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悪魔がたり  作者: 寛喜堂秀介
ユビオリ―鍋島直樹とメールの怪―
16/58

ユビオリ06



 真っ暗だった。

 目に写るものは、黒一色。その中に、ほんの少しだけ、光が見えた。

 いや、違う。光と見えたものは、本来視界いっぱいに広がるはずの光景。それが、はるか遠い。

 体が、地面と溶け合って一体化したような感覚。意識が、闇に沈みこむ快楽。そんな中で。



「――!」



 清深の悲鳴が、耳を打った。


 思い出す。

 友の死を。

 鹿島茂が塩の柱となったことを。

 宝琳院庵が地面で塩の山と化したことを。

 神代良を、中野一馬を殺したことを。

 憤怒、絶望、悔恨、あらゆる陰惨な感情を舐め尽したことを。


 皆は、忘れた。

 だが、直樹は、忘れない――忘れられない。

 ずっと抱え続ける。その事実があったことを。人が死んだことを、人を殺したことを。

 だからこそ、鍋島直樹は悲劇を許容しない。



 ――これ以上、殺させてたまるか!



 直樹は手放しかけていた意識に活を叩き込む。

 意識が、体の枠にぴたりと収まった。同時に、後頭部に鈍痛。ゆがむ視界の中で、かまわず背後を窺う。


 そこにいたのは――横岳聡史。

 聡里の兄だった。



「……なん、で」



 直樹は訊いたつもりだったが、声にはならなかった。

 なぜ、横岳聡史が自分を殺そうとするのか。直樹には理解できない。意識の半ばは、いまだ亡羊としたものに支配されていた。



「お前も――オレの――邪魔する――」


「人殺し! ――さん――殺す気なん!?」



 うねる音が、波のように耳を打つ。

 頭の中で何かが閃いた。事態の根底にあるものと、その大要が、直樹の頭の中で急速に組み上げられていく。


 だが、今は。

 この絶望的な状況をどうにかしなくてはならない。

 直樹は、渾身の力を込め、両足を地につける。

 しかし、すぐに膝が抜けた。頭を強打されたせいだろう。バランス感覚が駄目になっている。


 そこへ、直樹の腹に足が突き刺さる。

 体が二つ折りになったところを二発、三発。バットか角材か、それすらもわからない。ただ、衝撃に腹筋が引きつる。

 死の足音が、確実に近づいてくる。直樹はそれを肌で感じた。



 ――死ねない。



 直樹は、手探りで聡史の足を探し出す。

 背中に、衝撃。もはや痛みも麻痺している。



 ――こんなところで、死ねない。



 ゆっくりと、這いずるように、直樹は聡史にしがみつくようにして立ち上がった。


 力を振り絞り、聡史の襟首をつかむ。

 それで何かできるわけではない。正直それが、直樹の限界だった。


 だけど、倒れない。

 倒れるわけにはいかない。

 いま、意識を手放しては。また、人が死ぬことになる。その思いだけが、直樹を支える。


 しかし、直樹の渾身の力は、聡史にたやすく振り払われる。

 左右によたって、直樹は地面に尻餅をついた。

 そこへ聡史が振りかぶる。

 フルスイングの構え。構える手が間に合わない。直樹は、死を間近に見た。



 ――だが。



「――がっ!?」



 攻撃は、直樹に届かなかった。

 矢のように飛んできた何かが、得物を掴む暴漢に突き刺さったのだ。


 直樹の目の前で、自転車が倒される。

 革靴が、間近でアスファルトを打つ。



「――直樹を、殴ったな」



 その声は。



「――直樹を殺そうとしたな」



 耳慣れたものながら。



「――お前は、私の敵だ」



 とても、頼もしく、耳に響いた。









「お前は、私の敵だ」



 そう言い放った長身の少女は、恐れ気もなく武器を持った少年に相対した。

 その背が、暴力の烈風をさえぎる。不意に凪いだ悪意に、揺り返すように、痛みが蘇ってきた。



「なんだ、てめえは!」



 怒気もあらわに、暴漢が得物を向ける。

 金属バット。今まで自分を打ち据えていたものの正体を、初めて知った。

 怒りも、悪意も、すべて受け止め、龍造寺円は暴漢を前に、超然と佇む。



「くそくそくそ、何で邪魔ばっかりするんだよぉ!」



 聡史の声からは、明らかに自制が失われていた。

 怒声と同時に凶器をも叩きつけようとバットを振りかざす聡史。

 その鈍重な動きをあざ笑うように、瞬きした次の瞬間には、少女は聡史の懐にもぐりこんでいる。

 それを追う聡史の目の動きすら追い抜いて、掌が狂人の顎を打ち抜いた。

 一瞬にして目の焦点を失った暴漢に、一片の躊躇も無く逆手の肘が打ち込まれた。


 ゆっくりと、少年が崩れ落ちる。

 それを振り返りもせず、ようやく少女の眼が直樹に向いた。

 淡色の感情に鉄の意志。その姿に、直樹は体の芯から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。



「大丈夫か、直樹」


「な、んとか」



 心配かけまいと、やせ我慢して見せる。

 正直なところ、骨にヒビ位は入っているかもしれないが。



「――まったく」



 冷えた手の感触が、直樹の頬を撫でる。



「あまり一人で無茶しないでくれ」



 円の言葉に、直樹は苦笑した。


 円を巻き込みたくない? 円が心配?

 このざまで良く言えたものだ。



「助かった。円」



 直樹は、揺らぐ頭を清深に向ける。



「姉川。教えてくれ」


「はい」



 姉川清深は、おぞましいものを見るように、聡史に目を向ける。



「この人のことですやろ」


「ちがう」



 直樹は、言下に否定する。



「メールの内容だ」


「え?」



 要領を得ないなりにも、直樹の焦燥を感じ取ったのだろう。慌てすぎてお手玉しつつ、携帯は何とか清美の手に収まった。



「多分、一緒にいる石井がマズイ」



 清深の顔が青ざめる。携帯が、手から零れ落ちた。

 それが、直樹の目の前で画面を映す。

 メールの内容はただの一言。



“人差し指が危ない”



 そのメールに、直樹は眉も動かさない。



「犯人は深堀純だ」



 必死に身を起こしながら、直樹はその名を告げた。









 五本指。選ばれたエリートの集まり。五人の仲間たち。


 所詮、上辺だけの関係だ。

 ただ、なんとなく集まっただけで、普通の人間から見ればその関係は友達ですらない。


 そんなことは分かっている。

 だが、それでも。



 ――深堀純にとっては、例えようもなく暖かいものだった。



 朱をさしたような夕焼けの校舎。その屋上で、純は空を仰ぐ。

 足元に、同じ制服を着た少女が転がされている。

 石井陽花、だと、彼女を良く知る者でも分からないかもしれない。

 束ねていた髪は乱暴に乱され、顔も涙と腫れでぐちゃぐちゃになっている。


 だが、純は、気にも止めずに空を仰いだ。

 思い返すのは、昔のことだった。



 父は、娘の成績にしか興味はなく、それ以外の個性を、純に求めなかった。

 母は、純に興味がなく、ただ、冷たかった。


 それが当たり前だったからか、それとも、それを当たり前と思う純の感性ゆえか。彼女は周りに、友達と呼べる存在を見出せなかった。

 学校でも、どこでも、ずば抜けた長身と、身体能力と、頭脳をもった少女は、孤独だった。


 少女は一人、高みに立って、誰も近づけなかった。

 中学でもそうだと、確信していた。


 だが、その予想は、あっさりと裏切られた。

 自分がどれほど努力しても、肩を並べてくる人間が、四人もいたのだ。



「キミが深堀さん? 城南のトップだったっていう」



 自分の胸元までしかないチビのくせに、やたらと肩幅がある少女の不躾な質問に、純は、ただ頷いた。



「わたしは横岳聡里。佐賀小のトップなのです」



 その名は知っていた。体力測定や、テストの成績上位者の常連として、だったが。



「他にも、城東とか城北のトップもいるんだけど……あなたも来ない?」



 そう言って、彼女は手を差し出してきた。

 その暖かい手に触れ、初めて、純は自分が冷え切っていたと自覚した。


 その手は、もうない。

 温もりの残滓を求めるように純は手を見つめる。

 奇妙なメールが飛び交うようになって、聡里は変わった。

 心労からだろう。ふっくらとした彼女は数キロも痩せてしまい、いつもぴりぴりしていた。それでいて、考え込むのをやめない。


 事故に遭ったのだって、そのせいなのだ。

 純は、拳を握り締める。

 メールを出していたのが、陽花たちだとわかって、純は復讐を決めた。同じ恐怖を味わわせてやらねば、気が済まなかった。


 倉町時江の時は、失敗した。

 メールの件を切り出したとたん、逃げられたのだ。

 その挙句、勝手に事故に遭った。

 ただ、逃げるときに、情報を残してくれたのは、幸いだった。



「わたしじゃない。陽花さんが――」



 それだけで充分だった。

 犯人を確信するには充分すぎる情報だった。



「う……う」



 陽花のうめき声に、純の夢想は破られた。

 意識を取り戻しかけているようだ。


 目を覚ましたら、もう一度同じことを繰り返そう。

 繰り返して、繰り返して、そのまま死ぬまで続けるのだ。


 聡里を殺した女だ。あっさりと死なせてたまるものか。

 怒りがわき起こり、陽花の体に蹴りを入れようとして――ふいに、扉が開いた。


 そこに立っていたのは、ぼろぼろの姿になった、鍋島直樹だった。









 扉を開き、間一髪、間に合ったことを知った。

 夕焼けの校舎、フェンスを背負って、昂然と佇む深堀純。地に崩れている、殴打の跡も痛々しい石井陽花。



「もうやめろ! 深堀!」



 直樹の声に、ぎらぎらと輝く瞳がこちらに向けられる。



「――止める? 何で? せっかく、やっと聡里を殺した犯人がわかったのに、何で止めなくちゃいけないんです?」



 本当に分かっていないような、その表情は、人を感じさせない。

 だからなおさら、放って置けなかった。



「止める!」



 直樹は叫ぶ。



「お前はまだ一人だって殺しちゃいない! 地獄のような思いを味わっちゃいない! まだ戻れるんだ!」



 向こう側に行ってしまった直樹と違って――深堀純はまだ戻れる。

 もう届かないあちらの世界を、彼女に捨てて欲しくなかった。



「戻って、何があるんです?」



 純の声は、感情の色すら見えない。



「聡里がいない世界で、聡里を殺したやつが生きてるのに、のうのうと普通の人生を送れと? 舐めないでください。そんなの、死んだ方がマシだ!」



 世界を呪うような、純の言葉だった。

 否定の仕様もない、拒絶だった。

 だが――



「違う」



 それを否定する言葉が、直樹にはあった。

 だが、言ってしまっていいものか。直樹が言葉を迷わす間に、清深が、直樹の脇を抜けて前へ出る。



「違うんや、純ちゃん」



 清深が、常にない強い口調で受け継ぐ。



「――聡里を殺したのはあのメールやない……聡史さんなんや」



 その言葉に、深堀純は凍りついた。

 無理もない。予想もしなかったに違いない。だが、それは厳然たる事実なのだ。



「う、そ」



 それは、縋りつくような言葉だった。否定を求めるように、純の目が彷徨う。



「本当や」



 残酷な肯定だった。

 横岳聡史――聡里の兄は、姉川清深に恋愛感情を抱いていた。


 だが、それは清深にとって迷惑でしかなく、聡里にとってもそれは嫌悪の対象でしかなかった。

 折りしも怪メールの件でフラストレーションがたまっていた聡里は、聡史を強い口調で批難し……殺された。


 それが、横岳聡里の死の、真相だった。



「それでも! 半分はお前たちが殺したようなものじゃないか!」



 それを聞いて、なお搾り出すような純の言葉。

 必死に自己を肯定しようとするかのように、彼女は叫ぶ。

 だが。



「――ちがう」



 か細い声が上がった。皆が、その声の主を探す。

 純の足元、倒れ伏していた陽花が、顔を上げていた。



「聡里は、わたしたちのことを知っていた。知って――許してくれた」



 陽花の眼の焦点は合っていない。それでも、必死で口を開いていた。



「一言、謝って、そしたら許すって、言ってくれた」



 途切れ途切れの言葉に、弁解の様子は一片も無い。ただ、事実を述べているとしか思えなかった。



「聡里が死ぬ前の晩。聡里はわたしを呼び出して……すべてを知って、許してくれたの」



 直樹は、息をつく。

“親指”横岳聡里。その二つ名に恥じない少女だったのだろう。



「そんな……じゃあ……じゃあ、僕のやってきたことは何だったんだ!?」



 純の声が震える。少女の表情は虚ろに墜ちた。

 何も無い。

 復讐の大義を失った深堀純には、何も残っていなかったのだろう。

 そう、連想させる、悲惨な貌だった。



「うわああああああああああああああっ!!」



 少女は絶叫した。その意味は、だれも知り得ない。





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