94.敷かれた包囲網
どしゃり、と崩れ落ちる友人の姿をただ見ていることしかできなかった。
まるでスローモーションのように倒れていく鎮馬だった物体。
「……………っ」
ごくり、と唾を飲み込んだ音が響く。
それが自分の喉からしているのだと気づくのに一瞬かかるほど、この異常さに飲み込まれていた。
順位21位の鎮馬。
オレよりも確実に腕が上の主人公だ。
それがこうもあっさり……。
怒りとか嘆きとか悲しみとか、そういった感情よりも先にまず恐怖が湧き出す。
もうそろそろ夏になりそうだというのに、吹き出す汗が凍るようなその錯覚。
「…ああ、そういえばキミにはスマートフォンを壊された借りがあったか」
ゆるぅん、とそれほど早くもない速度で伊達は片手を俺に向けた。
咄嗟に構えることができたのは対抗戦までの間に付け焼刃とはいえ叩き込んだボクシングのおかげか。
ぎゅらり。
再び爆ぜた。
先ほどの鎮馬と同じように、オレの左手が。
「が……ッ!!?」
腕が爆ぜる。そのあまりの痛みに目の前がちかちかした。
だがそのまま呆けているわけにもいかない。
「おやおや……体が半分は千切れる程度に抑えはしたが、思ったよりも防御能力は高いようだね。
とはいえ、これだけ準備をさせておいて初心者主人公だというよりは、ありがたい。多少抵抗してくれたほうが、蹂躙するのは楽し……おっと、失礼」
じゅるり、と舌なめずりの音。
だがそのセリフにいちいち反応している暇はない。
追撃が来る前に体勢を立て直さなければならないのだから。
“簒奪公”
オレの中の霊力を喰って能力が起動される。そのまま構成された繋がりに指令を下すと、弾けて飛び散った腕が霧散し集まり再び左手の形を取った。
「ほぅ…?」
感心するような伊達の声。
周囲にいる奴らはざわざわと騒ぎ始めていた。
即座に追撃が来る気配がない今が唯一の好機、そう判断し距離を取るように大きく横に飛び退く。校門から校舎へと続く道の脇に植えられている樹に身を隠した。
もし、先ほどの伊達からの攻撃が飛び道具であれば、これで射線を塞ぐことが出来るはずだ。
身を縮こませるオレの耳に届いたのは、
「見たか? あれが今回のレアモンスターだ。主人公に擬態しているからPKになるが構うことはない。いつものことだ。存分に狩れ」
おぉぉぉぉーーー!!
武器を手にした面々が盛り上がりを見せている。
手にした得物をそれぞれが天に突き出す。
「提示通りの報酬を得るための条件はひとつ、死なない程度にダメージを与えて捕獲すること、だ。
ああ、勿論生きていさえすればいい。それこそ体が半分くらい無くなっていても構わない」
そんな中、一人冷静なその言葉に背筋が震えた。
「さぁ、鬨の声をあげるぞ、我が郎党どもよ―――」
―――瞬間、空気が震えた。
背後にビリビリと痺れるような鬨の声を受けながら、オレは一目散にその場から走り出した。
木の裏に隠れていようと、あれだけの人数にあぶりだされてしまってはひとたまりもない。
数は力なんだ。
少なくとも敵の全員と真正面からぶつかっては何も出来ず殺されるだけ。
一刻も早くこの場を離脱する必要があった。
「……ッ!!?」
走って逃げるオレの背中を何かがカスった音がして、脇の校舎の壁に穴が空くが気にして振り返っている余裕はない。ただひたすら全力で校舎の裏手のほうへと逃げ出す。
どういう理屈かは知らないが、すでに校舎内に人はいないようだ。これだけ色々しているにも関わらず誰ひとり顔を見せていないのだから。
どれだけ走っただろうか。
気づけば校舎の中。
だが廊下をうろうろしていてはあっさりと見つかってしまうだろうと判断し、たまたま手近だった2-Aと書かれた教室に入った。
教室内にある教師用のスチール机の脇に身を潜めて隠れる。
そのまますこし様子を見る。
「……………ふぅ」
幸いすぐに発見されるというようなことはないようだ。
ようやくひと心地ついた。
「…ぅっ」
安堵すると同時に、脳裏に先ほどの鎮馬の最期がフィードバックする。
巻き込んでしまった。
わざわざオレを助けに来てくれた仲間を。
恐怖で麻痺した感覚がようやく甦ってきたのだろう。
遅れたように哀しみが押し寄せる。
正直泣きそうだったがなんとか堪える。
そして以前浮かんだ疑問をふと思い出した。
この世界がゲームだとしたら、主人公たちは死んだ場合どうなるのだろうか?
ジョーとやったオンラインゲームでは復活ポイントが決められていた、そこからやり直しになっていた。それと同じようにどこか生き返れる仕組みがあるのか、それとも死んだらそれまでなのか。
「……後回しにしないで、ちゃんと聞いておけばよかったな」
失敗した。
いくら対抗戦で忙しいとはいっても、出雲からそのへんを聞き出すことくらいは出来たはずだ。
もし復活ポイントみたいなのがあって生き返れるなら鎮馬も……、そう考えそうになって頭を振った。
どちらでも関係ない。
今はそんな確かめようのないことよりも、この状況をどうするか考えなければならない。なんとか切り抜けなければ、鎮馬が助けてくれたことそのものが無意味になってしまう。
とりあえず出雲に電話をかけてみるが応答はない。
やはり一人で切り抜けるしかないようだ。
敵は伊達、及びその仲間たち。
部下の数としては正門にいた10人ほどと、咲弥、そして彼女と一緒になって襲ってきた三日月刀の男。これらを全員打倒するか、さっき鎮馬が言っていた“結界”とやらをなんとかして逃げるか。
冷静に考えれば可能性が高いのは後者。
結界というものがどんなものかよくわからないが、字面の通りなら隔離する術的な何かのはずだ。それなら“簒奪公”でなんとか出来るかもしれない。
逆に前者は正直遠慮したい。
あの10人がどれほどの腕前か知らないが主人公であるならば、雑魚ということはないだろう。ましてあの三日月刀の男の強さが基準だとしたら恐ろしいことである。
一撃必殺の鋭さの攻撃を持つ三日月刀の男には一対一でも殺されそうなのに、それが複数とかゲームならもはや無理ゲーの域。
例えるなら、ロールプレイングゲームの最初のダンジョンで、雑魚敵が全部魔王の城の魔物でした的な感じだ。
取り急ぎ隠袋から装備品を取り出し身につけることにした。
爆ぜた左腕は戻ったが、一緒に弾けてしまった制服の袖までは復元していない。本来であれば両手につけるべき紫印の手甲を右手にだけ装着。左はどうにかなっても再構成できるがその際に一瞬霧状になってしまうので装備をつけると回収できない恐れがある。
制服の上から隠衣を身に付け、小太刀を手にした。
これでなんとか……、
「…っ!!?」
ぞくり、とした悪寒のまま、転がるように離れる。
ずっしんっ!!
オレが隠れていたスチールデスクに木槌が直撃し、まるで水飴のように一気にひしゃげてまっぷたつ近くまで折れ曲がる。
「あっちゃあ…外しちまったでねぇか」
角刈りの男が残念そうに言う。布をベースにしているものの、ところどころ革を使った感じの軽装鎧っぽい防具を身に付けている。イメージ的には戦国時代の足軽の装備に胴の部分だけない感じ。
ぼりぼりと頭を掻いてから木槌を持ち上げた。
木槌は打突部分(要は叩いたときに当たる部分だ)が直径15センチほどあり柄も1メートル近い。かなり大きな部類に入る。
「おめさ、打ち取るのはおでだァ!」
ぐへっ、と笑いながら男は構える。
刀なんかと比べるとリーチは短いが、先端に重量を集めている分だけ破壊力は高い。それに短いといっても小太刀と比較すれば十分相手のほうが距離も長い。
「…………あのー、見逃し―――」
言いかけたところを飛びかかるように間合いを詰めてきた!
人の話を聞け、このバカッ!?
ただ、どうしても重量武器ゆえに動きが大きくなる。ボクシングで相手の小さな動きを見切ることに執念をあげていたオレが見落とすわけもない。
なんとか横に飛んで攻撃を避ける。
だづんっ!!!
木槌が思い切り床を打つと、一瞬教室の床がぐらりと揺れた。
ばきばき!!と床のフローリングが割れ、破片が飛び散る。
「なんて破壊力…ッ!?……」
驚くオレのところに即座に次の一撃。
うち下ろした木槌を横に薙ぐ!
その場にしゃがみこむようにしてダッキングして避け、すぐにバックステップ。
再び距離を取った。
「…………へへ、やるでねか」
不敵に笑う男を見据える。
危なかった…っ。
というか、あの大きさの木槌をフルスイングしたにも関わらず、第二撃までのタイムラグが余りにも少なかった。先端に重量が集中しているあの武器で攻撃した場合、普通であれば攻撃後その重心を持ち上げるという一動作が必要になる。
にも関わらず、その溜めの動作が小さい。
刀ほどではないが、木製のバットみたいな重心が変わらないものを振り回しているかのように。
あんなもん食らったら数発で御陀仏だっていうのに、それが連続で繰り出されるとか普通に考えれば悪夢もいいところだ。
「ふへへ、このおでの木槌は特別製だど。何せ振り下ろした後、持ち上げるときには念じれば重心が手前に集まるようになっとるだ」
あー、…………なるほど。
攻撃するときには遠心力とか重力を活かすために重心を先端に、戻すときには武器のほうで手前に重心を集めてくれるから単純に戻るよりも遥かに小さい力で次の攻撃にうつれる、と。
うむ、とりあえずなんだ。
相手がバカでよかった……自分でネタばらしとか、普通やらんし。
まぁ…おかげでなんとか覚悟を決めることができた。
正直人とかけ離れた姿の魔物だったから倒すこともできたが、今回は人対人の戦い。つまり人間を相手に最悪倒さなければならない。
人を傷つけたくないという思いも勿論あった。
だが殺さなければ殺される。
その事実と、そして仲間を殺された怒りが、ようやく確固たる決意を導いてくれた。
偶然、とかたまたま、とか、戦いだから、ではなく。
自らの意志で殺すという、明確な意志を。
「……そりゃ、よかったです…ね、っと!!!」
自慢げにしている男にこちらから接近。
迎え撃つように木槌が来る。
だがいくら重心を先端と手前に操れるといっても、攻撃の際に威力を求めれば重心を先端に集中させねばならない。つまりそのときは通常の重い木槌と同様に必然的に振り下ろすか横薙ぎにするしかない。
そして攻撃の種類がわかっていれば避けるのは格段に楽になる。
振り落ろしてきた攻撃を、先程の回避のように大きく動くのではなく、少しだけ右に半身になることでやり過ごす。
生憎大きさとか破壊力は違うとしても、木槌相手は赤砂山で散々経験してるんだよッ!!
突進する力を緩めないことで一気に間合いに入る。
小太刀を構え、
もらっ―――
「―――ったぁ!?っ!?」
どづん!!
男の頭に切り込もうとしたオレの背中を突然衝撃が襲う。
勢いをつけていたオレは留まることが出来ずに、そのまま男の横を素通りするようにして机を巻き込みながら教室の前のほうに転がった。
どっがらがっしゃん!!
ぐぅ……、何があった……?
痛みに舌打ちしつつ振り向いた。
さっきと同じ位置に木槌を持った男がいたが、それとは別に教室の後ろの扉からもう一人の新手が来ていたのだ。
入ってきたのは妙な格好をした男だった。
あのひらひらしたのなんて言えばいいのだろうか、こう、平安時代とかで着てるような感じのやつ。確か式服とかなんとか、まぁわからんから置いとこう。
彼は顎鬚を細く伸ばした細面の男で、手には何やら七夕で使う短冊みたいなものを持っていた。
「邪魔すんでねぇ!」
「何をおっしゃいますやら。私の式神が攻撃していなければ、貴方やられてましたケド?」
その式神、という言葉を証明するように、よく見ると足元に獰猛そうな猫っぽいのがいる。さっきはあれがオレの背中に体当たりでもしたのだろう。
「………マズい」
1人が2人相手になったのは確かに嫌ではあるものの、片方がこの木槌の相手であれば何とか上手く立ち回れそうな気がする。
だが、本当に問題なのは―――
「おぃ、こっちだ!」
「ぜってぇ逃がさねぇぞ!!」
―――戦いの喧騒を聞きつけた瞬間、残っている敵が集まってくるということだ。
教室の外から聞こえてくる声と足音。
あわよくばここで一人仕留められたら、と思ったけど、やはり戦うってのも下策だ。
一転、逃亡を選ぶ。
思いっきり窓側に突進してジャンプ。
左手で窓ガラスを突き破って、そのまま外に飛び出す。
二階だったから上手いこと体勢さえ整えばなんとか着地することが出来たものの、その衝撃に足が少し痺れた。
だが痺れが取れるまでその場にいるわけにもいかない。
木槌の男も窓から飛び降りてきているし、それ以外でも近くにいた主人公たちがすぐ集まってくるに違いないのだから。
オレは一目散に走り出した。




