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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
閑話
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閑話03 宝琳院庵と宝琳院白音

 髪が、風になびいた。

 豊かな黒髪は、陽光に映してなお漆黒を保っている。

 その深みに誘われるように、人々は髪の主に目を囚われる。


 だが、そのまま少女の視線を目で追った者は、二度目を驚かすことになる。

 少女の足が向かう先には、鏡に映したように、そっくり同じ容姿の少女が立っているのだ。


 宝琳院庵ほうりんいんいおり宝琳院白音ほうりんいんしらね

 双子ではない。れっきとした姉妹である。歳も三つほど離れている。

 だというのに、二人は容貌から体格、髪型にいたるまで、完全に瓜二つだ。


 誰に責任を帰すかといえば、これは両方と言うしかない。

 二人の相似形は、おたがいが歩み寄りをみせた結果なのだ。


 発育不全の姉、宝琳院庵ほうりんいんいおりが手を挙げる。

 それに応えるように、発育のいい妹、宝琳院白音しらねが小さく首を上下させた。たがいに表情に乏しく、まるで作業のような風景である。



「お待ちしておりました」



 白音は、神妙な様子で頭を下げると、手に持った包みを捧げた。



「これは、まず、お詫びの代わりに」



 姉の視線が包みに向けられた。

 包装紙は近所でも有名なケーキ屋のものである。であれば、当然中身もその店のものだろう。

 姉が無言で受け取るのを見て、白音はわずかに息を吐いた。それが安堵のため息であると、彼女を良く知る者なら分かっただろう。


 五本指の事件から、まだ何日も経っていない。

 事件に際し、白音は姉を騙して水風呂に入れ、二日も寝込ませた。

 それが事件を決定的に把握していなかったが故の過ちであったのだから、仕掛けられたほうも救われない話である。

 無論、報いは、しっかりと受けることになったのだが。


 白音がわざわざ朝から並んで手に入れた水月堂のショートケーキは、彼女の最大限の謝意なのだろう。

 それは、姉にも伝わったはずだった。

 


“今日はどこへ連れて行くつもりだい?”



 そう言う代わりに、宝琳院庵の首がわずかに傾いた。

 無論、その含みは妹にも充分に伝わっている。



「ここからすこし歩くことになりますが、小森公園です」



 無口が身に染みた姉相手に言葉遊びする気はないのか、白音の言葉は簡潔だ。


 小森公園、と聞いて、姉の眉が顰められた。

 冬場の公園に対する不満、と言うより、単純に名前が気に入らなかっただけのようだが。



「我慢してください。日曜日に人気のない公園なんて、そうはないんですから」



 再び、姉の首が傾く。



“なぜそんな人気のないところに行かねばならないんだい?”



 言葉にすれば、そんなところだろう。



「それは着いてからのお楽しみです」



 白音は、無表情で答えた。

 それから、二十分も経っただろうか。

 迷い無く歩を進めていた妹の足が、ぴたりと止まった。



「姉さま」



 白音の口調は、常のように平坦極まりない。



「道に迷いました」



 それに対して、姉は無反応だった。

 どんな言語も、その表情からは引き出せない。

 木枯らしが、耳元で高い音を奏でた。









 それから迷走すること三十分。

 二人は完全に現在地を見失っていた。

 入り組んだ住宅地に入りこんでしまい、方向感覚を喪失してしまったらしい。

 見慣れた場所にもかかわらず、どちらに進んでいるのかも判らないという体たらくだ。

 しだいに増し始めた背後からの無言の圧力に、さすがの白音も耐えかねたのだろう。少女の目が、人を求めてさまよいだした。


 それからしばらくして。

 曲がり角の先に人の姿を見つけ、安堵の息と共に、白音は後姿を追いかけた。


 後姿からして妙な女性だった。

 染めたばかりなのか髪の根元まできれいなブロンドに、柄抜きの着物を着込んだ姿は、アンバランスとしか言い様がない。



「すみません」



 白音の声に応じるように、ゆるりと、袖が翻る。

 その瞳は、青の光をたたえていた。


 顔立ちといい、明らかに欧米人である。

 この不意打ちには、さすがの白音も虚を衝かれたのだろう。瞳が定まっていない。



「何でしょう」



 だが、予想に反して。

 彼女の口から紡ぎだされたのは、流暢な日本語だった。

 年のころは三十半ばほどだろう。もっとも、白音に年長の女性の年齢を計る技能はない。ただ漠然と、大人だと感じただけである。



「え、と、あの、小森公園ってどこでしょう」



 自分でも何を言っているのか分からない様子で、白音は言葉を左右に散らす。

 そんな姿に、女性の金髪が揺れた。



「それなら、この通りを右に折れて左手よ」



 笑いの残滓を方に残しながら、女性の手は通りの奥を指し示した。

 白音が壊れた人形のように、かくんと頭を下げる後ろで、追いついて来た姉は優雅な礼を見せた。

 女性のほうは、この相似形の姉妹に興味を示したのだろう。大きな瞳が、さらに大きく広がった。



「お嬢さんたち、双子さん?」


「いえ、姉妹です」



 落ち着きを取り戻したのだろう。白音の声は、平坦なものに戻っている。



「あら、ごめんなさい。うちにも双子がいるものだから、てっきり」



 薄紅を引いた唇が、微笑を形づくった。

 長い言葉にまったく言いよどみがないあたり、日本に長く住んでいるのだろう。

 白音は、ふと思い至ったように時計を確認した。無論、迷走した時間分、予定は押している計算だ。



「ありがとうございました。では、急ぎますので」


「ええ。気をつけてね」



 角の左右で分かれ、ひとしきり女性の振る手に応えてから、白音は姉に向き直った。



「では、行きましょう」



 白音の声に頷いてみせた姉の顔には、こんな言葉が書いてあった。



”いい醜態ものを見せてもらったよ。”



 金髪の女性が言った通り、公園はすぐそこだったらしい。ものの数分で、公園の外縁が視界に入ってきた。

 人気のない、という言葉からできたイメージとはかけ離れた大きさのそれは、住宅地のデッドスペースを埋めるように極端な鋭角を二人に向けていた。

 とはいえ、延べ面積では相当な広さになるだろう。



「わたしは、そこのコンビニで飲み物を買ってきますので。姉さまは奥の方にベンチがありますから、そこで待っていてください」



 白音の言葉に、了承の意が返ってくる。

 気ぜわしくコンビニエンスストアに向かう白音に対し、庵の顔には何も浮かんでいない。

 ただ、足は公園の奥に向けられた。









 広い公園には遊具ひとつなかった。

 無論、恋人たちが好むような気の利いた施設もなく、かといって山水を象った風流を楽しむ要素もない。

 嫌がらせのように植えてある大量の木々が、なんというか、この公園を作るに当たっての無計画さをしのばせた。


 宝琳院庵はわずかに顔をしかめた。

 木々の合間から見えた件のベンチに腰をかける男の姿があったのだ。

 だが、近づいて行き、男の頭に白い包帯を認めたとき、彼女は、また別の意味で顔をしかめる事となった。

 完全に、妹の腹の内が読めた。

 


 ――これで仲直りしましょう。



 そんな白音の声が、聞こえてくるようだった。

 間違った理解から生まれた、あさって方向を向いた好意である。だが、妹の好意自体は、彼女にとって貴重なものだった。


 男が、彼女の姿を認めたのだろう、立ち上がって向かってくる。



「遅いぞ!」



 男――鍋島直樹の唇は、青みがかっていた。

 手に持った缶コーヒーも、カイロの代わりとして、その短い旬を終えているらしい。

 彼が白音にどう言いくるめられて、この場に来たのか。意地悪く尋ねてみたくはあった。


 だが――

 宝琳院庵は、ないことに、ニヤニヤではない、純粋な笑みを浮かべる。



「ずいぶんと待たせたようだね。お詫びと言ってはなんだが――」



 言葉と共に、少女は右手の包みを掲げる。



「水明堂のケーキがあるのだが、どうだい?」



 鍋島直樹の目が見開かれた。

 提案よりも、むしろ少女の微笑みに、戸惑いを覚えたように見えた。


 ともあれ、その後のことも含めて。

 宝琳院庵にとっては割と有意義な、とある日曜日の出来事だった。




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