表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビキリ―鍋島直樹と聖夜の悪夢―
23/58

ユビキリ04



「だが、クリスマス会を料亭でやるとは、なんともミスマッチだね」



 肩を並べて歩いていると、宝琳院庵が話しかけてきた。

 クリスマスの賑わいは、通りひとつ隔てただけで、ずいぶん遠いものになっている。



「ああ。やってるのが一馬の親戚でな、離れを貸してもらえたらしい」



 直樹が説明すると、少女はなるほどね、とうなずいた。


 料亭とクリスマスについて話を掘り進める暇はなかった。

 件の料亭に着いたのだ。駅から五分とかからない近場である。

 塀で囲われた敷地の中、唯一外に向けて開かれた空間に足を踏み入れると、そこは別世界だった。


 玄関口までの短い小道の左右は、小さい庭のようになっていて、苔の生えた岩や、ししおどしがしつらえてある。

 竹が岩をたたく軽妙な音に、いまだ遠くに聞こえていたクリスマスソングも、意識からかき消された。


 直樹も、こんなところに保護者抜きで入るのは、初めての経験だ。

 緊張を飲み込んで中に入ると、仲居と思しき若い女性が、いらっしゃいませ、と、声をかけてきてくれた。



「すみません。佐賀野高校のクリスマス会に来たんですけど」


「一馬さんのお友達ですね。伺っております」



 直樹が伝えると、仲居の如才ない笑顔が返ってきた。

 すこし戸惑ったのは、仲居が和服姿だったからだろう。和服姿の女性が苦手な直樹である。


 そのまま、直樹たちは渡り廊下を通り抜け、新築の離れに案内された。

 母屋と造りは同じだったが、やや風格が劣るのは、重ねた時代の差だろうか。

 とはいえ、直樹たちのクラス全員が入ってもまだ余裕のありそうな、大きな建物だった。


 だが。直樹はいぶかる。



「少し、静かすぎるな」



 庵が直樹の疑問を代弁した。

 直樹たちが最後だとすれば、四十人近くの人数が入っているはずの離れからは、しわぶきひとつ聞こえてこない。



「ああ。まあ、驚かせようと思ってるのかもしれないけど」


「その手の悪戯を考えつくのは、たいがい君だろうに」


「……ま、とりあえず入るぞ」



 とっさに言い返すこともできず、誤魔化すように、直樹は離れの引き戸を開けた。

 その格好のまま、直樹は立ち尽くした。


 倒れていた。

 誰が、ではない。

 誰も彼も、みな、倒れ伏していた。

 中野一馬も、諫早直いさはやなおも、鹿島茂かしましげる神代良くましろりょうも、斎藤正之助も千葉教諭まで、部屋にいる四十人近い人数の全てが倒れていたのだ。


 最も間近、直樹の足元では、先に向かった龍造寺円が横になっている。



「おい、円」



 不吉な予感に駆られて、直樹は円を足で揺り動かす。

 だが、円からはわずかな反応も返ってこなかった。


 ひっくり返してみる。

 手を鼻先に当てると、なまあたたかい空気が手のひらに触れた。



「寝てるのか? おい、円、寝ぼけるな」



 指先で鼻っ面を弾いたが、彼女が起きる様子はない。

 焦りが、じわじわと胸に迫ってくる。



「直樹くん」



 背後から声をかけられた。むろん、宝琳院庵の声だ。



「謝っていいかね」


「なんだよ」


「さんざん例外だ何だと言ってしまったが、この事態は想定できなかった」


「何の話だ」



 焦りからだんだん語調が強くなっていく。

 そんな直樹に、少女は難しい顔を見せた。



「これは、悪魔の仕業だ」



 直樹は、宝琳院庵に顔を向けた姿勢のまま、固まった。

 言葉の内容に、というより、ただ理解するのに時を要した。



「宝琳院」


「なんだね」


「解説、頼む」



 直樹は頭に手を当てた。

 悪魔、と言う言葉に、これほど心を乱されるとは思わなかった。

 過ぎたことではあったが、あの文化祭前夜の悪夢は、いまだ直樹の心に強く爪あとを残していたらしい。


 ただ眠っているだけ。それならば、なんということはない。

 だが悪魔が関わっているとなれば、それですむはずがない。直樹が必要としているのは、まず、状況を整理することだった。



「了解した……といっても直樹くん」



 あくびをかみ殺すような彼女の仕草に、直樹まで釣られかける。

 おかしい、と、直樹が気づいたときには、すでに意識の大半が睡魔との抵抗に割かれていた。


 強烈な睡魔の波に、まともに思考できない。

 少女の言葉も、半ばは理解できなかった。



「どうやら誘われているようだし……向こうで話そうか」



 続いて、体が重くなった。

 庵の小柄な体がもたれかかっている、とも、気づけない。

 ただ、本来片手で支えられるはずの彼女の体重に、直樹は抵抗するすべを失っていた。


 体が横倒しになる。

 急激な睡魔の訪れに淡い危機感を感じながら、直樹の意識は闇に墜ちていった。最後に、淡い疼きを感じて直樹は指を見た。


 なんとなく、赤い糸の事を、最後に思い出した。









 深いまどろみの中、直樹は自分の名を呼ばれた気がした。



 ――誰か、呼んでるのか?



 そう考えたとたん、急速に、意識は浮上しだした。

 眠りの海から顔を出せば、直樹はそこで目覚める。

 だが、本来通るべき道を間違えた。そんなことを、妙に確信してしまう。

 何とかしようともがきながら、意識は否応なく浮上していき――霧越しに見るような淡い光が、目に入ってきた。



「直樹くん」



 その声は、夢の中でなく、現実に耳を打った。


 と、直樹は思ったのだが。

 声をかけてきた、自分の腹の上に乗っている物体に、直樹は目を疑わざるを得なかった。


 猫である。

 黒猫である。

 公家眉のように、額に二つ白い斑点が並んでいる。



「直樹くん、目を覚ましたかい?」



 その猫が、人語を話すのだから、尋常の事とは思えない。

 だが、幸か不幸か、鍋島直樹はこのような怪現象に慣れてしまっている。



「その声。ひょっとして――宝琳院か?」


「ご明察だね」



 半信半疑で問いかけてみると、期待通りの言葉が返ってきた。



「前々から猫っぽいとは思ってたけど……なんでまたそんな格好になってんだ」



 心配よりあきれの方が強いのは、彼女が姿を自在に変えるさまを目の当たりにした経験ゆえだろう。

 宝琳院庵(猫)は、猫の顔で器用にも渋面をあらわした。



「まあ、それも含めて、説明させてもらうよ。ここがどういった性質のものか、直樹くんにも理解してもらう必要があるからね」



 そういって、直樹の腹の上に鎮座する黒猫。邪魔である。



「――ってそこで落ち着くな。俺が起きれんだろうが」


「っと、乱暴だね」



 手で払うように黒猫少女を追うと、直樹は半身を起こした。

 やっと得た満足な視界を得た直樹は、だが、そのままの格好で固まるはめになった。


 何かが見えたから、ではない。なにも見えない。

 薄い霧で遠くまでは見とおせないが、見渡す限り、なにもなかった。



「驚いたかね」



 少女の声が、呆然とする直樹の耳を打った。



「ここは、夢の中だよ――多分、そう説明するのが、一番わかりやすい」


「ゆ、め?」



 そう言われても、直樹には実感がない。

 五感がまったく鈍っていないからだろうか。夢の中と言われるよりも、悪魔が造った世界とでも言われた方がよほど納得がいっただろう。


 それを口に出すと、猫らしからぬニヤニヤ哂いが返ってきた。



「あいかわらず、いいひらめきだね。夢の中、というのは、起こった現象を短絡的に説明したもので、原因を求めるなら、悪魔――というより、魔に属するものの仕業、ということになる」


「要点だけ簡単に頼む」



 事細かに説明される前に、直樹は釘をさした。

 とりあえずこの奇妙な空間がどんなものか判らないと、落ち着いて話もできそうになかった。


 それを明確に察したのだろう。

 黒猫少女は尻尾を左右に揺らしながら、前足を挙げてみせた。



「とりあえずは安心したまえ。この空間は、油断、即、死にいたるような、性質の悪いものではないようだ。先に言ったように、夢の中のようなものさ――ただし、複数のものが共有する、ね」


「俺たちが、一緒の夢を見てるってことか?」


「その理解で正しいよ。この姿も」



 言いながら、少女は自分の姿を示してみせる。猫の体で器用なことだ。



「――その副産物さ。他の人間のイメージが、ボクに影響を与えているんだろう。きっと、ボクのことを猫っぽいと思っているやつがいるんだろう」



 ――すまん、それ、俺だ。



 などと、白状できるわけがない。

 直樹は黙っておくが吉、を決め込んだ。



「とまあ、そんな風に、あやふやにして強固な空間だ。このあたりは外延部のようだけど、中の方は相当混沌としていると思うよ」


「どうすりゃいいんだ」


「簡単さ」



 悪魔少女は猫の口で笑みを形作った。



「みんなの夢でできた空間なら、みんなを起こせばいい。簡単だろう?」









 夢を見たことがあるか、と、聞かれれば、無論直樹はイエスと答えるだろう。

 だが、はっきりとした自我を持って夢を体験した事など、これも当然、ない。


 先ほどまでは学校の廊下だった場所が、見渡す限りの草原に変わり、それがまた電車の中になるに至って、直樹はこのでたらめな空間を理解することをあきらめた。


 なまじ実感があるだけに、性質が悪い。

 そういうものだと割り切らねば、気が狂いそうだった。

 一方、直樹の肩にぶら下がっている黒猫型不可思議生物は、楽しげにふむふむと頷きっぱなしだ。


 そのたびにひげが頬をくすぐって、鬱陶しい。



「おい、宝琳院。さっきから頷いてるけどなんかわかったのか」


「素晴らしい。美事だな、この空間の創作者は」



 なにやら感に堪えないようすの黒猫に、直樹は目をすがめる。



「一人でわかってないで言ってくれよ」


「よろしい」



 と、直樹の肩の上に立とうとする黒猫だったが、歩いている人間の肩の上に直立するなど、いくら猫とはいえ難しいらしい。すぐにあきらめて肩からぶら下がる形に戻った。



「この空間は、みんなで共有する夢。ボクはそう言った。だが、夢というのは、無意識の領域だ。同じ夢を見せようと思っても、個々のちょっとした差異が、それをまったく別の方向に導く。だから、この空間は混沌としている、と、思ったのだが――いや、驚いた」



 宝琳院庵の尻尾がぴたん、と直樹の腰を打った。



「クラスのみんなは、この空間を構成する要素だ。それがこの空間に及ぼす影響を消去することなどできはしない。だが、それを偏在させることによって、確固たる“世界”を築くことに成功したのだ」


「簡単に頼む」


「……じゃまなものをどけて広場をつくった」


「了解」



 直樹は左手を挙げてみせた。


 と、直樹は気づく。

 左手の小指に、何か引っかいたような傷があった。

 少しひっかかりを思えた直樹だが、おおかた肩に乗った黒猫の爪にひっかけられたのだろう。そう思い、思考の脇にどけた。


 いまはそんなことに気をとられている場合ではない。



「でも、いったいなんでこんな空間をつくったんだろうな」


「それは、ボクにもわからないよ。なにぶん、いま見えているのは現象だけだからね」


「ああ。不思議パワーは使えないんだったか」



 少女の言葉に、直樹は彼女が何度か言っていたことを思い出した。



「その通り。今回は実地で調べていくしか、方法がないのさ――と、どうやら中心部が近づいてきたぞ」



 その言葉通り、空間を隔てる薄霧の幕が、直樹にもはっきりとみえた。

 二度ほど足をためらわせ、直樹は思い切って幕の向こうに足を踏み入れた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ