90.修正の違和感
チャイムが鳴り響く。
無事に放課後になった。
「やれやれ……」
登校してこない充の席を見て、俺はため息をついた。
手にした腕時計を確認する。
『6.24(MON)12:12』
さすがにこの時間まで来ないということは、1日休むつもりだろう。
まぁ休んだ理由はわからないでもない。
言うまでもなく昨日の対抗戦のためだ。
河童の軟膏を大量に渡したから外傷については完治しているだろうが、あれはその後の筋肉痛などまで消してくれるわけじゃない。それまで消してしまったら能力値が上がらないしな。
おそらく家で筋肉痛に唸りながら悶えているんだろう。
帰りに見舞いにでもいってやるとしよう。
「出雲ー?」
「ああ、すまない。綾。ちょっと考え事をしていた」
「それは別にいいんだけど……お客さん来てるよ?」
「? わかった。ありがとう」
綾に呼ばれて教室の入口のほうを見る。
なるほど、教室の中がざわざわするわけだ。
そこには生徒会長、月音先輩の姿。
普段一年の教室に来るはずがない生徒会長、しかも当代の生徒会長の美貌は全校生徒が知るところだ。多少周囲が騒ぐのも無理はない。
一体何の用なのか、などと聞くまでもなく用件は明らか。
だから足早にそちらに向かう。
「お待たせしました。充なら今日は学校に来ていませんよ」
「…………そう」
一部の生徒からはクールビューティと言われたりするような表情があまりに見えない彼女。ただその顔に明らかな落胆が一瞬過ぎったのは見過ごさない。
うむ、我が親友もなかなか隅におけない奴だ。
「あれだけの試合の後ですからね。
正直なところ、2日か3日くらいは家で静養が必要になっても俺は驚きませんよ」
体格が大きいほうが圧倒的に有利になるため階級別が設けられているルールで、体重差を無視するような偽鬼を打ち破ったのだ。
いくら充の成長が著しいといっても何の代償も払わずにすむほど甘くない。
それは試合を見ていた彼女もよくわかっているだろう。
「…………でしょうね」
生徒会長はぽつりと呟いた。
…仕方がない。ここは充のために一肌脱いでおくとしよう。
「気になるようなら、見舞いのひとつでも行ってやったらどうですか?
月音先輩のためにあんなに大変な思いをして戦ったわけです。見舞いがてら礼を言いに行くくらいは全然おかしなことじゃありませんよ」
「!!」
その青い瞳が少し見開かれる。
「……そう、おかしなことじゃないですよね」
「勿論です。むしろ人間として大事な礼儀かと思います」
すかさずフォローしておく。
口実がないと動けないってのも難儀だな。
とはいえ、俺や綾が気軽に見舞いに行ったりできるのはそれ相応の積み上げてきた時間があったればこそだ。知り合って日が浅い月音先輩ではどこまで踏み込んでいいのか加減がわからないのも無理のないことだろう。
まして伊達というつきまといが居たせいで周囲と仲良くなる機会に恵まれて来なかったのだ。いきなり対人の距離を絶妙に測れというのが間違っている。
「先輩はスマートフォン持っていますか?」
「ええ」
「では住所を言っておくので地図で場所を調べて向かって―――」
そこでふと考えた。
どの道、俺と綾も帰りがてら様子を確認しにいこうということになるに違いない。
なら、そこまで一緒に行くのはどうだろうか。
それなら月音先輩も少し気楽に見舞いに行けるだろうし、様子を見て適当なところで二人っきりにしてやればいいじゃないか。
「……いや、もしよければ部活が終わってから見舞いに行きますから、ご一緒にどうです?」
「お気遣いありがとうございます」
部活が終わる5時に正門で待ち合わせの約束を取り付ける。
廊下をゆっくりと歩いていく月音先輩を見送って教室内に戻った。
「………?」
なにやら視線が痛い。
特に男子生徒からギスギスしたような視線を多く感じる。
腑に落ちない感じのまま席まで戻ると綾が近くに来てくれたのだが、何やらこちらも不機嫌そうだ。
そして次のセリフで不機嫌の理由がわかった。
「………随分と月音先輩と仲がいいのね?」
「いや、待て。誤解だ。そういう関係じゃない」
「5時に待ち合わせなんでしょう?」
「そこだけじゃなくて、その前後も聞いているだろう!?」
何か言い訳めいた言い方になってしまったことに多少困りつつも抗弁する。だがここはしっかりと言っておかなければ!
すると、綾はふっと表情を緩め微笑んだ。
どうやらその様子からすると、別に本気で嫉妬していたわけじゃなくからかわれていたようだ。ほっと安堵する。
「ん。ごめん。ちょっと意地悪しちゃった」
「勘弁してくれ……寿命が縮まる」
「ごめんってば」
実際のところ、綾にからかわれたりして狼狽えることは普段からたまにある。彼女曰くいつも真面目な顔をしてるからドキドキさせてみたり笑わせてあげたくなる、とのこと。
基本的にシャレにならないようなことはしないし、お陰で毎日楽しいけれども。そのせいかどうかはわからないが、彼女と付き合うようになってから周囲の人間からとっつきやすくなったと言われることも多くなった。
親友である充も勿論だが、この恋人である綾がいなくても今の俺はないのは間違いないな。
「それで、充のところにお見舞いに行くんだよね?」
「ああ。勝手に決めて悪い」
「ううん、私も心配だもん。あれだけ凄いボクシングの試合した後だし」
綾は重要NPCではあるものの、あくまで戦う人間ではない。
そんな素人の目にもわかるほどあの試合は大したものだった。
「でも相手の人、大会で優勝している人だったんでしょう? それに勝ったんだもん。やっぱりやる気になったときの充って努力って凄いよね」
思わずにやりとしたくなる。
彼女は俺のことも、充のこともよくわかっていることを感じさせるその一言に。
ダテに長い付き合いをしているわけじゃない。
彼女はアレを、才能、だなんて一言で絶対片付けない。
充が目的を見つけたときにどれほど死にものぐるいの集中力を見せるのか、どれほどの執念で積み上げていくのかをよく理解している。
逆に言えば、その充が目を見張る結果を出したとき、それがどれくらいの犠牲を払って生まれている結果なのかを知っている。
充が死にかけ、そして狩場で命懸けのやりとりをしていたこととか、伊達と揉めて対抗戦に出ることになったとか、偽鬼とか、どんなことは全く知らない。
それでも彼女は充が勝利を掴むために、白鳥が水面下で必死に足をバタつかせるように、多大な労力を払ったことをわかっていた。
ゆえに褒める言葉は努力、なのである。
いつも通りの彼女。
いつも通りの日常。
だから俺は安心しきっていた。
「あ、でも」
これを聞くまでは。
「充の家、行ったことないけど出雲は知ってるの?」
予想外の言葉に理解が少し遅れる。
言葉が意味していることはわかるのだが、それが示すものが余りに予想外。
「……いや、知ってるも何も、綾だって何度も行ったことあるだろう?」
「? ううん、行ったことないよ」
今度は別にからかっているわけでもない。
彼女は真面目に答えているのがわかってしまった。
充と綾とは長い付き合いになる。必然的にそれぞれの家にお邪魔したこともある。
それも一度や二度じゃないのだ。突然忘れるだなんてことが有り得るはずもない。
一体何が―――
思考を動かしている最中、クラスメイトの一人が近づいてきた。
「あー、出雲言うたか、ちょっと聞きたいことあるんやけど」
「……?」
そっちを見ると関西弁のトンガリ頭をした男が立っていた。
昨日の対抗戦でも見た顔。
最近充が親しくしている丸塚だ。
「なんだ?」
「いや、さっき教室の外に来とったん、月音先輩やろ!?
校内美人ランキング絶賛第1位、新聞部のこっそり写真に取りたいけどガードが固いランキング第1位、踏まれたいお姉さまランキング第1位、最近やったら、たまに見せる微笑みで萌え死ぬランキングも急上昇になってきた、あの生徒会長の!!!」
おぉ、凄い。
見事に一息で喋りきったな、これだけの長さのセリフを。
「まさかこない一年の教室にまで来るとは……、
は!!? もしかして、出雲が月音先輩の彼氏なんか!?」
嫉妬…というほど暗い感じでもない。ただ単純にこの手の話題で盛り上がるのが好きなだけのような、高いテンションで問われた。
「違う。丸塚だって知っているだろう。充にちょっと用があって、たまたま俺が顔見知りだったからそれを聞かれただけだ」
「………?」
きょとんとしながら、丸塚は続ける。
「充って誰や?」
いや、少し待て。
お前は同じオンラインゲーム部に所属していて仲良くやっていたじゃないか。
それが、住所だけではなくて名前まで!?
注意深く様子を確認するが、こちらも嘘を言っている様子はない。もしこれが俺を騙すためのドッキリだというのであれば、綾も丸塚も主演賞並の演技だろう。
「三木充。同じクラスなんだから、クラスメイトの名前くらい覚えてないとダメよ、丸塚君」
「あー、そういうたらそないな奴おったな。すまんすまん。普段話さへん相手やとどうにも名前覚えてられへんタイプやねん」
そのやりとりを聞いていて脳裏に閃くものがあった。
世界の修正力。
かつて充が羅腕童子に殺されたと思っていたときと同じ状況だ。
あのときは充という一般NPCが死んだと思って、それに辻褄を合わせるように鬼首神社で崩落が起こったと思っていた。
結果として充がエッセに助けられ何も無く済んだが、なら、まさか今回……?
咄嗟にスマートフォンでニュース欄を確認する。
大きなニュースではなく市内をメインとした地元ニュースを中心に。
そして見つけた。
『昨日夕方、飛鳥市分塚商店街において爆発事故が起こりました。
商店街の一角にある店舗のガス管の老朽化が原因と考えられておりますが、現在消防と警察が特定を急いでおります。幸い通行人のない時間帯の事故だったため犠牲者は無く―――』
似ている。
あの夜と同じ。
死体があってもわからないような事故。
違う点もある。
もし本当に充に何かがあって一般NPCのまま死んだというのであれば、もっと自然な形でフェードアウトしていくはずだ。
例えば普通に死んだとするなら主人公である俺はともかく、例えば事故死ということで処理されて一時期だけ綾や丸塚が哀しんで思い出になるような感じになっているに違いない。
だがニュースでは犠牲者は報道されていない。
矛盾が生じないように存在した事実が無くされたのかとも思ったが、それも違うだろう。
丸塚の記憶からは無くなっているのに、綾や月音先輩の記憶は残っている。綾から消えていたのは充の住所についてだけ。
つまり、死ぬ以外で充の身に何か重大なことが起こった。
それが何かあいつの住所に影響を及ぼすようなものだった。
推測できるのはそれくらいだ。
それ以上については情報が少なすぎて推測どころか、単なる妄想になってしまう。
そう考えた俺は、昼休みを利用して少し聞き込みをすることにした。
ボクシング部の連中やオンラインゲーム部など、充が出入りしていたところ、つまり充のことを知っている連中に対して。
結果は綺麗に分かれた。
一般NPCは完全に覚えていない。
重要NPCは住所以外のことについてはしっかりと覚えていた(尚、余談ではあるがこの学校はかなり重要NPCの数が多い。これはおそらく主人公のスタート地点候補がこの飛鳥市なのにも影響されているのだろう)。
陰陽師による魂の操作や魔術師の精神制御など、無理に人の手でやろうと思えば記憶の改竄は必ずしも不可能ではないが、これほど大規模なものは生半可な術者では無理だ。
人の精神というのは霊力の要になっていることもあり、術をかけるには中々難易度の高い部位。口封じに精神を弄るくらいなら、その分の霊力を使ってそいつに直接的な物理攻撃術をぶつけて殺したほうが早いし効率もいい。
そんな燃費の悪い術を一般NPCの一人一人、合計何十人にまで丁寧にかけていくのは現実的じゃない。ましてそこにさらに抵抗力の高い重要NPCも含まれるのだから。
知っている限りでそんなことが簡単に可能なのはモーガン・ル・フェイか安倍晴明くらいのものだ。
「………十中八九、世界の修正力だ」
問題は何を修正しようとしたのか。
今の手掛かりは、そこだけ綾の頭から消されていた住所。
充の家に行けば何か掴めるかもしれない。
そう考えて放課後部活が終わってから、月音先輩と綾を連れて充の家に向かった。
通いなれた道を通りたどり着いたそこが、すでに別の家族の家になっているなどとは予想もせずに。




