92.違和感の正体
対抗戦。
いつもであれば余り興味をもたないその大会。
でも今年はわたしにとって、とても大きな意味を持つものになりました。
三木充さん。
ひとりの後輩の手によって。
ずっとわたしは副生徒会長である伊達政次につきまとわれてきました。
高校に入る以前、中学に入る直前のことだったから、もう6年は経っているでしょうか。
彼も最初は取り立てて普通。
いや、今考えればそのように振舞っていただけかもしれません。
だから単なるクラスメイト以上には認識しませんでした。
あるときから彼は豹変。
最初にわたしの周囲の人間が不可思議な事故で怪我をするようになりました。
落ちてきた植木で頭を怪我したり、帰り道で車にぶつかったり、家で小火が出たり、ひとつひとつ数えていけばキリがありません。
親しければ親しいだけ、それと比例するかのように事故も酷くなっていきました。
徐々に周囲が違和感を感じ始めます。
必然的にわたしは独りになりました。
皆がわたしを遠ざけたわけでもなく。単に遠ざけられることが怖くて、その前に自分から離れたというほうが近いのかもしれません。
幸いというべきかわからないけれど、わたしの両親は純粋な日本人ではありません。
結果として外見が異なるわたしは奇異に見られることには慣れていました。
それでも人との関わりを失うのがツラいことに違いはなかった。
だから代わりを求めました。
いつかまた人と関われるときのために、ただひたすらに自らを磨く。
一生付き合える大切な誰かと出会ったときに、胸を張れる自分でいるように。
ツラさを紛らわす代わりとして、ただその目標に邁進しました。
あの男が接触してきたのはその頃だったように思います。
彼は自らを主人公と名乗りました。
有象無象とは違う特別な存在なのだと。
それを肯定するかのように異常な能力を見せ付けたのです。
その上で彼は言いました。
自らのものになれ、と。
特別である自分が思いを抱いたゆえに、わたしも特別なのだと。
だから他の凡百と関わり合いを持つなら何度でもその相手を害しよう。
これまでのように。
そう、わたしにとって悪夢の如き自らの所業を高らかに語りあげたのです。
その宣告に偽りはありませんでした。
周囲から距離を取ったといっても、クラス換えがあったり、毎日顔を突き合わせていれば多少仲のよい相手だって出来ます。
その度に、あの男は有言を実行しました。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
何度も。
まるでわたしの嫌がることがわかっているかのように、徹底的に希望を蹂躙するかのように打ちのめしました。
その度に折れずに心を立て直すのを見て、彼は嗤っていたのです。
数えることすら億劫になるほどの暴虐が続く毎日。
物理的に下世話な手出しをされる、ということはなかったけれど、それでもそれが何年も続けば心は摩耗してゆく。
冷たく深く、感情を押し込め関わりを持たないように生きるしかないのだから。
それに慣れていくのは仕方なかったのでしょう。
空虚になっていく日常。
ボロボロになって折れかかった心。
そんな日々に終わりを告げるかのように、彼は現れました。
出会いは商店街の路地で。
抱えた子猫を助けてくれました。
次に会ったのは図書室で。
まるで子供みたいに授業を休んで寝ていた姿をしていました。
生徒会室で。
傷ついた子猫とわたしのために、立ち向かってくれました。
そして対抗戦。
わたしに関わらないよう伊達政次に要求し、条件として慣れないボクシングでの戦いを要求されてしまいました。しかも相手は全国優勝をした強敵。
普通であれば心が折れてしまうような悪条件。
それでも彼は諦めませんでした。
どれだけ鍛錬を積み重ねたのでしょう。
怯むことなく試合に臨み、ついには勝利したのです。
その行動ひとつひとつにわたしがどれほど救われたかわかりません。
こう表現してしまうと少し陳腐になってしまうかもしれないけれど、そう、例えるならまるで物語の主人公のように眩かった。
伊達政次の話によれば、彼は主人公ではなく名も無い脇役。でもそんなことは関係ありません。自分のためにあれだけのことをしてくれた彼は、わたしにとって紛れもなく主人公。
あれから2日。
約束通り伊達政次はわたしに関わってこない。
常に監視されていたような感覚から解放された当初はしばらく戸惑ってしまったくらいに。
もうなんだって出来る。
そう思うと世界が輝いて見えました。
これまでと伊達政次の件を除けば何一つ前と違っていないのに、見え方ひとつで世界はこんなにも美しく愛おしく見えるだなんて、思ってもいなかった。
だからまず最初にお礼を言いたかった。
腕一杯の花束くらいたくさんの感謝を。
そこまで考えて、少し溜め息をつく。
対抗戦があったのはもう2日前。
にも関わらず翌日から彼は学校に来ておらず、必然的に礼も持ち越しとなっていました。
友人である出雲さんの話によれば、あの大変な試合をしたのだから体が回復するまで休んでいるのではないかとのこと。
それを聞いた時心配のあまり胸が痛んだのを覚えています。
放課後お誘いされたこともあって出雲さんと幼馴染の綾さんと共に見舞いにいく運びになり、案内されるがままに向かった充さんのご自宅と思われる場所。
だがそこは別人の家。
場所を勘違いしていた、と出雲さんが仰りました。
でも住人と話したときにその顔が一瞬困惑したのを見逃しませんでした。明らかにここが充さんの家だと確信し、にも関わらずどうして他人の家になっているのかわからない表情。
どうしてそれがわかったのか。
答えは単純。
わたしも同じように違和感を覚えていたから。
具体的に何が、と言われても返答に窮するようなそんなかすかな感覚。でも確実にわたしの何かが変化を感じとっていたのです。
それは帰宅して翌日になった今でも変わりませんでした。
まるで喉に刺さった魚の小骨のように、何かが引っ掛かっています。
どうにもできないもどかしさだけが募っていきます。
チャイムが鳴り響きました。
その胸中のもどかしさと問答しているうちに学校は終わってしまったようです。
「……!!」
ピンと閃くものがありました。
足早に教室を後にして生徒会室へと急ぎます。
これまでは向かう足取りも重かったその通路を進む間ですら今は惜しい。
ガララ…ッ。
扉を開く。
中には庶務の天小園さんの姿
光を吸い取ってしまうかのような黒い艶やかな髪をおかっぱに揃えた彼女は自分の机で書類に目を通していました。綾ちゃんもそうだけれど、こういった綺麗な黒髪を見ると、わたしもそうだったなら、なんて羨ましく思います。
「おつかれさま、聖奈さん」
「はい、おつかれさまです、会長」
挨拶もそこそこに会長席へ。
手早く情報端末を起動。
起動するなり目的のリストを表示させます。
ずらっと一覧が出ました。
生徒の住所、氏名、学業成績、部活、過去の賞罰歴などなど。
この生徒の個人情報一覧が見れるようになったのは、つい半月ほど前から。生徒ひとりひとりにより深く関わる、とか、風紀と情報を共有して素行の悪い生徒に事前に注意しておく、とか色々な理由を捏ねて副生徒会長が押し切った結果。
ただこのときばかりは、それに感謝しなければなりません。
ここなら住所が載っているはず。
恩人の見舞いに行くためなどという私用に使うのは問題があるとわかっているから、すこし躊躇われます。普段のわたしならしないでしょう。
でも昨日からの違和感が、動かないと取り返しがつかないような、そんな不安を伴ってわたしの背中を押したのです。
覚悟を決めてキーボードに指を走らせます。
検索の結果はすぐに出ました。
―――生徒名:三木充 住所:■ ■ ■
「…………え?」
思わず言葉を失います。
文字が化けていてわからなかったから。
入力ミスでしょうか? でもそれは有り得ない。
入学時に入力した後、教師が目視で確認しているはずなのですから。住所がわからなければそもそも入学すらできません。つまり入学時にはちゃんと表記されていたということ。
ではどうして?
学校のデータベースが改竄されでもしない限りは有り得ないのに。
「………仕方がありません」
例え原因がなんであれ、それを特定することは今のわたしには不可能でしょう。
諦めて端末を落とし、そのまま会長宛の未処理案件を手早く片付けていきました。
すこし溜まっていた案件の山も大半は確認事項だけだったこともあり、地道にひとつずつ処理していけばそれほど時間をかけずに終えることができました。
ちらりと時計を見ると午後の5時。
「そろそろ帰宅しようかと思います。聖奈さんはどうしますか?」
「………明日用事がありまして、少し……抜けることになると思います……その分も処理して…から帰ろうかと」
「よろしければ、手伝いますよ?」
「いえ……気になさらず、会長は…お帰り下さい」
少し内気ではあるが一生懸命に働く彼女に、頭が下がると同時に感謝の気持ちも覚えます。
「それではお先に失礼させて頂きます。聖奈さんも無理はなさりませぬよう」
ひと足先に生徒会室を出て帰路につきます。
まだ6月の終わりということもあり、5時くらいでは辺りは明るいまま。
正門を出て少し歩いて離れてから車を呼ぼうと携帯を取り出します。
いつも爺やからは正門を出る前に連絡して欲しいと言われていますが、それでは目立ち過ぎます。そのため基本的に正門から見えないところまで歩いてから連絡するのが日課になっていました。
連絡を受けてやってきた迎えの車に乗り帰宅。
結局、その日も違和感の正体を掴めぬまま終わってしまったのでした。
翌日。
車に揺られながら学校に向かう途中、
「…ッ!!」
窓から外を眺めるわたしの目に映った光景。
ようやく違和感の正体に気づきます。
「すみません、ここで下ろして下さい!」
爺やに無理をいって学校まであと2,3分といったところで車を下りました。
そのまま駆け出すように先ほど通り過ぎた場所に急ぎます。
辿り着いたのは路地。
雑居ビル同士の間ではありますが、それほど幅が広くない割には左右のビルが低く3階くらいの高さなせいもあって明るい路地です。
車内からちらりと一瞬見えたこの場所。
まるで光を浴びるかのように、そこにいたのは一人の女性。
短い光沢のある黒シャツ、タイトな黒のロングパンツ、その上からキルト地の赤いロングジャケットを身に付けた女性。鮮やかな銀の髪をカチューシャでまとめあげています。
ただその顔の上半分を覆う艶のない朱のアイマスクをしており、目元を見ることが出来ません。顔立ちは整っていらっしゃいますから相当に美しい方なのでしょうけれど。
彼女が片腕に抱いている仔猫。
その仔には見覚えがありました。
最終的に充さんが引き取って下さった、そして先日見舞いにいった際、縁も由もないはずの別人宅の奥にいた仔猫です。最初は猫違い?かと思いましたが、こうやって見るとわたしが拾った仔猫の顔に間違いないですし、同じ首輪をつけていますから先日見た仔猫でもあるのは確実です。
違和感の正体。
それは充さんとは別人の家で、なぜか充さんが引き取ったはずの仔猫を視界の端に捉えたことから来ていたのだと気づいたのです。
すぐにわからなかったのは迂闊だったとしか言いようがありません。
問題はどうしてその仔猫を目の前の女性が抱いているのか、ということ。
わたしが口を開こうとすると、
「ほんまに、呼び合わはるやなんて……」
アイマスクで視線が通っていないはずなのに、彼女は正確にわたしのほうに向き直って声をかけてきたのです。
驚くわたしを気にすることもなく彼女は続けます。
「……けったいな話やけども、それやのうてはわざわざ、あてがここまで来た意味もあらしまへん」
独特のイントネーション。
……関西の方でしょうか?
ざざざ……ッ。
「っ!?」
彼女の言葉が終わるのと同時に、路地の入口と出口に数人の男たちがやってきました。
それぞれ手に刃物や鈍器などの武器を持っています。法治国家である日本で凶器を手に多人数でうろつくなど正気の沙汰ではありません。
ですがそれを許される存在があることをすでにわたしは知っています。
主人公という特権階級のことを。
ですが、その推測が正しいとするなら―――
警戒していると、そのうちのリーダー格と思しき男が進み出てきました。
「月音・ブリュンヒルデ・フォン・アーベントロートだな?
迎えに来たぜ。大人しくついてきな、伊達さんがお待ちだ」
―――やはり。
想像するうちの最悪の答え。
固まるわたしを気にもせず、仔猫を抱いた女性も告げます。
「ふふふ、始めましょか」
じわり、と。
世界が再び閉じていく錯覚を覚えました。




