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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビキリ―鍋島直樹と聖夜の悪夢―
21/58

ユビキリ02



 冬休みが始まって数日後。

 福岡空港国際線ターミナルの到着口に、鍋島直樹の姿があった。


 十二月二十四日、クリスマスイブである。

 夜にはクリスマス会が待っているのだが、埋め合わせとして直樹は家の用事に使い倒されるはめになった。むろんこの場所に来たのも、従兄弟を迎えるためである。


  到着口からが吐き出される人の波も三度目になって、ようやく直樹は待ち人の姿を見つけた。



「やー、ナオ!」



 キャリーバッグを転がしながらやってきたのは、長身の欧米人だった。


 大きい。長身の部類に入る直樹が、なお上を向く形だ。

 そのわりにスリムで、全体的に細長くみえる。服もタイトなものを選んでいるから、余計だろう。

 ただ、手や頭といった末端部分が不釣合いに大きい。頭に乗ったブラウンの帽子が、同色の髪と一体化したようで、余計にそれを強調している。総合的な印象と言えば、“マッチ棒”だった。



「レオン兄さん、久しぶり」



 直樹も手を挙げながら、一年ぶりに会う従兄弟に歩み寄る。

 そのままハイタッチ――にはならなかった。


 互いの瞳がぎらりと光る。

 乾いた音が、空中で響いた。


 直樹の手は、レオンが被る帽子の、十センチ手前で静止している。レオンの手が、直樹の動きを阻んだのだ。

 小刻みに震える二人の腕が、そこに込められた力のほどを示していた。



「お・ま・え・は・なんで毎度毎度人の頭狙うんだぁ」


「い・い・じゃ・ないかどれくらい進行したか気になるしぃ」



 がっぷり四つに構えながら、双方妙な笑みを浮かべている。どちらかというと、レオンの方がより必死なようだ。



「に・い・さんも、もう若くないんだから気にしなきゃいいのに」


「だ・ま・れ・一の位を切り捨てたらまだ二十だぁ」


「一・昨・年・までは四捨五入だったよねぇー」


「お・ま・え・こ・そ・こんな日に使いっ走りってことは、どうせ女いないんだろう」



 不毛な会話である。

 そのうえ、大柄な男二人の取っ組み合いは、人目を集め放題だ。

 たっぷり三十秒ほどの格闘の結果、ようやくそれに気づいた二人は、たがいに視線を交わし、手を離した。一時休戦である。


 年齢の差か、それとも元々の体力差か、レオンははや肩で息をしている。



「ナオ、荷物持ってくれ。ボクはもう疲れた」


「まったく。ほんとに年寄りみたいだな」



 へた、と、その場に腰を落としそうなレオンに、直樹はため息をつきながら荷物をあずかった。



「無茶言うなよ。チャンピーノからここまで、何時間飛行機に乗ってたと思うんだ」


「プラス一時間ちょい、ここから電車だけどね」



 直樹が言うと、レオンの恨めしげな顔が返ってきた。


 両手を横に広げ、肩をすくめるさまを言葉で表わすならば、“オーノー”だろう。









「ハゲのオジサン、久しぶりー」「ハゲのオジサンこんにちはー」



 家の玄関を潜ってすぐ。

 秒速数万光年で、言葉の暴力に打ち貫かれたレオンは、その場に崩れ落ちた。


 さすがの直樹も哀れをもよおす、それは悲しみっぷりだった。



「こら、二人とも、従兄弟相手におじさんはないでしょう」



 ごん、ごんと、双子の頭の上に拳骨が落ちた。


 頭を抱える双子を見下ろす瞳は青い。

 髪は見事なブロンドで、顔立ちから見ても明らかに欧米人であるが、身にまとっているのは柄抜きの着物である。


 年のころは三十半ばほどか。

 顔立ちは双子に似ている、と言えば逆になる。

 彼女は双子の生みの親で、つまりは双子が母親似なのだ。



「だってー」「干支えとが同じだし」



 いいわけを聞かずして、再び母の拳が落ちた。

 ちなみに、彼女も干支は同じである。それが拳の重さに一助を加えた可能性は否定できない。

 結果、双子は、そろって床を転がることになった。レオンの膝も、いまだ地についたままである。


 床を這う三人に、直樹はため息を落とした。

 とりあえず哀れなレオンを尻目に、直樹は彼の荷物を客間に放り込むことにした。


 しかし、それから10分も経たないうち。

 直樹が部屋でくつろいでいるところに、レオンがほうほうの態で入ってきた。


 その慌てように、直樹は怪訝な目を向ける。



「兄さん、どうしたんだ」


「ナオ、助けてくれ! あの悪魔の双子め、ボクの貴重な前髪を引き抜こうとしやがるんだ!」



 直樹が尋ねると、そんな答えが返ってきた。

 心底脅威を感じているらしい。レオンの表情は真剣そのものだった。


 直樹は呆れるしかない。



「兄さんが嫌がるから喜ぶんだよ。一、二本も抜かしてやりゃ満足すると思うけど」



 とはいえ、そろそろ額が広いなどという言い訳も、苦しくなってきたレオンである。彼にとっては、一、二本が大問題なのだろう。

 それに関してレオンが口を開きかけたところで、直樹の部屋の引き戸が開いた。

 入ってきたのは、もちろん件の双子だ。



「おじさーん!」「つるぴかー!」


「おわー! やめろー!」



 獲物を捕らえて喜ぶ原始人のように、レオンの周りで奇妙な踊りを踊る双子。

 レオンが過剰に反応するから楽しんでいるだけなのだろうが……正直、直樹も見ていて楽しい。


 だが、レオンの受難も長くは続かなかった。



「こら」



 という声とともに、二本の手が伸びてきて、双子はつまみ上げられた。

 腕の主は隣に住む幼馴染、龍造寺円である。十四とはいえ、二人とも高校生といっても通じる体格だ。それに見合った体重を有している筈だが。深く考えると恐ろしい結論が出そうだった。



「あー! おねーちゃん!」「円ねーちゃん!」



 吊り下げられているというのに、双子は楽しそうに手足をばたつかせだした。

 さすがに耐え切れなくなったのだろう。円の手から、人型をした重りが切り離された。



「人の嫌がることはしちゃ駄目だ」


「はーい」「わかったー」



 双子は存外おとなしく引き下がった。

 二人そろうと手のつけられない双子も、なぜか円の言うことには素直なのだ。

 そのまま去っていく双子を見送って、レオンの頭が上がった。円に向けられた視線は、尊崇の色が強い。



「おお、助かったよ、マドカ」


「一年ぶりです」



 感謝の念を隠さないレオンに、円が返した言葉はあっさりしたものだ。



「またすこし、後退したみたいですね」


「はう!」



 言葉の銃弾に打たれ、レオンの体がのけぞる。



「――立場が。どうも年々双子の遠慮がなくなってきてる」




 つけ足された言葉は、レオンの身を支える役には立たなかった。

 再びくずおれるレオンの姿は、もはや哀れというほかない。



「円。レオン兄さん無駄に傷つけるな」



 言い方に気をつけさえすれば、だれも傷つくことはなかったろうに。


 直樹はため息をつく。

 円は何のことか分からないという風に、首を傾けていた。









「ナオー」



 レオンの声を聞いて、直樹は振り返った。

 疲れも手伝って、あれから客間に閉じこもっていたはずだが、退屈の虫がうずきだしたらしい。


 なにがうれしいのか、レオンの顔には笑みが張り付いていた。



「ナオ、聞いたぞ」



「……何を?」



 直樹はいぶかしげに聞き返した。

 レオンの上機嫌の理由が、まったくわからない。



「今夜、出かけるんだって?」


「ああ、クラスの会があるから。早めに戻るつもりだけど」


「遅くていいぞ」



 笑顔を崩さないレオンに、直樹はひっかかりを覚える。


 そういえば。

 直樹は思い出す。母もこの話をしたとき、上機嫌だった気がする。いつもは家族のイベントをはずすと怒るのに。



「どんな魂胆だよ」


「ナニとぼけてんだよ」



 直樹が目を眇めると、いきなり細長い腕が首に巻き付けられた。



「チャンスだぞ。ちゃんと決めてこいよ」


「何の話だよ!」



 思わず声を荒げる。



「マドカと――」


「まてまて、待ってくれ。なんでいきなりそんな話になるんだ」



 チョークスリーパーから逃れながら、直樹は頭を手にあてる。数秒ほどは、本気で息ができなかった。



「ハハハ、とぼけるな――いや、言わなくてもわかってるよ。照れくさいんだろう? 大丈夫。戦果を聞くほど野暮じゃない」



 全てわかってる。そんな様子のレオンに、頭を抱えたくなった。

 要するに、直樹が円のことを好きだと誤解されているのだ。むろん、情報源であろう母にも、である。



 ――いやにあっさり出させてくれるはずだよ。



 直樹は心中に愚痴をこぼす。

 クリスマス会をダシにしたデートだと思われていたのだ。


 直樹は龍造寺円を嫌ってはいない。

 好きか嫌いかで問われれば、好きと答えるだろう。

 だが、それが恋愛感情かと聞かれれば、直樹は首を横に振らざるを得ない。


 円とは、かれこれ六年ほどの付き合いになるが、一貫して幼馴染で友人で、互いに保護者のような関係だった。

 ほとんど家族同然であり、他の感情を抱きようがないというのが、直樹の実感である。



「ナオ、いい物を貸してやろう」



 そういってレオンが取り出した物は、直樹の目に馴染みのないものだった。

 むろん、磔刑を受けた聖人をデザイン化した、十字を描くこの意匠を、直樹は何度も目にしたことがある。だが、実物としてちゃんとした形で見るのは、おそらく初めてだろう。



「なにこれ」



 直樹は、自分の手の平に収まった寂びた銀色の十字架と、それを渡した本人とを交互にみる。



「これはな、無神論者だったおじいさまが買った唯一の十字架だ。信心深いおばあさまを口説くために買ったらしい」


「罰当たりだな、それ」


「無神論者だし。その辺りは気にならなかったんじゃないか? まあ、それはともかく、霊験あらたかなのは確かだよ。ボクも保障する。三回くらい効いた」


「それは逆に駄目なんじゃあ……」



 直樹は笑みを作りそこなったような、妙な顔になった。少なくとも二回、別れている勘定だ。



「まあ、それはともかく」



 レオンはにこやかな様子で、肩に手を置いてくる。直樹の話など、耳に入っていないらしい。



「がんばれよ」



 なんのてらいもない、祝福の表情だった。


 結局、気づかい自体はうれしいのだが。

 飄々と去っていくレオンに向け、直樹は肩を落とす。



「俺は円と付き合いたいわけじゃないっての」



 この誤解は、根が深そうだった。





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