89.始まる地獄
走る。
走る。
走る。
一心不乱に走る。
「は…っ、はっ…は……ッ」
息を弾ませ心臓をばくばくさせながら走っているのには理由がある。
時刻は16時55分。
そう、出雲が部活を終える時間まで結構ギリギリなのだ。
思ったより加能屋で話し込んでしまったせいもあるが、まぁそれは今言っても仕方ない。それなりに有意義な話でもあったからヨシとしよう。
この時間になると下校している生徒の姿も結構ある。
皆が帰るために駅に向かっている中、逆走するように学校のほうへ猛ダッシュしていく。
正門に到着したのは16時つまり午後4時58分。
「ふぅ…ぜぇ…ぜぇ…間に合った…はぁ…ッ」
部活は午後5時前後で終わるが、厳密に言えばそこから後片付けがある。特に剣道部や茶道部ともなれば道具をどうにかする必要もあるからこの時間にここに入れば間違いないだろう。
ここから剣道場のある第二体育館までは5分とかからない。大体いつも出雲と綾は待ち合わせをして下校しているから、出雲さえ捕まえてしまえば綾と会うのは簡単だろう。
呼吸がある程度整ったところで、武道場こと第二体育館へ向かって歩いていく。
「………???」
しばらく歩いていったところで、遠目に第二体育館が見える。
それはいいのだが……、
「……え?」
第二体育館は何か建設会社みたいな業者の人がいて足場を立てていた。その周囲を黒と黄色の縞になった色のフェンスみたいなもので囲っている。
設置されたフェンスには立看板みたいなのがついており「第二体育館修繕工事」と書かれている。
わけがわからんので、とりあえず手近にいた工事の人を捕まえて話を聞いてみることにした。
「すみません、修繕工事って書いてありますけど何かあったんですか?」
「? ああ、ここの生徒さんか」
気づけば一昨日ジョーと話すときに制服に着替えてそのままだったな。2日くらい着っぱなしなので結構汚れているだろうけども、クリーニングについては後で考えることにする。
「ここで部活やってる子たちには連絡いったかと思うんだけどな、ちょっと体育館の一部の壁と床が崩落する事故があったんだ、幸い使用する子たちがいない時間帯だったから犠牲者は出なかったけども。
で、それを復旧させるように学校さんから依頼されておれたちが今日から工事を始めてるんだ」
事故……?
何か体育館が欠陥構造だったりしたのだろうか。
犠牲者がいないのは不幸中の幸いだったけども。
「えーと、それでここの部活やってた人たちって、その間部活を休みにしてるんですかね?」
「そこまではわからんなぁ…剣道部の子らは裏手の空き地で素振りをしているようだが」
「なるほど……ありがとうございました!」
それだけわかれば十分だ。
急いで第二体育館の周囲に張られたフェンスに沿って大回りに迂回していく。
途中向こう側から剣道着を着込んだ一団がやってくるのと鉢合わせする。それぞれ手には竹刀とタオル、水の入ったペットボトルなどを持っている。おそらく素振りをしてきた剣道部なのだろう。
さすがに屋外でまで防具をつけてどうこうというのはなかったようだ。もうすぐ7月でもあるから、正直外で防具を着込んで動くのはキツいんだろうが。
きょろきょろと集団をチェックするが、
「…………あれ?」
目当ての人物がいない。
何度か確認するが変わらない。
仕方ないので先頭を歩いていた主将に声をかける。幸い、というか出雲と仲良くしてた関係でこの主将とも数度面識があった。
「すみません、今日出雲は……?」
「ああ、何か知らんが見てないぜ。どうも学校を休んでるみたいだけどな」
「えぇ!?」
「昨日、生徒会のほうから体育館の工事が始まることを聞かされてた関係で、部活を休みにしてあったから、正確には一昨日から会ってないな」
生徒会。
その響きに一瞬悪い予感が頭を過ぎった。
「夏の大会ではポイントゲッターとして活躍してもらわねぇといかんのに、体調を崩したのかどうか知らんがこの時期に休むとは困った奴だ。復帰したら鍛え直してやらんとな!」
がっはっは、とまるで山賊の親玉みたいな笑い方をする主将に丁重に礼を言って、その場を後にした。
嫌な予感はどんどん頭の中で膨れ上がっていく。
それを否定するように茶道部へ。
茶道部の建物は第二体育館から比較的近い位置にあり、辿り着くのにそれほど時間はかからなかった。茶室と部室を併設した純和風のレトロの建物。
これまたタイミングのいいことに、部活が終わって生徒がちらほらと出てくるところだった。そのうちひと組みの女子を捕まえて、
「ごめん、あ…和家、まだ中にいる?」
「綾ですか? 来てませんよ」
「!!」
平静を装いつつ礼を言って離れる。
偶然か?
いや、偶然であってほしい。
例えば出雲か綾がたまたま風邪をひいてしまって、よく一緒にいるもう片方も風邪をもらってしまい仲良く病欠をしているだけだとか。
だけど5月から今日に至るまで偶然に期待して状況が好転した試しはない。帰っていく茶道部員たちを見送りつつ最悪の事態を想定する。
それを確かめるには生徒会室に行くしかない。
そう考え、
「…………?」
ふと、近づいてくる人影に気づいた。
部員が退散して人気の無くなった茶道部の建物に立っているオレに、近くの林からひとりの人物がゆっくりと歩を進めてくる。
ごくり……ッ。
思わず息を呑む。
その姿には見覚えがあった。
長衣。
羽織った紺の外套。
ねじくれた樫の杖。
揺れるとんがり帽子。
「………咲弥?」
距離はおよそ20メートルほど。
だが見間違えるはずがない。
一緒に無双の槍毛長と繰り広げた死闘の記憶が頭に浮かんだ。
そして思い出す。
―――彼女が間者、つまり伊達の側の人間であったことを。
咲弥はゆっくりと杖を振り上げたのを見て、思わず構えてそちらに意識を集中させた。
それこそが隙。
ぶぉんッ!!!
背後から飛んできた剣閃が横薙ぎに首を裂く。
オレの頭は胴体と泣き別れしていただろう。
横から来た男に突き飛ばされていなければ。
「ぐっ!!?」
「鎮馬ッ!!?」
咲弥に集中するあまり背後の気配に気付かなかった。陽動としては本当の初歩の初歩だというのにまともに引っかかった。そんなオレを救ってくれたのは咲弥と同じく一緒に戦った主人公である鎮馬だった。
咄嗟にオレを突き飛ばし、浅く肩口を切られながら攻撃者にショルダータックルをして突き飛ばし、距離を作ることに成功する。
「………チッ」
攻撃者は大柄な男だった。
こちらも見覚えがある。そう、対抗戦のときに伊達の隣にいた男。
手には湾曲した刃物、確か三日月刀とかいうんだっけ? それを持っていた。鈍く煌めく刃先は鋭くもし鎮馬がいなければ一瞬で終わっていただろう。
文字通り一撃必殺の攻撃。
八束さんに言われていた、オレの能力が苦手とするシチュエーション。
今更ながらに背筋が凍る。
「……おぃ、ビビってる場合じゃねぇぜ」
じりじりと三日月刀を持った男と間合いを計りながら、鎮馬が背中を向けたままで声をかけてきた。その言葉になんとか勇気を奮い立たせる。
慌てて咲弥を見ると、杖を戻している。
どうやらあれは背後の男が襲撃しやすいように、こちらの気を引くための動きだったのだろう。
じっとこちらの様子を確認しながら一歩ずつ間合いを詰めてくる。
「……前門の虎、後門の狼ってとこかもしれねぇな」
「それ動物的に言えば後門のが逃げやすいって意味かもしれませんけどね」
オレが咲弥を、鎮馬が男を、それぞれ警戒し背中をあずけあいながら軽口を叩き合う。
2対2。一人のまま挟み撃ちされることを考えれば大分マシだが、挟撃されている事実に違いはない。
「じゃあそれで、合わせろよ」
鎮馬が目の前の男に突撃する。
相手の男は慌てず迎撃しようとしたが、そこで鎮馬は足元を蹴り上げて土をぶつける。予想外だったのか少し鈍った斬撃を掻い潜り恐ろしいくらいの低空タックルで足元を掬った。
「ッ!」
体勢を崩した男は後ろに手を付きながら何とか立て直そうとするが、そのまま鎮馬が足元を掴んで強引に引っこ抜いた。そのまま男は投げ飛ばされて2メートルほど先に叩きつけられる。
………なんつー怪力だ。
「逃げるぞ!」
勢いを殺さずに走り出す鎮馬。
その声に我に帰って慌ててついていく。
ぼっ!!!
鎮馬の後に続いたオレの頬を何か衝撃が掠った。
そのまま通過して先を行く鎮馬に当たりそうになるが、射程の範囲外なのだろう。直前で急速に減衰して消滅する。
「……“硬風”かッ!?」
なんとか狙いが外れて命中せずに済んだものの、ギリギリの状況の連続にぞくりと総毛立つ。味方のときは頼もしかったが敵に回るとヤバいな、魔術師。
とりあえず全力疾走。
慌てて追いかけてくる咲弥だが、もう遅い。
動きにくい長衣という条件を差し引いてもオレたちのほうが運動能力は高いのだ。唯一追いつけるだけの能力を持っている可能性がある三日月刀の男は投げられ地面に叩きつけられて背中を強打しているから即座に追う姿勢にない。
後ろを振り返ってみると何事も無かったかのように立ち上がっていたから、倒せていなかったが十分距離が開いているのでとりあえず大丈夫そうだ。
そのまま走ること数分。
完全に追っ手を振り切ったのを確認してから、適当にそのへんの建物の陰に身を隠す。
ばくばくと鳴る心臓の音で見つかるような錯覚がして必死で呼吸を整えた。
「……はぁ……はぁ…っ、まぁ、なんだ……、日曜日以来だな、充」
鎮馬も同様に息を整えているが、明らかにオレよりも体力があるようだ。すぐに呼吸は穏やかになっている。まぁ先程の攻防を見ていてもオレよりも一体一に関しての戦闘力は高いのだから、それも当然かと納得した。
「……鎮馬も覚えててくれてたのか」
「…? 当たり前だろ、ダチのこと忘れるわけねぇよ」
にぃっといつも通りの笑顔を見せる仲間に胸をなで下ろす。
主人公である鎮馬がオレの記憶を失っていない。出雲が同じ主人公という立場を考えればこれは大きな前進だ。
だが今はそれに喜んでばかりもいられない。
「なんで鎮馬がここに?」
「………命の恩人に対して扱いが軽すぎねぇか?」
いや、まぁ確かに助かったわけなんだけど。
「なんつーのか…ちょいとイヤな噂を聞いたもんでな」
「噂?」
「ああ、噂だ」
そこで彼は一転して表情を引き締めて真剣な雰囲気になった。
「―――伊達が手駒を集めてる、って噂だ」
やっぱりだ。
悪い予感が的中していたのか。
「おいらにもちったぁ情報網があってな。充、伊達とモメてんだろ? そのモメごとをなんとかするのにボクシングの試合に出るって聞いたからあの日、応援にいったわけなんだけどな」
「………」
「ま、ネタ明かしをすると充と知り合う前から咲弥の様子が変でな。そのへん調べてたら伊達と繋がったもんで、芋づる式に充のことも浮かび上がってきたって話だがよ」
つまり、鎮馬は咲弥が伊達につく前からの仲間だったってことか。
いや、むしろ咲弥が向こうについたのがつい最近って方を重要視したほうがいいのかもしれない。
「だからその噂を聞いたときピンと来たってわけだ。伊達が手駒を集めているなら、もしかして何かやらかそうとしてるんじゃねぇか、ってな。
まぁ時間はあったから数日伊達や咲弥の周囲を張り込んでたんだ。こういうとき大学生って便利だぜ。
もし咲弥が伊達の下について何かやろうとしてるんなら動くだろうと踏んでな。
残念ながら予想が当たっちまったのは喜んでいいやら哀しんでいいやら難しいけどよ」
この人も半信半疑だったから、咲弥が伊達とつながっている証拠を得ようと動いていたわけだな。
…………まぁ、結果が黒だったのはもう覚悟してたからいいけど。
「話はわかりました。とりあえずなんとかここを逃げたいところですね」
「だな。あの三日月刀の男、ああ見えて順位23位だ。まぁおいらは21位だから組み技メインでやりゃなんとかできなくはねぇが、正直あいつの相手しながら他をどうこうする余裕はないぜ」
23位の敵ってまた微妙な……。
たださっきの攻防を見ている限り、オレよりもレベルが高いのは間違いない。あいつの相手は鎮馬に任せておいたほうが安心だな。
実際のところ、向こうが具体的に攻撃に出た、ということは正直勝ち目がない。
状況次第なら能力の使い方で一対一はなんとかなるかもしれない。特定の状況下ならハマれば強いのが略奪系能力だ。ただ向こうは男と咲弥、そして伊達の3人が確定。さらに手駒を集めたとなるとそれ以上の数が出てくる可能性がある。
戦力的に上の相手が数でも勝る。文字通り質と量で負けている。
こんな向こうが用意した戦場でまともに戦うのは馬鹿げているじゃないか。
こっそりと物陰を移動しながら周囲を窺う。
やってきたのは裏門…ではなく、用務員さんが使っている通用口。
正門は張られているだろうが、いくつかある通用口ならどこかひとつくらい見落としがあるのではないかと考えたからだ。
その予感は的中した。
主人公っぽい感じの見張りがいるところはスルーすること3箇所目、ようやく見張りのいない通用口に突き当たった。
―――ここを出たら、まず出雲と合流だな。
そんなことを考えて鎮馬と通用門を出た。
「ようこそ、三木君」
耳を打つ声。
一歩踏み出した途端に風景が変わっていることに気づいたのは数秒後。
オレは通用口を抜けたのだ。
なのに、なぜ正門にいる?
―――どうして目の前に伊達政次がいる?
目の前には、紛うことなき敵の姿。
同じ名字をした武将を模したかのような眼帯をした独眼の佇まい。
その周囲には数人の主人公の姿。それぞれが槍、長巻、鎖鎌、錫杖などの得物を手にしている。明らかに街中を歩いていたら警官が飛んできそうな危ない気配が満ち溢れていた。
「……結界、か」
隣で鎮馬が呻く。
そうだ。気づくべきだったんだ。
逃げ回っている間、ちっとも一般NPCや重要NPCと出会わなかったことに。
すでにこの学校が異界となっていたことを。
原理はわからないが、オレたちが逃げることもすでに想定の範囲内だったということだ。
「ご名答。ただ……答え合わせの時間にはまだ早い。フライングには罰を与えよう」
ぎゅらり。
まるで何かが歪むような音。
伊達が睨んだ次の瞬間、
「え………?」
爆ぜた。
思考が追いつかない。
視界が朱に染まっているせいでもなく。
伊達が嗤っているせいでもなく。
頬に張り付いた小さな肉片のせいでもなく。
足元に転がった目玉のせいでもなく。
髪がついたまま散らばった頭皮のせいでもなく。
ぱらぱらと降ってくるコナゴナに割れた頭蓋骨のせいでもなく。
鎮馬の首から上が無くなったせいだ。
………どしゃッ。
その体が力なく崩れ落ちるまでオレは固まっていた。
まるで噴水のように首から吹き出す血が地面に溜まっていく。
侮っていた。
タカを括っていた。
序列なんていう単なる尺度で測ったつもりになっていたのが間違いだった。
もっと警戒しておくべきだったのだ。
“千殺弓”伊達政次という男を。
その失敗が、この地獄の始まりとなる。
ついにやってきた伊達のターン!!
行方の知れない出雲と綾の行方、そして月音先輩の運命や如何に!?
お楽しみに。




