閑話04 鍋島直樹と親友二人
風が、冷たくなった。
暦を数えてみれば、もう十二月である。
運動部の連中と違って、帰宅部の鍋島直樹はわざわざ北風と戦う必要もない。
期末テストも過ぎたある平日の午後。直樹は友人と共にファーストフード店に来ていた。
二階の中央席を占領する面子は、華やいだ雰囲気とは無縁だった。
目の前には男二人。直樹と合わせて男三人。むさ苦しいとまではいわないが、暑苦しいのはたしかだ。
直樹は、正面に目をやる。
層を重ねすぎて、自重で潰れそうなハンバーガーにかぶりついている大柄な男は、店内の気温を数℃も上げているようだ。
斎藤正之助。
縦にも横にも、直樹より数回りはでかい。
佐賀高でも、そうは居ない偉丈夫である。
そんな彼が科学部に席を置いている、などといわれて、果たして何人が信じるだろうか。
直樹はいまだに信じられない。個人的に、佐賀高七不思議のひとつだと思っている。
「もうすぐ冬休みじゃな」
正之助の野太い声が卓上に投げ落とされた。
そうだな、と、直樹は返す。
「うむ、期末テストも終わったことしだな」
正之助の隣に座る中野一馬も同意した。
いつも通り、姿勢を崩さぬ端正な姿は、独特の雰囲気も含めて、人目を引く。
「思いださすな」
よほど嫌だったのだろう、正之助の顔が盛大に歪んだ。
鬼瓦のような形相を見れば、子供は泣き出すかもしれない。
もっとも、直樹にとっても、期末テストはあまり触れたくはない話題だ。
「今回の科学、満点取れんかったんじゃ」
まあ、直樹とは、悩みのレベルが違うようだが。
頭を抑える正之助だったが、そんなことで落ち込まれては、直樹の立つ背がない。皆無だ。
「ふむ、正之助にしては珍しいな。どこを間違ったのだ?」
「選択問題で凡ミスじゃ。ああ、時間を戻したいのう」
「……おまえら、勉強の話やめろよ」
二人の会話に、直樹はうつ伏せになって抗議する。
「――せっかくテストも終わったのに、蒸し返すなよ」
直樹としては、すでに終わったことにしたい出来事なのだ。
愚痴なら結構だが、それにしてもこの二人とは、悩みのレベルからして違いすぎる。
というより、二人の成績で悩みが生まれるということ自体、直樹にとっては贅沢な話だ。
「オウ、そういえば」
思い出したように、正之助が手を打った。
かんしゃく玉が破裂したような豪快な音が、店中に響く。
驚いた人の目が集まるのを、正之助は気に止める様子もない。同席の直樹としては、是非とも気にして欲しいところだが。
「直樹、クリスマスはどうするんじゃ?」
「なんだよいきなり」
不躾な質問だった。
その意図が分からず、直樹は不審を眼差しに移して投げかけた。
「女とどこか行かんのか」
単刀直入というか、ぶっちゃけすぎだった。
「いや。クリスマスは毎年家族で過ごすことになってるからな。従兄弟も来るし、そんな予定はありません」
直樹は、いささか演技じみた溜め息を吐いてみせた。
たいてい円も参加するのだが、それも別に色気のある話ではない。
「そういうの、気になるなら一馬に聞いて見ろよ。面白い答えが返ってくるかもな」
直樹は、一馬に話を投げた。
「どうなんじゃ?」
「ふむ?」
静かに、コップがトレイにのせられた。
真横からの射るような視線にも、一馬は涼しげなものだ。
「たしかに、幾人かから誘いはあったが……全て断った」
「何でじゃ!」
正之助の声が、店内に響いた。
何事かと、客の目が一斉に集まる。
お構いなしに正之助は盛大に嘆いてみせた。
「もったいない。一人くらいワシに回さんかい」
「と、言われてもな。こういうイベントの日くらい、みなで楽しむものだろう?」
平静を崩さない一馬である。
毎年、クラスでクリスマス会を企画している彼は、間違いなくそう思っているのだろう。
「ちがうじゃろ? 逆じゃろ? イベントの時こそ女優先じゃろ?」
熱弁する正之助だが――直樹はこっそりとため息をついた。
イベントの日くらい。一馬の言葉を、正之助は聞き流したらしい。
細かいところをつつくと正之助が発狂しそうなので、直樹も教えるつもりはないが。
「ふむ、であれば、正之助は来ないのか? クリスマス会」
「あったり前じゃろう! 今年こそマサコちゃん口説くんじゃ!」
気合のこもった正之助の拳が、卓上で天を向いた。
「ふむ? だが、戸田はクリスマス会に参加すると言っていたが」
一馬のたった一言で、正之助の握り拳は力なく卓上に落ちた。
告白されたことまで言わなかったのは、一馬なりの気遣いなのだろうと直樹は思った。
「……参加しちゃるよ。クリスマス会」
なにやら葛藤があったようだが、想い人が参加する以上、答えは決まりきっていた。
気合と共に体まで萎んだような正之助だった。
「今年は何人くらい来るんだ?」
静かになった正之助を尻目に、直樹は一馬に顔を向ける。
「まだ全員には声をかけていないが――ふむ、女子は、ほとんど来る計算だな」
「死ねばええんじゃ……」
指折り数える一馬に、正之助から怨嗟の声が漏れた。
無論、その参加率の高さが、クラスのためというより、一馬自身に向けられた好意によるところが大きいことを知ってのことだろう。
「男連中は?」
「まだ返事は半分くらいしかもらっていないが、それも相当数――おそらく彼女持ち以外は集まる予定だ」
「大盛況だな」
「十八人ほどか」
「多いなっ!?」
ちなみに。
直樹たちのクラスの男子は総数二十一名である。
「どんだけ甲斐性ないんじゃ、うちのクラスは」
自分のことを棚の最上段に上げた正之助の発言だったが、直樹はあえて何も言わなかった。
「千葉先生も来ることだ。クラス勢ぞろいの感があるな」
なにげない一馬の言葉に、直樹と正之助は視線をあさってに向けた。
彼らの担任教師、千葉連。
年の瀬には二十六になる。
「……いい先生だな。わざわざクリスマス潰してまで」
「……そうじゃのう、自分のことなぞ構わんと。なかなかできんことじゃ」
不思議と、この場にいない独身女性教諭に対する生あたたかい空気が、辺りに満ちた。
もうひとつの可能性など、誰も口にしなかった。
「ふむ、そういえば」
一馬が口を開く。
「クリスマス会の企画で異性の好みに対するアンケートがあるのだが」
「アンケート?」
直樹は聞き返した。初耳である。
「ああ、好みの異性三人を挙げてその傾向を計るのだ。ついででもある。お前達の好みも聞いておこうか」
「三人、ねえ」
直樹は首をひねる。
一人出すよりは気楽かもしれないが、それでも気恥ずかしいものだろう。
「ワシが言おうか? マサコ、チズル、ヤスメじゃな」
「胸か」
「胸だろう」
自信たっぷりの正之助の発言に、直樹たちは同時に突っ込んだ。
「ワシは胸が大好きなんじゃ」
「聞いてねえよ」
正之助の熱い主張を、直樹はつめたく切り捨てた。だが、三人の名から瞬時に共通項が出た時点で、正之助と同じ穴の狢だろう。
「直樹はどうなのだ?」
「俺か?」
一馬に言われて、視線を宙にめぐらせる。
二度ほど、ウーロン茶で喉を潤した後、直樹はやっと口を開いた。
「――純粋に、好みで言うぞ」
「ああ」
「いっとくけど、好きってわけじゃなく、純粋に好みだからな」
「わかっている」
「積極的にじゃなくて、あえて選べばだからな」
「何でそこまでこだわるんじゃい」
「直樹、とっとと言え」
二人に冷たく突っ込まれ、直樹はしぶしぶと口を開く。
「――円と宝琳院と諫早かな」
ふむ、と、一馬が虚空に描かれた三人の姿を見比べた。
「顔じゃな」
「いや、女っ気の薄さだな。間違いない」
二人とも、冷静に分析を終えた。
「しかし何でじゃ? 言っちゃなんじゃが、あんな色気のかけらのないやつらを」
正之助の問いに、直樹は答えなかった。
その視線を遠くに定めたまま、動こうともしない。
「まあ、ほぼ想像通りではあるが」
一馬は首をひねってみせる。
「なぜ直などを? あれのどこが好みなのだ?」
本気で分からない、といった風な、一馬の言葉だった。
その言葉に、直樹の顔が青ざめた。訴えかけるような視線も、二人には通じない。
「そーじゃの。胸ナシ、性格キツイ、粘着質の三重苦じゃ」
「だーれーがー三重苦だって?」
不意に、後ろからかけられた声に、正之助の顔がこわばった。
南無、と、直樹は手を額に当てる。
背後に仁王立ちしているのは、話題の人、諫早直である。
「言ってみなさいよ、正之助……それに一馬」
直の目が一馬を向く。
むろん一馬も、先ほどから顔を引きつらせている。
「さっきから聞いてれば、色気がないとかあれ呼ばわりとか……いったい誰の話なのかしらね?」
猫なで声に、充分以上の殺気がこもっていた。
「じぃーっくりと聞かせてもらいましょうかあ。あ、直樹くんはいいから。どうせ人数あわせだろうけど、選んでくれてありがとね」
ズルズルと、引きずられるように連れ去られていく一馬と正之助。
残された直樹は、心の中で手を合わせた。核弾頭級の地雷に身を投げ出した二人の末路は、想像するだに恐ろしい。
助かった、と、胸を撫で下ろした姿勢のまま、直樹は固まった。
一馬たちと入れ替わるようにやってきた人物は、彼がいま会いたくない人間の、文句なしに一番と二番だったのだ。
「やあ、直樹くん。どうしたんだい? こんな真冬に汗なんかかいて。何か楽しいことでもあったのかい?」
一切合財分かっているくせに、宝琳院庵はそんなことを尋ねてきた。
獲物をいたぶる猫のような怪しい瞳は、確かに直樹を捕らえている。ニヤニヤ哂いもいつもの二割増しだ。
対して龍造寺円は無表情だった。
ただ、長年付き合いのある直樹でも、感情は読みとれなかった。おまけに、まったく口を開こうとしない。
これも、逆のベクトルでプレッシャーだ。
「ほら、正之助! 自己批判なさい! 女の魅力に胸は関係ないと、声高に主張して前非を悔いなさい!」
「い、いやじゃー! ワシはおっぱいが大好きなんじゃー!」
向こうは向こうですごいことになっているが、とりあえず直樹には、彼らを気遣う暇はなさそうだ。
居たたまれない空気を誤魔化すように。ウーロン茶を、音を立ててすすり上げた。




