86.兄貴分
実践。
そう言った八束さんに連れられていったのは、近くにある寂れた倉庫だった。
以前はそこそこの大きさの運送会社が使っていたらしいが、資金繰りに困って倒産してしまった際、八束さんが、というか正確には彼のボスが買い取ったらしい。
作りは鉄骨作り2階建て。
元々大型の荷物を積み上げる前提で作られているため、二階の床は半分ほどしかなく残りの1階部分が吹き抜けになっていて、十分なスペースが確保されている。
「ようこそ、オレの道場へ!…って感じだな」
そう言うと八束さんはオレとモーガンさんを置いて、さらに奥へと進んでいく。
二階部分がある一階については物置になっているらしい。そこから彼はちょっと人型を模したサンドバッグのようなものを2つほど持ってきた。
長さが1メートルを超えるロングバッグを二つ、苦も無く担いでくるあたり、やっぱり八束さんはさりげなく凄い。
「道場なら道場らしく、もう少し掃除すればいいのにねぇ。埃っぽいじゃないか」
「るせぇよ。これでも時間のあるときに簡単な掃除くらいはしてるっての」
まぁ冷静に考えれば、これだけのスペースを隅から隅まで綺麗に保つっていうのは、毎日それ専門の人が掃除しないと無理そうだ。
「んで、後はこいつをセット、だな」
何やら筒状のもの、というか見たまんま竹筒を数本取り出した。
「それ、何です?」
「ま、見てなって」
しっかりと握りつつ竹筒の栓を抜くと、そこからモワっとした気体が出てきた。そのままモワモワと空中に塊が浮いている。
「こいつは地脈点…主人公たちの言うところの狩場の仕組みを応用したものだ。地脈から洩れる霊力を根源に低位の妖怪は姿を形作る。それを応用して、開くときにこの筒を握っていた者の力を吸収して形作る存在が中に入っている。言わば人造の妖怪ってとこか」
モワモワと少しの間漂っていた塊は、モワモワ感をそのままに人間の形になる。そのままぽつねんと立っている。直立不動でぴくりともしない。
「つっても放っておくと霧散しちまうし、このように放置しても人型になるだけでそこから先何もしない。オレにしてみりゃ妖怪っていうにもおこがましいと思うけどな。
確かに人間を形作っているのはタンパク質だけど、じゃあタンパク質の塊が人間かと言われたら違うみたいなもんだ」
言わんとすることはわかる。
そもそも本当に妖怪だとしたら、いくら訓練のためだといっても、八束さんは無差別に攻撃したりしなそうだ。相手が攻撃してきたり仕事だったら別だと思うけどね。
アレかな、昔映画で見た陰陽術師が使ってた使い魔みたいなものだろうか。アレのことなんて言ったかなぁ…? シ、シ、シ…シなんとかガミだっけ?
まぁいいや。
「んで、ここからが本題。こいつの出番だ」
持ってきた人型サンドバッグをぼふっと軽く叩いた。
「こいつは中に術式が埋めてあってな。手近にいる霊的存在を吸収しやすい構造になってる」
「なるほど。だからわざわざこんな倉庫に結界が張ってあるわけね。でないと、そのへんの低級な幽霊とか寄ってきちゃうでしょうし」
おぉ? そんな結界なんてあったのか。
何も感じなかったけど。
「説明どうも。念のため言っておくと、ここの結界は純粋に霊体以外の侵入者対策でもあるんだけどな。それをこうもやすやすと…」
「あら? 入ってきたときのことを言ってるの? アタシくらいの魔術師になれば、この程度の結界、触れてから反応する一瞬までの間に解析して無効化するなんて簡単なことよ?」
「………、一応さっきの品々含めて、ここの結界を作ったのはこの国でも一流の陰陽術師なんだけども」
「ふっふっふ、年季が違うわねぇ。発想力は買うけれど、所詮坊やの術式に負けるようじゃ大魔女の沽券に関わるもの。アタシに対抗するには1000年早いのさ」
うーん。
よくわからんがモーガンさんが凄いのはなんとなくわかった。
そして1000年早いということは、もしかしてモーガンさんの年齢は……おぉぅ!? なんかオレの生存本能がそれ以上考えたら危険と訴えているのでやめておこう。
決してちらっとこちらを見たモーガンさんにビビったわけではないのであしからず。
「ああ、充が結界の存在に気づいてないのも無理はないぞ。この魔女、自分が入るときに結界無効化して、充が入った後に戻したからな」
……それは凄い。
世界最高と自称するくらいだからモーガンさんが凄い魔術師なんだろうというのはわかっていたけど、陰陽術の結界を一瞬で無効化しさらにそれを戻すってのは並大抵のことじゃないだろう。
力で消し飛ばすっていうならわからなくもないけど、戻したってことは力ずくじゃなくて、おそらく理論的に結界そのものを支配してオンオフを切り替えたということだ。
魔術師である彼女が陰陽術のルールに則って制圧したという事実は、ボクシングの世界王者が、柔道の試合で勝ってしまうようなもの。
凄いとしかいいようがない。
一流の技は全てに通じる。
前に出雲から聞いたことのあるそんな話が頭を過ぎった。一流過ぎるにも程があるだろうと思うけども。
「まぁそれはおいといて、だ」
八束さんが人型サンドバッグをフワフワしてる塊に近づけると、まるで吸い込まれるように中に入っていった。
「これでヨシ。
知ってるかはわからないが、基本的に霊力ってのは力そのものが化けたものだ。無色透明な力そのものが生命体に触れて質を換えたもの。魔術師はこれをさらに己の精神力やら魔術機能を通してやることにより魔力を精錬するわけだな」
はい、ステータスに表記が出るまで全然知りませんでした。
「ただ普通の人間には霊力があまりない。使わない機能は退化するってのもあって、生命活動に必要な最低限を除けば、体内で元の無色透明の力のまま滞留していることが多いんだ。
だから陰陽術なんかはまず初めに無色透明の力を霊力に換える感覚を養ったりする。んで自らに働きかけるそのときに気力とか精神力が必要になってくるから、術を使うためには精神力が必要、とかいう結果になる」
うーん?
それはつまり……ああ、そうか。
精神を使って操る無色の力 → 方向付けると霊力 → さらに方向付けると魔力等
こういうことになるから、始めと終わりだけ取ってみれば「精神力=魔力」的な扱いでおかしくないのか。
「だから霊力の有り無しは才能、ってのも、要は霊力に換える感覚をすぐに体感できるかどうか、って意味の才能になる。どんな奴だって生命活動している以上は、微小だとしても霊力は持っているはずだからな。
経験上言えば、感覚を普段から磨いている奴なんか切っ掛けさえありゃ、突然霊力に目覚めたりするし」
そこで一度説明を打ち切り、彼は話題を変えた。
「また脱線しちまったな。とりあえずこの竹筒と依り代君を貸してやるから、ここで最初に説明した4項目を色々とチェックしようぜって話だ。
例えば単純に筒から出した状態では実体がない。これを吸収できるか調べればお前の能力の対象が実体限定なのか、非実体でもいけるのかがわかる。こんな風に使い方で検証はいくらでも可能だ。
ちなみにこの人造妖怪は単純な霊力の塊でしかないから、吸収しても問題はない」
おぉ。
自分の霊力で擬似的に敵を作って、そこからどう吸収するかで能力を判断するのか。
わざわざ敵を探すよりも、なんか凄く効率的だな。危険もないわけだし。
「それはいいとして手本でも見せてやりなよ。じゃないとこの子も遣りづらいだろ」
「オレが?」
魔女の提案に八束さんは面倒そうな表情になった。
でも申し訳ないけどオレも見たいなぁ。
じー、っと見てみる。
「………わかった、わかったからンな目で見るな」
べし、と八束さんに頭を軽く叩かれた。
そのままゆっくりと依り代君という名前らしい、人型サンドバッグに向き直る。
ごきんっ!!
結構大きい音がした。
見ると八束さんの右手の指がゴキゴキと動いて鳴っている。
右手を使うのは左手には手首から先だけのレザーっぽい手袋をしているせいなのか、それともオレの逆で右手じゃないといけないのか、それは判断できない。
そのまま右手を開き、まるで指先を爪に見立てるように立てながら腰だめに構える。まるで何かを掴もうとする直前のような形の手。
ズズズズズ……。
その手の周りに何か見えない塊が集まっているかのようだ。
まるで陽炎のように歪む。
ぉんっ!!!
音が遅い。
八束さんが恐ろしい速度で腰から左へ右手を横薙ぎに振るった次の瞬間。
依り代君が消失した。
「………っ!!?」
ぞっとする。
見た。
否、見えてしまった。
一瞬だけ巨大な鉤爪の生えた手のように見えるものが八束さんの手の周囲に浮かびあがり、依り代君を握りつぶしたのを。
その爪が牙のようにも見えたせいか、まるで狼が噛み付いたかのように錯覚する。
静かに八束さんが右手を開くと、ごとん、と直径3センチほどの塊が地面に落ちた。地面に落ちるとサラサラと砂となって崩れ落ちた。
「これがオレの“餓狼”だ。見てわかったと思うが、右でも左でもどっちでも出来るが、基本手を使わないと攻撃できないし発動までに一瞬溜めがある。まぁこのへんは実際の戦闘ならいくらでもやりようはあるけどな。
掌握というのか咀嚼というのか。基本的に相手にダメージを与えないと奪えないからそのへんは不便だな。人間の姿のときと狼のときだと若干条件は変わるが、月齢が合わないからそれはまたの機会ってことにしてくれ。」
見えたのは当たる直前の一瞬だけ。
それもかすかに。
羅腕童子も強敵だったが次元が違う。避けることすら許さない攻撃が、一撃で致命傷。しかも耐えれたとしても能力を奪われる。人狼以上の速度を身に付けるか、傷ひとつつけられない防御力を得れば話は別だろうが、それは負けないだけで勝てるというわけでもない。
「ま、そのうちに充もこれくらい自在に能力使えるようになるから心配するな」
いや、どうだろう、それ。
さすがにここまでは……。
そんなオレの不安そうな表情に気づいたのだろう。
フォローするように八束さんは口を開いた。
「今のお前の能力は赤ん坊が手足を動かし始めてるときと同じだ。動かせることはわかっているけど、力加減もわからないしどこまで動かせるのかもわからない。
でもな、赤ん坊はそのうち立ち上がるもんだ。1回1回試行錯誤で探りながら細かい加減や成長を経て自在に動かせるようになる。
そうなりゃもう知識とかも関係ない。手足が血管と神経と骨で出来ていることを知らなくても子供は手足を動かせるからな。だから今のお前に一番必要なのは知識じゃなくて実際に使ってみることだけだ」
今までの基礎知識とか教えてくれた流れ全否定ですか!?
「ただオレはどうせならそんなトコで終わって欲しくない。せっかく知り合ったんだから、お前にはあのいけすかねぇ主人公どものレベルをさらに超えてもらいたい。
そうなりゃ全てが薔薇色だとは言わないが、こんな切羽詰まって教えを聞きにくるくらいだ。少なくとも手助けにはなるだろ。
だから知識を与えた。自在に動かすだけならそんなものは要らねぇけど、そこからさらに先。極めようと思うなら必要だからだ」
手足を自由自在に動かすだけなら誰にでも出来る。
だが最高に使いこなそうと思えば、知識なしにはありえないのはスポーツの世界を見れば一目瞭然。一流のアスリートであっても、しっかりと理論付けされたトレーニングと時代錯誤のトレーニングでは結果が天と地ほども違ってくるのだから。
そう思えば、八束さんの話はストンと腑に落ちる。
「だから諦めんな。自分を信じろ。本当に開花させた能力ってのはお前自身そのものだ。お前が信じている限り絶対に裏切らない。以上だ」
講義はそう締めくくられた。
口先だけで語っているわけではない。
経験と実力に裏打ちされた自信と、本心からのオレに対する期待が見て取れる。
う-ん、男前だなぁ。
やっぱり狼男は格が違うぜ!!
そこまで言って八束さんは腕時計を確認した。
何か予定があるのかもしれない。
「悪いがそろそろお開きだ。ここは自由に使っていいから、しっかり練習していきな。結界と鍵については、そっちの魔女が上手くやるだろ。今日以外でもいつでも使っていいぞ。
どうせオレしか使わないしな」
いい人だ…。
いくら知り合いのモーガンさんの連れてきた相手とはいえ、ここまで色々親切にしてくれるなんて普通ない。
あまりの頼り甲斐のある言動に、ちょっとほろりときた。
「…? なんでお前目が潤んでるんだよ」
「ああ、いえ、ちょっと兄を思い出しまして…」
人狼は言葉に詰まった。
「………死んだのか?」
「ま、まぁそんなところですかね……」
さすがに逸脱した者云々を説明すると長くなるので、そういうことにしておこう。
「詳しいことは長くなるから割愛するけど、この子、家族全員いなくなっちゃって天涯孤独な状態なのよ。行くあてがなかったらアタシが保護したわけさ」
「あー…クッソ。聞かなきゃよかったぜ」
がしがしと頭を掻く。
「まぁ仕方ねぇな……」
がし!と肩をつかまれた。
「まぁなんだ…ガラじゃねぇんだけどな。いいか? 困ったことがあったら、いつでもオレに言いにこい。今日からオレがお前の兄貴分になってやる」
「え…いや、でもそこまで甘えるわけには…」
「甘えるもへったくれもあるか。遠慮なんかしやがったらぶっ殺すからな?」
そう言って鍵を渡された。
オートロックのリモコンがついている。
「その魔女のトコにいたらすぐ逃げ出したくなるかもしれないからな。行くトコねぇならそのときはオレの家に来な。一部屋くらい空いてるし、どうせ2日に1回くらいしか帰らねぇから好きに使え」
「……あ、ありがとうございます」
八束さんはそのまま工場を出ていった。
オレはその後姿が見えなくなるまで見送って、一礼。
「……なんていうのか、凄い男前な人ですね、八束さん」
「まぁあの男なりの気遣いなんでしょ。アイツも生まれたときから家族がいないから、独りでいることの大変さはわかってるわけだからねぇ。アンタを見て放っておけなかっただけだから、アイツの自己満足に甘えておけばいいんじゃない?」
あ、そうか…日本狼って絶滅してるんだっけか。
得るものがあれば、失うものもある。
ならば、失うものがあるなら得るものだってあるのだろう。
この日、オレは頼れる兄貴を得た。




