。

 そのまま、着地した先は固い地面だった。


 階段の踊り場である。

 振り返ると、闇は踊り場にまでかかっている。



「ほら、こんなもんさ。しっかりと自分を持つことだよ。それが夢の中では肝要だ」


「……肝に銘じておくよ」



 にやにや哂いを浮かべる悪魔少女に、直樹は憮然と返すしかなかった。

 そのまま階段を降りようとして、直樹は足を止めた。階段の影から、クラスメイトの神代良くましろりょうが姿をみせたのだ。



「よう」


「あ、鍋島くんに、宝琳院さん」



 声をかけられてはじめて気づいたのか、良の肩が跳ね上がった。

 おどおどしたようすだが、神代良にとっては普通の応対である。慣れたもので、直樹は気にもかけない。



「ちょうどいい。神代、ちょっと離れて――そう、踊り場まで来てくれないか」


「え? いや、鹿島くんを呼びに来たんだから、そうするつもりだけど」



 言いながらも、律儀に上がってくる良と入れ替わるように、直樹たちは四階まで降りた。

 何事かと不審な顔を向けてくる少年に、直樹はうなずいて見せる。



「おっけ、じゃあ神代、お前はいま夢を見てるんだ。学園祭なんてとうの昔に終わったろ?」


「え? そうだっけ?」


「その通りだよ、神代くん。ボクがキミに話しかけるなんて、夢の中以外ありえないじゃないか」



 横から、庵が口を挟んだ。

 とんでもなく失礼な言い草だったが、その言葉に良も納得したらしい。少年から波紋が広がった。

 次いで、ガラスのように、波紋が割れた。いずこかへと落ちていく破片の奥から闇が広がり、直樹たちの足元まで侵食してくる。



「神代も、当たりか」



 直樹はひとりごちた。

 期待していたとはいえ、立て続けに引き当てては、かえって不安になるものだ。



「こんなやつが、あと何人いるんだ」


「さてね」



 横から、少女のため息が聞こえてきた。



「とはいえ――ふむ、深読みしようとすれば、できるか」


「宝琳院?」



 なにやら考え込むようすの少女に、声をかける。彼方に向けられた彼女の瞳は、すぐに戻ってきた。



「いや、妄想の類だよ。ああ、話は何だったかな――中野くんたちのような存在のことだったね。それに関しては、推論がある」


「言ってみてくれ」


「夢に核たる存在がある、と言う推測は、いまも変わっていない。だが、それを補強するため、核たる人物がみていない場所の情報は、他の者たちから引き出している。その中で要となっているのが、中野くんであり、鹿島くんであり、神代くんなのだろう。逆に言えば、核になる人物は、教室や屋上に行かなかった人じゃないかな」



 直樹は、その言葉を反芻した。

 その推論が確かなら、核になる人物が行かなかった場所の数だけ、一馬たちのような存在がいることになる。


 まともに付き合っていたら、学校中穴だらけになりそうだった。



「核になるやつを探した方が早そうだな。屋上はともかく、教室に行ってないとなると、結構絞られるな。怪しいのは――そういや千葉ちゃんがいたか」


「ふむ? 千葉先生かい? 生徒の出し物を見ずにおくような人とは思えないが」


「なんか親が会場に来てて、逃げ回ってたってうわさだけど……」



 中野一馬に聞いた話だから、本当のことだろう。

 お見合いがどうとかいう話を小耳に挟んだ気がしたが、それに関して直樹は、あえて深く考えなかった。



「そう言うことなら、根気よく当たっていくしかないようだね。とはいえ、あの先生の行きそうなところなど、想像はつくか」



 直樹は庵の視線を追った。

 視線の先は校庭、食べ物関係の屋台が立ち並ぶ一帯だった。


 むろん、偏見である。

 だが、その推測は正しかった。

 誰のイメージが反映されているのか、小学生としか思えないちんちくりんと化していた担任教師は、複数の屋台の食べ物を抱え込み、別の屋台に並んでいた。


 なんだか、色々な意味で哀しくなった。

 速やかに覚醒願ったのは言うまでもない。





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