ユビオリ02
クラスメイトたちが帰った後、直樹は石井陽花を自分の部屋に通した。
案内を澄香に任せたのは、緊張した様子の少女に対する配慮だったのだが――お盆に湯呑みを載せた格好のまま、直樹は戸口から妹に半眼を向ける。
だらしなく両足を放り出して座る妹と、その前で正座して畏まっている少女の姿。
茶を淹れてくる間の数分は、まったく無駄に過ぎたらしい。
「えーと、粗茶ですが」
「あ、す、すみません!」
茶托に載せて湯呑みを渡すや否や、少女の頭が畳にぶつかった。
お辞儀だと気づくのに数瞬を要するほどの、それは見事な頭突きだった。
どうもこの少女、自分をよほどのえらいさんか何かと勘違いしているのではないか。
直樹は冷や汗を隠すように、髪を掻きあげる。
学校の先輩の、しかも年上の兄弟相手なら、心情的には理解できなくもない。だが、それにしても、な反応である。
「いや、そんなに畏まらないで。こっちまで緊張してくるし」
「い、いえ、その――結構なお手前、じゃなくて、その、ご馳走様です!」
そう言って陽花が茶を一気飲みする。
熱くないのだろうか。半ば感心しながら直樹は湯呑みを傾けた。
口中に広がる苦味に、顔をしかめる。少し濃かったらしい。
「兄さん、あたしの分は?」
「盆に載ってるだろ? 勝手に取れよ」
「えー? あたしも陽花ちゃんみたいに手渡ししてよー。差別じゃーん」
ばたばたと両の足を振り回す妹のありさまに、ため息が漏れる。どちらが年下かわからない。
「彼女はお客さんだろうか……ほら」
直樹は投げやりに湯飲みを押し付けた。
愛が足りない、などと口を尖らせたものの、リテイクを要求する気は無いらしい。大人気ない妹はおとなしく茶をすすりだす。
「――で」
「ハ、ハイッ!」
声に反応して、少女の背筋がバ、ネ仕掛けのように伸びあがった。
とても会話になりそうにない。
直樹はやむを得ず不肖の妹を頼ることにする。
「澄香、お前、いちおう両方を知ってるんだから、紹介してくれ」
「え、あたし? じゃ、まー」
不承不承、といった風情で居住まいを正すと、澄香はわざとらしく空咳してみせた。
「こっちがあたしの兄で、鍋島直樹。直進の直に樹木の樹。佐賀野高校の2年生。ちなみに彼女なし」
「ほっとけ」
余計な一言をつけ加えた妹に、直樹は口をへの字に曲げる。
「――で、こっちはあたしの後輩――泰盛学園の一年生。“五本指”の一人で石井陽花ちゃん。太陽の陽にお花畑の花」
その紹介とはかけ離れた彼女の様子に、澄香は何も思わないのだろうか。
直樹は問いただしてみたい気分になったが、さすがに当人の前では、はばかられた。
「さっきから気になってたんだけど……五本指って何だ?」
直樹は当然、と言うより、澄香の紹介を聞けば、誰もが感じる疑問を口にした。
妹たちの“バイフォー”もそうだが、とても一介の中学生を示す言葉とは思えない。
「えーとね。泰盛学園の一年に、運動成績その他諸々何をやってもトップ5って子らがいるんだけど、その子らがつるんでて、そう呼ばれてるの。
“親指”横岳聡里、“人差し指”石井陽花、“中指”深堀純、“薬指”姉川清深、“小指”倉町時江――だったかな? で、五本指。まあ“親指”の聡里ちゃんが最近死んじゃったからフォーフィンガーって感じだけど」
「澄香、人の死を茶化すな。すまん、石井」
「いいんです。鍋島――お兄さん。実は、そのことで相談に来たんですから」
目を伏せる石井陽花の顔に、明確な恐れの色が見て取れた。
彼女の口から紡がれる言葉は、間違いなく不吉な種類のものだろう。そう、直樹は確信する。
「……最初は、ただの遊びだったんです……」
しばらくの逡巡の後、陽花の口が、ゆっくりと開いた。
「しし座はトラブルに注意とか、AB型は今日絶好調とか、そんな感じで、適当に引っ張ってきた占いを、5人で順番に、メールで回してたんです」
目を伏せたまま、陽花は言葉を継ぐ。その、痛みに耐えるような表情に、澄香まで粛然と居住まいを正す。
「でも、途中からおかしくなった」
その声を絞り出すまでに、多分の勇気が必要だったのだろう。陽花の語調が、一瞬、強くなった。
「出した覚えのないメールが相手に着いたり、逆にそんなメールが届いたり……それも、最初は2、3周に一回くらいのものでした。でも、そんなメールがどんどん増えていって、内容もどんどんおかしなものになっていったんです」
言葉が止まった。面に浮かぶものは、恐怖か悔恨か。
「それで、聡里が……死んじゃって……でも、届いてくるんです。いないはずの、聡里からのメールが。しかも、それが、妙に当たるんです。占いなんかじゃなく、純なんかノイローゼになっちゃって」
そこまで続けて、陽花はやっと息を吐いた。
うつむき加減だった彼女の顔が、まっすぐに直樹と相対する。
「今朝、一通のメールが来ました。鍋島直樹に会えなければ――死ぬ、と」
「――それで、俺に会いに来たのか」
直樹は、髪を掻き揚げて唸る。
呪いのメール、とは、違うだろう。未来に起こる事を伝えるメール。予言のメール。
面識のないはずの鍋島直樹をピンポイントで指定できるあたり、本物なのだろう。
それは――否応なしに学園祭前夜を思い起こさせる。
「わかった。力になれるか分からないけど、調べてみる」
直樹は、力を込めて口に出した。
あても、無くはない。というより、その手のモノに詳しい人物を、直樹は一人、知っていた。
多分、それも、偶然ではないのだろう。
「お願いします。どうしたらいいか分からなくて」
「ああ。任せとけ」
必死で頭を下げようとする陽花を手で制し、直樹は拳で胸を叩いた。
地獄のような体験をした。
もう二度と関わるものかと思った。
だが、関わってしまった以上、そして頼まれた以上、この少女を見捨てることなど、できない。
石井陽花を、助けよう。
言葉以上に、直樹は強く、心に誓った。
◆
石井陽花は家路を急ぐ。
朝から感じていた、死への恐怖から解放され、自然と頬が緩む。
鍋島直樹は、いかにも頼もしげなお兄さんだった。
何より4つも年上ということで、陽花も素直に彼を頼る気持ちになった。
泰盛学園でも指折りの奇人、あのバイフォーの兄だと言うのには、驚かされたけれど。
死んだはずの横岳聡里から送られてくる不吉なメール。
そのことを思い返すたび、陽花の心は締め付けられる。
たとえ超常現象の存在を認めるとしても、横岳聡里があのようなメールを送ってくるなど、決して有り得ない。誰よりも陽花が、それを理解していた。
だからこそ。
メールを送ってくる何者かに、得体の知れない恐怖を感じるのだが。
陽花は、ふと、空を仰いだ。この天の上にある世界に、聡里は居るのだろうか。
夢想は、メールの着信音に阻まれた。
ひやりと、首筋につめたいものを覚えながら、携帯電話を取り出して確認する。
発信者の名前は横岳聡里。
“小指が危ない”
そんな内容の、メールだった。
「――時江!」
“小指”倉町時江の名を叫びながら、彼女の番号を呼び出す。
受話口に耳を当てても、呼び出し音が続くばかりで、それが余計に不安をあおる。
――と、交差点の向こうから、悲鳴めいたものが聞こえてきた。
陽花の目が、大きく見開かれる。
電話をかけていた当人、倉町時江が、必死の面持ちで駆けてくるではないか。
まるで、見えない何かから逃れるように。
「時江!!」
陽花の声が聞こえたのだろう。時江の瞳が陽花を捉えた。
彼女は何かを叫びかけ――唐突に、宙に舞った。
交差点に進入して来た車に轢かれたのだ。
気づいたときには、時江の小さな体は横倒しになっていた。
地面に滲んだ血が、見る間に広がっていく。
車から出てきて、何かを叫ぶ運転手の声すら、耳に入らない。
メールの着信音が、異様に大きく、陽花の耳を打った。
震える手で、確認する。
陽花は、思わず携帯を取り落とした。
地面に落ちた携帯は、無機質な文字を映し出す。
発信者は、横岳聡里。内容は、ただの一言。
“小指折った”




