91.敵対した相手
やっと到着した充の家。
だがそこに書かれていた表札は「三木」ではなく「三樹」。念のためインターフォンを鳴らして中の住民とコンタクトを取ってみる。
だが、
「うちにはそういう子はいませんよ、どこかとお間違いじゃないですか?」
出てきた女性ににべもなく短く言い放つと扉が再び閉じられた。
姿形は間違いなく充の母親。
だが度々出入りしているはずの俺のことはおろか、息子であるはずの充についてすらまったく知らない様子だった。
「………やっぱり間違ってるみたいだけど」
「そうだな」
同行している綾や月音先輩にしてみれば、ここが充の家だといった俺が場所を勘違いしているようにしか見えないだろう。
この現状では仕方がないのでそういうことにしておく。
「すみません。どうも場所を勘違いしていたようです。残念ですが場所がわからない以上、見舞いはまたの機会にしませんか」
なんの手掛かりもない以上はどうしようもない。ひとまず解散する以外に方法はあるまい。
腑に落ちない顔をしている月音先輩と綾。
まぁそれも当然だろう。
家を知っていると言って案内しておいて到着してみたら勘違いでしたとか、言っている俺ですらちょっと理解しづらい状況だ。
ふと懐のスマートフォンを手に取った。
その画面を確認してため息をつく。
着信―――なし。
ここに到着するまでに何度もかけたが、どれくらいかけても電源が入っていないか電波の届かない場所に~、というアナウンスの反応しか返ってこない。
アンテナも多く死角の少ないこの都市で一体どこにいるというのか。
地下鉄や高層ビルの通話状況もだいぶ前に改善しているから、電波が届かない場所というよりは電源が入っていない、もしくはスマートフォン自体が壊れている可能性もあるな。
とりあえずこの状況で推測できるとすれば、“何か”が起きて充にとって家族の存在そのものが世界から修正されるような事態が起きたのではないかということ。その結果、行き場の無くなった充がどこかに行ってしまっているのではないだろうか。
問題はその“何か”が何なのかということだが。
ひとまず綾と月音先輩を送り届ける。
その後、思うところがあって斡旋所に向かった。
今ではすっかり自分のホームだと言えるくらい何度もやってきた斡旋所の受付。そこで充が来ていないか確認してみる。
「生憎お見えになっておりません」
「……そうですか」
あまり期待していなかったとはいえ落胆は隠せない。
「刀閃卿」
「…?」
背後からかけられた声に振り向く。
そこにいたのは小柄な人影。外套とフードで正体を隠すその相手の名を呼ぶ。
「隠身か」
「久しいナ?」
「いや、昨日会っただろう、充の試合のときに」
「そうだッタな」
がっくしと落ち込む隠身。
一流の隠密技能を持っているにも関わらず、自分の喜怒哀楽を隠さないのはなぜなんだろうな。能面のように表情がなかったり、仏頂面のやつなんかよりは好感が持てるのだけど。
「昨日ノ充、頑張っテいたナ」
「まぁな」
せっかくだ、充の行方について隠身にも聞いておくか。
そう思ったのだが、
「トころで刀閃卿は、聞いてイるカ?」
珍しく隠身が話題を振ってきたので機を逸した。
そのままその話題を続ける。
「いや、何のことだ?」
「千殺弓、集めてル。手勢」
“千殺弓”―――それは伊達の二つ名。
「他に報酬提示、主人公群がってル。イつもの手下だけじゃナイ」
伊達は日頃から自己顕示欲が強い。
そのため秘密主義になりがちな上位者の中でもあまり情報を隠さない。その名声を活かし、一部の重要NPCや主人公で構成された取り巻きが出来た。
現在はそれらを統率し、言ってみれば伊達派とでもいうべき部下たちとなっているのは大規模イベントに参加した主人公たちの間ではよく知られた事実だ。
いつからか彼らはこう呼ばれている。
―――急襲猟団「伊達家」。
“屍齧り”や“三日月梟”をはじめとした複数の二つ名持ちをトップとした構成になっている。基本的に、二つ名を持つのは順位で30位以上とされているから、さすがに上位者には及ばないものの一般の主人公と比較すれば隔絶した実力を誇る。
ここ最近は活動を控えており目立った動きはしていなかったのだが、伊達が声をかければ即座に敵になるという意味では警戒すべき相手には違いない。ただ大所帯ゆえに命があってから揃うまでの動きは鈍く、大規模に動くとすれば今回のように事前に察知することが出来る。
だが今回の隠身の発言はそれ以外に危険要素を孕んでいた。
いつもの郎党以外に報酬をちらつかせることで、さらに数を集めている。無論それですぐに集まるような相手は大した奴じゃないだろうが、それでも主人公であれば一兵卒として使う分には十分だろう。
なんだかんだ言っても、やはり数は脅威だから。
それが意味することは―――
「―――本気で動くつもりだな、伊達」
あくまで約は伊達が月音先輩に手を出さないことであって、それ以上のものはない。
つまり俺や充に対して攻撃しないということは含まれていない。
「……すまん、ちょっと頼まれてくれないか」
だから、俺は隠身にひとつ頼み事をすることにした。
□ ■ □
翌日。
ひゅおん。
白刃を振るう。
一筋のイメージした軌跡をその通りになぞれるかどうか。
朝の体のコンディションを確認する大事な日課。
今日もどうやら体のキレはそれなりにあるようだ。
満足して刃を鞘に収めた。
そのまま刀袋に収める。
少しするといつも通り綾が迎えに来て、そのまま登校。
充が一緒にいないこと以外は全くいつもと変わらない日常が続く。
数式を駆使しなければならない数学の授業も、ネイティブの教師の無駄に高いテンションについていけない英語の授業も、定年間近の教師のテンポがゆっくり過ぎて眠くなる古文の授業も。
過ぎてゆく時間の中、考えるのは今後のこと。
充のことはもう置いておくことにした。
いや、そういうと語弊があるか。
あいつなら上手くやるだろうから、必要以上に心配しないことにした、と言えば正しいのか。
もし突然の家族の消失にショックを受けたというのであれば、どこにいっていようと数日すれば頭も冷えるはずだ。そうすれば冷静になって俺のところに顔を出すことくらいはするだろう。
心配は心配だが、どれだけパニックになっていようと大概のことならばなんとかするだろう。あてもなくフラフラしていて何かの事件に巻き込まれたりしないかというのはあるが、本当の命懸けの戦いの経験があるあいつが、そんじょそこらの雑魚に遅れを取るとも思えない。
ゆえに今の俺が考えるべきなのはその後のこと。
充が戻ってきたらどうするのか、ということ以外にない。
対抗戦で充と伊達の月音先輩を巡る因縁には一応の区切りがついている。
気位が高く自らに強い自負がある伊達にとって、一度己が約したものを履行しないという選択肢は有り得ない。
だからとりあえず月音先輩に関しては安心だろう。現に昨日の月音先輩の周囲に、以前はまるで背後霊のようにどこか近くにいた伊達の影はなかった。
だからといって、このままの状態が続くとは思えない。
約束は確かに守られるだろう。
だが別の方面で絶対に手を打ってくる。
それが伊達という男だ。
蛇を連想させるような執念、それも妄執にまで高まった狂気と冷酷さが同居している。
それがあの男なのだから。
現に昨日隠身から聞いた話が確かならば、すでに奴は準備を進めている可能性が高い。
さしもの上位者の俺であっても、相手が圧倒的多数であれば充たちまで守る余裕が無くなる。ならばどうすればいいのか。
しばらく悩む。
授業が無事終わり、放課後になってようやくその指針が固まった。
答えは簡単だ。
こちらも数を揃えればよい。
それも量ではなく質で。
元々上位者のうち半分以上とは良好な仲を保っているし、そのうちには表立って敵対するほどではなくとも伊達のやり口を認めていない連中がいることも知っている。
今後の方針が決まり、少し安堵しながらゆっくりと武道場へと向かった。
いつも汗を流している板間の剣道場へ。
ガララ…ッ。
「おつかれさまです」
挨拶しながら入る。
窓から日が差し込む静謐な空間。
だがそこは余りに静謐過ぎた。
「……………?」
誰もいない。
少し考え事をしていたせいで放課後からすこし経っている。この時間であれば全員とはいかないまでも他に数人くらいは誰がいるはずなのだが。
「部員の方には下校願ったよ。剣道場の検査があるとの名目で生徒会から休みにしておくよう通知しておいた」
響いた声。
「…ッ!!?」
ぞわりとした感覚。
ききゅんッ!!!
だがこのひやりとする感覚も今ではすっかり俺の友とでも言うべきくらい慣れ親しんでいる。その警報が命じるままに前に転がった。
どしゅんっ!!!
背後にしていた扉が消えた。
いや、まるで消失したかのように横のコンクリートの壁ごと円形に大きく抉れている。
覚えがある。
忘れるわけがない。
忌まわしいその技を。
“与一の毀矢”
俺と、そして親友の運命を狂わせた一矢。
転がった体を一瞬にして立たせた俺に対し、通路に現れた男はこともなげに言った。
「さすが5位、よくかわした…と言いたいところだが、残念ながら今のは避けてもらうつもりだったんだ。でなければ声などかけないだろう?」
ニヤアアアァァァ。
そんな擬音が聞こえそうに嗤うは伊達。
愛用の複材合成弓を手にしながら悠然と立っている。
「それはどうも。生憎と感謝する気はないが」
屋外ならともかく、屋内で俺と一対一とは侮られたものだ。
だが生憎と備えはしてあった。
しゃら…。
紐を解き一瞬で手にしていた刀袋の中身以外を落とす。
「……学校であれば武器を持っていないかと思っていたのだが―――」
伊達の顔が歪む。
愉しくて仕方のないかの如く。
「―――などという低次元の悩み、このボクに似合うはずもないだろぉぉ?」
「……ッ!!?」
武道場こと第二体育館全体を巨大な狂気が包み込んだ。
「お前の友達とやらのせいで、ボクは大変迷惑を被っているのだよ?
なら、借りを返すにしても同じくらいのことはしておかないとフェアじゃあない」
伊達はゆっくりと髪をかき上げた。
「例え1日だとはいえ、ボクが味わった痛みを誰も想像できない。そう、ボク以上に愛を知っている者はいないのだから。だが、それでも億分の1は味わってもらわないとダメだね。
キミがここにいる間に………そうだな、大事な相手をぐちゃぐちゃにさせてもらおう、ああそれはいいアイディアだ。痛快だ。最高だ。傑作だ」
愛刀を握る手に力が篭る。
だがこうなることは予測済みだ。
昨日のことが頭を過ぎる。
『……すまん、ちょっと頼まれてくれないか』
『なんダ?』
『ある人物の護衛を頼みたい』
綾の護衛についているのは隠身。
いくら数で押そうが、伊達の部下程度のレベルであれほどの隠密能力を有している相手を探知することなど不可能。
それが態度に出ていたのだろうか、
「ふむ…もっと取り乱すのを期待していたのだが。刀閃卿は恋人への想いが薄いのかな…? それとも……手を出せないと思っているのか」
だが一向に愉悦は消えない。
「ならば教えておこう。誰を相手にしているのか、をだ」
視線を反らせば一瞬で矢が飛んでくる。
弓使いとの戦いは一瞬の前兆を見逃さず飛び込むことが勝敗を分ける。
ゆえに注目しすぎてしまった。
「………ッ!!?」
伊達は何もしていない。にも関わらず足元に浮かび上がった魔方陣が俺の体の自由を奪った。
馬鹿なッ、この魔方陣は……!!?
「キミらはもう“詰んで”いるのだよ」
伊達の一言と共に視界が一瞬にして変わる。
そこはどこかの廃墟。
コンクリートで出来た廃ビルの一室のように見えた。
「“境界渡し”……だと?」
思わず呟く。
あの魔方陣には見覚えがあった。
かつての大規模イベントの際に見た敵を強制的に遠方へ飛ばす転移陣。
異界との間すら行き来させ召喚することができる“境界渡し”が最も得意とする空間術式のひとつ。
「まずい……ッ」
ここがどこかは知らない。
だがわざわざ飛ばしたということは、俺に邪魔をさせないようにだろう。
一刻も早く戻らなければならない。
“隠身”は確かに感知されることはないが、“境界渡し”が向こうについたとなれば話は別だ。空間術式を使われれば直接手を出さなくても一瞬にして相手を転移させることができるのだから周囲に護衛がいても意味を為さない。
部屋を出て通路に出る。
早く出口を……ッ。
違和感。
背筋が凍るどころではなく一瞬全身が硬直する。
言葉にすることは難しい。
じわりじわりと得たいのしれない気が廃墟に満ち溢れている。
殺気のようでもあり、闘気のようでもあり、純粋な気配のようでもある。
「……………まさか…ッ」
今度こそ文字通り背筋が凍った。
ぴしり……ッ。
亀裂が走る音は一瞬、
がぎゃごぅんっ!!!
横の壁が爆発した。
まるで爆薬でも使ったかのようにコンクリートが割れて砕けて飛び散る。
その破片を問題なく避ける。
だがむしろ問題なのはそれを起こした相手だ。
その男は素手。
爆発を起こしそうなものは何一つ持っていない。
それも道理。
彼がやったのはただ壁を力の限り殴っただけだ。
あまりにも単純。
「どうして……」
だが単純ゆえに理解してしまう。
目の前の男の圧倒的な力を。
まるで高密度の岩の塊のようなその佇まい。
その巨躯の男を形容する言葉をひとつしか俺は知らない。
序列第1位 “蛮壊” 轟 豪巌
どうやってこの男を引き込んだのか。
豪快な性の轟は伊達との相性は良くないはずだ。それゆえ彼を味方に引き込むことすら考えていたのだから。そんな利得で動くはずのない1位をどうやって味方につけたのか。
考える間すら許さず、戦いが始まった。




